貴方のために
加奈がいなくなった放課後の教室に残るのは私と狼くんだけ。けれど私達を包むのは決して良いムードじゃない。
「俺が何言いたいか分かる?」
狼くんは口角が上がっただけの笑顔を見せた。笑顔と呼ぶには黒すぎるし目が無表情で怖い。
えっと、何かしたっけ?と今更とぼけたって無駄な威圧感があるけど私はわざと逆らうことにした。
「うん。一緒に帰ろう、でしょ?」
「あってるけど違う」
「なら?」
「何で学級委員なんかになった?」
「そのことね」
なーるほど、と分かっていたのに大きく頷いたら続きを促された。はい、冗談止めます。
「答えて」
「んー、狼くんのため」
貴方のために学級代表になったの、と善意を押し付ける訳じゃないけど行動の本質はここにあるから。
「俺のため?」
「昨日も言ったでしょ?」
「だからって凛子さんまで委員になる必要なかったじゃないか」
「だって狼くん、私以外の女の子と話さないでしょ。だから私が委員やったら狼くんにとっても好都合だなー…って。それに、私が代表になるって言ったら狼くんもなってくれるって信じてたし」
ばーんっと胸を張って、胸を叩いた。あれ。結構前にこの行動をしたらゴリラみたいだと嘲笑されたのに、今回は無表情だ。
「はぁ」
むしろ、眉間にシワを寄せて怖い顔をしていた。
「納得したの?」
「俺は凛子さんが委員になって欲しくない」
狼くんは俯きながら言った。けれど狼くんの方が身長が大きいから少し寂しそうに眉をしかめているのが、丸見えだった。
「もう取り消せないよ」
「取り消せたら今すぐ訂正する。俺が言いたいのはそうじゃなくて」
「何?」
「凛子さんが注目されて欲しくないから」
「……されないよ?」
私が注目なんて、そんな。注目されるのはもっと素敵で人脈もあって、神に等しい方だけであって、私にはおこがましい。
「される」
「されなーい」
「凛子さん、自分が魅力的なの気付いてないから」
「お世辞言われても代表はやめないよ」
「お世辞じゃないって……あーもうっ」
狼くんは声をあらげると頭を抱えて後ろを向いた。感情的な狼くんは珍しいから嬉しくなって、ついつい気にさわる様なことを言いたくなる。
「怒ってるの?」
「怒ってない。拗ねてるだけ」
「……珍しい」
本当に今日の狼くんはどうしちゃったんだろう。感情を素直に出して、いつもの狼くんらしくない。
そう思って狼くんのことを隅から隅まで観察していると、後ろを向いていて私なんか見えないはずの狼くんが答えた。
「凛子さんが側にいるからだよ」
拗ねた子供みたいな言い方で年柄もなく狼くんをいいこいいこしたかったが、そういえば私の身長じゃ狼くんの頭に届かないんだった。
「今日の狼くんは素直でイイネ!」
「何がだよ。てか、凛子さんが委員になったからって俺が立候補するって自信あったの?」
「うん」
「ふぅん」
狼くんの顔は見えないけど喜んでいるのが分かるよ。だって声のトーンが少し高くなったんだもの。
「狼くんを信じてるもの」
「……そっか。それって良いのかな」
「いいっしょ。多分」
「なら良かった」
「えへー」
「あ、面倒な仕事はお断りだからな」
くるり。狼くんはまた私の方に向き直ってから言った。
「えー。私達は二人で学級代表でしょ?酷いよー」
「やらされたんだ。俺はやる気はないんだから、当たり前だろ」
「狼くんのけち」
「けちで結構」
「味噌汁に生姜いれてやる」
ぶー、とむくれていたら頬を押されて口の中に溜めていた空気がぼふんと飛び出た。
「それは止めようか」
狼くんが眉間にシワを寄せながら首を振った。狼くんったらおかしいの。こないだだって料理に生姜を入れたら嫌がっていた。けれど、残さないのが狼くんの優しいところ。
「何でよ。生姜美味しいのに」
「味噌汁にまで生姜はないだろ」
「生姜は何にでもあうのよ。味噌汁、シチュー、カレー、牛丼、サンドイッチ……何にでも!」
「分かったよ、どんな仕事も手伝うから全てに生姜を入れるのは生姜は止めよう」
やれやれと観念した様な顔で狼くんはぎゅっと目を細めた。笑うのを我慢しているみたいなその表情が、私は結構好きだなと、改めて思った。
「それでよし」
偉そうに腕を組んで狼くんを見つめると、狼くんは小さく呟いた。
「最近凛子さんの生姜好きが異常だ」
「なあに?」
聞こえていたけどわざと大きな声で聞き返したら、狼くんは更に小さな声で「何でもない」と言った。
「そうかなー?じゃあ、帰ろ」
「ああ、帰るか」
にひひ。私は狼くんに笑ってみせた。空は日が暮れて赤くなっていたから、狼くんの頬も赤くに染まっていた。
多分、私の頬も染まっていたと思う。
「ところでさ。委員って何するんだろうねー」
「それも知らないで立候補したの?」
狼くんがバカにした様な目で私のことを見てくるから自転車に乗りながらも、狼くんの背中を叩いた。
「狼くんも知らないでしょ?」
「勿論」
「こらー。堂々としないのっ」
穏やかな夕日に染まって、赤い二人は帰っていった。