狼くんの家で
私達は今、狼くんの家にいる。
まあ、狼くんの家にいるのはいつものことなんだけど今日は加奈もいるのだ。
狼くんが私以外の女の子を家に連れてくるのは初めてだからお母さん(じゃないけど)ドキドキしちゃうわ。
本当は私が連れて来たんだけどね。
学校祭の展示で私達のクラスは模擬店をすることになった。
その中でも私と狼くんと加奈はメインの物を作ることになったの。
それで何回か話し合った結果、クラスの中で私の料理が一番良いと加奈が変なことを言い出した。
そのせいで私はメインを作って持っていき皆に評価してもらい、美味しかったら私の作る料理を皆で作るということになったのだ。
正直面倒だなって思ったけど、皆に必要とされてると思うと凄く嬉しくなる。
しかしその分、期待を背負っているから不安でいっぱいになっている。
だから言い出しっぺの加奈と模擬店という案を出した狼くんに手伝って貰いながら、作ることにした。
そして今。
狼くんの家には私と狼くんと加奈が集まっている。
メインの物、<たこ焼き>の材料を囲むようにしながら狼くんと加奈は私の指示を待っていた。
「で、何すれば良いの?料理長」
「りょ、料理長じゃないってばー」
「……ふうむ。料理長か。的確な比喩表現だな」
「狼くん小声で褒めないの。褒める時は大きくはっきりでしょう?」
「お母さんか」
「そこは大きくはっきりしなくて良いからね」
最初、加奈を見ると嫌がっていて話さなかった狼くんだけど徐々に話すようになってきた。
うむうむ。成長。
けど、加奈が部屋に入ろうとした時に加奈に殺虫剤をかけたのは良いとは思わなかったよ。
加奈を何だと思ってるのかな?私以外の人間を虫扱いしているのかな?だとしたら、殺す気だったってことだよね。
まっ、狼くんに限ってそんなことないよね。とか思いつつも狼くんから放たれている殺気は私をひしひしと感じているのだけど、これは気のせいにすべきか。
「じゃあ、これからたこ焼き作りを始めます。手洗いはしてきた?」
「うん」
「……」
こくりと頷く狼くん。可愛いなこのう。と、撫で回したくてウズウズした右手を押さえながらビシッと紙を取りだした。
「じゃあ、この説明書通りにいってみよー」
「なんとも適当ね。料理上手のあんたならもっと独自の製法とかあると思ったわ」
「……凛子さんを嘗めるな。凛子さんは悪い意味で期待を裏切らないように工夫しているだけなんだ」
「ちょっとそこー?私への暴言かな?」
「んーん。本音」
「……いつものことだろ」
「ううー。泣いちゃうよ」
さっそく私はキャベツを切りつつ、呟いた。狼くんは粉に水を流し入れて溶かして、加奈はたこ焼き機の準備を始めようとしている。
器用だからか、二人とも紙を見ただけとは思えない程作業が速い。これだったら本番も安心だなぁ。
ザクザクザクとリズム良くキャベツの音に耳を傾けつつ切っていたのだが、ふと狼くんと目があった瞬間にその音は崩れた。
ざしゅ。
「ぃたっ……」
すぐに包丁を下ろして親指を押さえる。
野菜を切ることだけに集中してなかったせいで、切ってしまった。余所見していたのだから、自業自得だ。
幸い深くはない傷だったから出血は微量で済んだ。が、最低限の消毒はすべきだろうかと指を口に運ぼうとした時だった。
突然、狼くんは作業を停止させると入る直前の私の指を掴んで、そのままそれを含んだ。
「狼くん……?」
温かい狼くんの口の中に私の指が入っているというこの状況を理解するのに暫しの時間を有した。認識してやっと、羞恥心がぽっと火を燃やす。
八重歯が当たって怪我してない指の一部も痛くなっているし死ぬほど恥ずかしいけど、狼くんが心配してやってくれていることだから何も言えない。言わない。
切ったのは親指だけのはずだったが、狼くんの口が大きいからか、私の手が小さいからか他の指も口の中に入ってる。
「血の味するしょ。離して良いよ」
