多目的室
「あーあ。暇になっちゃった」
半強制的に追い出されて、私はただ一人で歩いていた。
時間が出てくるとすぐに狼くんのことを考えちゃうから暇になんてなりたくなかったのに。と、ぼやきながらも私のことを心配してくれるクラスメートの優しさに申し訳なくなった。無意識のうちに私は心配される程、酷い表情をしていたんだ。
彼女達は私が自ら進んで忙しくなりたがってたなんて知らないもんね。だから、仕方がないんだよね。
心の中で何かに言い訳しながらゆっくりと私は歩く。目的はないけど、特に展示を見て回る気もないけどぐるぐる歩く。
歩いて、歩いて、少しでも良いから狼くんが私のことを嫌いになった理由が分かれば良いなってぼんやり考えながら。
「あ」
どうやら私は歩くのに夢中になりすぎて、展示がない教室まで来てしまったみたいでさっきの騒ぎが嘘の様に人気がぱったりなくなった。
静か過ぎて、廊下に聞こえるのは私の足音だけ。
でも、私は歩くのを止めない。と、言うよりも何かに突き動かされて歩かされているって言った方が良いのかもしれない。
「……開いてる」
他の空き教室は頑丈に鍵をかけられているというのに、その空き教室は鍵は外されていて少し開いていた。
その不自然さから、好奇心がむくむくと沸き上がり開けてみたくなった。
悪いことはしないし、ここの扉が既に開いていたから見たくなったの。ちょっと覗くだけだし、大丈夫よね。と、心に言い訳しながら扉に手をかけた。
ガラリ、扉は簡単に開かれた。
こんな教室あったんだ。広くてホールみたいだけど沢山椅子と机が並んでいる部屋。多目的室かな?
見るだけ、と言っていたけど何故か初めての空間に触れると中に入りたくなってしまった。
更に悪いことはしないから!と、言い訳をして入る。
廊下と同じで静かなのに、何故か暖まるこの空間。しばらくこの教室の窓際で立っていると、何気なく本心が漏れ出した。
「狼くんは、やっぱり私のことが嫌いになっちゃったのかな?」
静かな教室に私の寂しい一人言は吸収された。
なーんてね、と呟きながら頬を擦ると今の言葉をきっかけにぼろぼろと涙が溢れてきた。
大粒の涙が目から何度も何度も落ちて、枯れてしまうんじゃないかって程落ちてるけど、それでも涙は止まらない。
言ったことにより自分の現状を理解して、苦しい胸の痛みが帰ってきてぐうっと喉が痛くなった。
「嫌だよ。……狼くん。いなくならないで、きらいにっならないで……」
もう限界。涙も、悲しみも止まらない。ぼろぼろ溢れて床を濡らしていく。
「凛子さんの馬鹿」
聞き慣れた優しく私を罵倒する声。ずっと、ずっと聞きたかった人の声。
嬉しくってすぐに顔を上げようと思ったけど、こんな涙でぐちゃぐちゃの顔を狼くんが見たらもっと嫌いになっちゃう。だから、声に背を向けた。
こんなことしたらもっと嫌われるかも。でも、涙で汚い顔は見せられないし。
「っ、ろぉくん……?」
「……おう」
分かってたけど、聞いてみると低い狼くんの声が聞こえた。怒ってるのか分からないけど、少し、怖い。
「いつから、いたの……っ?」
あ、嗚咽が止まらない。ほんのついさっきまで泣いてたのがバレてしまう。バレたら…狼くん呆れてしまうよね。
せめてもの抵抗で嗚咽を殺そうと必死に口を抑えた。それでもしゃっくりの様にひゃく、ひゃくと肩まで振動が伝わる。
バレたくない。気付かれたくない。
「……凛子さんがここに来るよりもずっと前に、俺は来てたから」
かああっ、と耳まで熱くなった。熱がじわじわと顔全体を侵食して赤くなっていると思う。
それくらい、狼くんの一言は破壊力があった。
だって、狼くんの方が先にこの部屋にいたってことは私が泣いたことも、呟きも全部知ってるってことで、ということは。
って、考えれば考える程血行が良くなる。お肌には良いけど、それは別に求めてない。
あえて、本当に私が泣いたのを知ってるの?とか、確認するのも恥ずかしいし、でも無言も耐えきれないから妙にそわそわ肩を揺らす。
「だから、全部聞いた」
「……」
何を?なんて今更とぼけることは出来ない。
「凛子さんが今泣いてるのも知ってるよ」
びくり、肩を震わせた。それはバレてないって思ってたのに。あと、どんどん狼くんの声が近づいている様な気がする。
……気のせい?
「泣いてないもん」
「じゃあ、俺を見て」
私のお腹まで響く低い声に、私までびくり、と震えてしまった。やっぱり、気のせいじゃない。
狼くんはすぐ後ろにいる。
「や、だよ」
「俺も嫌だ。何で見せてくれないんだ」
「だって、ぐちゃぐちゃで汚いし。狼くんが私を見たらきっと引いちゃうもん」
この空気に堪えきれなくなってこの場を離れようとした時、ぐいっと狼くんに抱きしめられた。
「引かない。だから、もう俺から離れないで」
泣きそうな狼くんの声が耳元で聞こえる。
じんじんと胸を熱くさせるその声のせいで、離れようとしたのは狼くんの方でしょ。という言葉は喉の奥で消えた。
「……うん、分かった」
私も狼くんの背中に手を回した。狼くんの温もりが伝わってやっと狼くんと繋がれた気がした。
狼くん。狼くん。やっぱり、私達は離れちゃダメなんだね。少し狼くんが私の側にいなかっただけでこんなにも辛かったんだもの。
だから、私は離れようとしないから狼くんも離れようとしないでね。
狼くんに抱きしめられてから、暫く経って私は口を開いた。
「ねえ、狼くん。私のことを嫌いになったの?」
狼くんが意味が分からない、と言うかの様にん?と小さく呟いた。
「俺が、凛子さんを嫌いに?何で」
私の方が質問していたはずなんだけどなあ。と、思いながらも答える。
「さっき私が鶴ちゃんと話してからの狼くん、なんか怒ってたじゃん。それに腕も強く握って怖い顔してた」
「あ、それは……」
狼くんはごもごもと語尾を濁した。ん?と、疑問を持つと同時に狼くんは顔を上げたから、ぐちゃぐちゃの顔を見られることになった。
「や」
慌てて顔を隠したが意味もなく、狼くんは抵抗する私を押さえながら言った。
「『そんなこと』って思われてるのが嫌だったから……」
へ、と声が出てしまいそうになった。
「そんなこと?」
「さっき、凛子さんは俺と一緒にいる時間を『そんなこと』って言ったろ?」
言った、ような気がするようなしないような。
「つまり、俺のこと嫌いになったんでしょ?俺なんてどうでも良い。要らない。必要ない。……だからっ」
ずきん、胸が泣いた。泣きそうな狼くん。泣いた私。互いに互いに嫌われたんだと思って深く傷ついている。必要不可欠な存在なのに。同じ。同じことで悩んでたの?
乾いていたはずの瞳が潤んで、涙が落ちた。
「……必要ない訳ぇっ、嫌いな訳ないじゃん…っ」
再度、狼くんの胸に飛び込んだ。暖かいけど少し固い狼くんの胸。心まで熱くなる。
時折、頭の上からすする様な水温が聞こえてきた。