「はめは。ひんほはんほゆひひあほぉあふふ(ダメだ。凛子さんの指に後が残る)」
「ひゃあっ。指を入れたまま話すとくすぐったいよ」
「……ふわぁん(すまん)」
狼くんは腕を伸ばすと私を抱き上げてお姫様抱っこした。
狼くんの胸に収まる際にテーブルの上を通ったけど、狼くんの腕が長かった(断じて私が小さいからじゃない)お陰でテーブルの上のものにはぶつからなかった。
狼くんは指を口に入れたままお姫様抱っこをして、洗面所に連れていってくれた。
着くと、私を下ろしてから指も出してくれた。
「汚くして悪かった」
そう言いながら狼くんは私の指を洗う。
「汚くなんてないよ」
「……」
「だって、よだれには殺菌作用があるんだよ」
「……俺が今聞きたかったのはそんな豆知識じゃなくて、俺の唾液なら汚くないよみたいな……なんでもない」
「んー?」
よく分からないけど取り合えず微笑んでみた。
見上げてみると狼くんは赤い顔で私の指を洗っていた。恥ずかしいのかな?なんて、可愛いんだろう。
その後、私は絆創膏をつけてたこ焼き作りを再開した。
☆ ☆
「完成っ!」
出来上がったたこ焼きを皿の上に並べる。
ほよほよと鰹節が踊って可愛く見えるたこ焼きは、食べるのが勿体ないくらいだった。
「いろいろあったけどね」
「まあねー」
と、加奈がニヤニヤと笑った。きっと私の流血事故のことを考えているのだろう。料理が趣味と公言しながら怪我するなんて恥ずかしいやつだわ、と笑ってるに違いない。
ふと、加奈が私の耳元に近づいて囁いた。
「そういやさ、さっきのあんた達見て思ったんだけど。もしかしてあんた達付き合って……」
「ん?」
私が首を傾げると加奈はバシバシ私の背中を叩いた。大きな笑み付きだ……って、痛い痛い。
「まっ、あんた達ならそんなことないでしょうけどねー」
大きく加奈は笑い飛ばした。笑ってる理由は分からないけど私も笑った。
明日学校に持っていくためにたこ焼きをパックに詰める作業を終えると、もう良い時間になっていた。
「じゃあ、帰るわね」
「うん。また明日ー」
玄関を開けた加奈は「あ」と呟いてからくるりと、私に向き返った。
隣に不機嫌そうな顔をする狼くんが加奈を睨んでいるような気がするけど気にしないで「どうしたの?」と聞く。
すると加奈は私に耳打ちした。
「最初は怖い人だと思ってたけど、回数重ねると面白い人だって分かってきたよ?」
「狼くんのこと、だよね?」と、同じく小声で返した。自分でも声の調子が上がっていくのが分かる。
「うん。あの、作業手伝った時も思ったけど今も凄く思ってる」
「ふふふふぅ。嬉しい」
「あんたって本当に自分のことに喜ぶのね。全く変わらない」
「狼くんだからね」
加奈は私の耳元から離れると、激励の為に私の背中を叩いた。いててと言いつつも、励ましの言葉に痛み以上のものをもらった。
「じゃあ、頑張りなさいよ」
「うん。ありがとう」
そして、加奈は帰っていった。
「……凛子さん。大丈夫?」
「ん?何がー?」
「最後にアイツに叩かれてた。……良いやつかもしれないと思ってたけど凛子さんに手をあげるなんて」
「手をあげるとは違うよ。ただの仲が良い証拠だから」
「俺は凛子さんに手をあげない」
「ん、まあ、そうだけど……って、狼くんが私に手をあげたら私が壊れちゃうじゃないの」
「だから俺は手をあげてないだろ。なのに……あの女は敵だな。凛子さんの友達だから家にあげてやったが、もう二度と敷居を跨がせない」
「も、もう。何怖いこと呟いてるのー」
「全ての根元は凛子さんに有り」
「何、その言葉。カッコいい!」
「……」
狼くんは、呆れたような目で私を見つめた。どことなく可哀想だと心配する眼差しに感じたが、気にしない。気にしたら敗けである。
……ところで。根元って、私は何に何をしてしまったのだろう。一番気になるところの核心は掴めぬまま、議題は反れていった。




