☆宿泊研修当日⑥
もぉぉーと遠くからも近くからも牛の鳴き声が聞こえる。ここは、牧場だから。
ヒヨコがよちよち歩いているし、羊は放し飼いだしこんなに最高なところはない。
本当は代表の仕事なんて放り投げて、動物さん達にダイブしに行きたいところなんだけど、仕事を逃げ出すわけにはいかない。
誘惑してくる動物さんを出来るだけ視界に入れないようにして耐えながら、生徒をアイスクリームを作る場所の中に案内する。
でも、点呼を取っている最中も動物さんに触れあいたくて仕方がなかった。
「……凛子さん、ヨダレ」
狼くんが呆れた目で私を見ている。
何で!?と思ったけど動物を見てヨダレ垂らしている女子高生への対応はそれで正しいよね。
「あらまあ。じゅるっ」
「……凛子さん」
狼くんが更に呆れた眼差しを私に向けてきた。いやん、そんなに見られたら照れちゃうよ。けれど、返事はなく狼くんは下を向いた。
「凛子さん、ヨダレを垂らしても可愛いな」
狼くんがボソッと呟いたような気がしたけど私には聞こえなかった。
「何か言った?」
「いや、何も」
狼くんはすぐに顔を隠した。
☆ ☆
「すっげ……」
赤い天使が驚いて私を見ている。
「……そんなスゴいことはしてないですよ。それに、アイスを作るのは何回かしてますから慣れてるだけです」
そう言いながらもガショガショと泡立て器を回す。あ、ちょっと力を入れすぎちゃった、と下を見るとボウルの中の生クリームが少し飛んでいったのを視界に入れてしまった。
「はぁーっ。アイス作りが日常的だなんてうちも言ってみてー。なあ、すげーよな?」
赤い天使は他の人にも話しかけて同意を得ている。
いや、そんなに凄くないです。私には勿体無いお言葉ですよ。と言いたいが恥ずかしくて、言うのもままならない。
「年齢さしょーしてんの?本当はどっかのお母さんなんじゃねーの?」
仕事を与えられてない赤い天使は手持ちぶさたなのか、笑顔で聞いてきた。
お母さんって訳ではないけど、と空を眺めてぽんと思い出したことを口走った。
「えっと、今は狼くんのお母さんを代理してますよ」
赤い天使は目を丸くした。えっと、可笑しいことなんて言ったかな、と考えても答えは出ない。
「え、ちょ、まじ?狼くんってあの?」
小さい声で赤い天使は私の後ろで同じく泡立て器で混ぜている狼くんを指差した。
すると狼くんは自分が話題に出ていることに気がついたのか眉をしかめた。ごめんね、狼くん。と小さく謝る。
「うん」
「さすがのうちでも話しかけたことないわー。でも、凛子ちゃんがお母さんやってるつーことは、良い奴なんでしょ?」
「え、う、うん!凄いいい人!」
まさか彼女が狼くんのことを誉めてくれるなんて思ってなかったから、凄く動揺した。
よかったね、狼くん。狼くんの居ないところで狼くんの評価が上がっているよ。これも狼くんの人柄のお陰だね。
「狼くん、おめでと」
後ろにいる狼くんにだけ聞こえるように呟くと、同じく私にだけ聞こえるような声で返事が帰ってきた。
「……凛子さんのお陰だ」
狼くんは私の心が見えているのだろうか?なら、心の中で思っておこう。そんなことないよ。狼くん自信の努力の結果だよ。
混ぜ終わったアイスの元を、大型冷凍庫の中に入れて凍らせて私達の作業は終了した。
☆ ☆
「アイスクリーム美味しかったねー」
「だな」
狼くんがお腹をさすって売り場の中を回る。私たちはアイスクリームを作り終え、お土産を選んでいた。
「これ、凛子さんみたいだ」
狼くんが手に取ったのは小さくて丸い羊。狼くんの大きな手ですっぽり収まる程のサイズだ。
「可愛い!でも、可愛すぎるから私じゃないよ……?」
「そこはおいといて。小さくてモコモコしている所とか瓜二つ」
「な、私のどこがモコモコ!?……小さいのは認めるけど」
私が狼くんに怒ると狼くんは私の顔をじっと見てから手を伸ばした。
狼くんの大きい手が私の頬に近づいて、掴んだ。
「……いひゃい」
「ほら、モコモコ」
狼くんの引きつってない自然な笑顔が目の前で見える。いつもみたいに隠していないからこんなにも近くで見えるのは、嬉しい。
そういえば、何か頬を引っ張られているからだけじゃなくて、顔が熱くなってきた。
顔だけじゃなくて、胸も熱い。風邪?は、引いてないし。どうしたのだろう。
「凛子さん……?痛いの?頬が熱い」
「はなひなはーい」
ポカポカと狼くんの胸を叩くと、狼くんは離してくれた。その瞬間、とてもほっとした反面少しガッカリした。
まだじんわりと熱を持つ顔を押さえながら、狼くんが私に似ていると言った羊を取った。
「私に似てるのかなー……あ!」
その羊の横には小さな狼があった。
茶色い毛色に鋭い目つき、でもどこか可愛らしく感じるストラップの人形。
「これ、狼くんに似てる」
「そうか……?名前だけじゃないか」
「んー、まあ。似てるのよ。だから、これ私買うからね」
「……何で?」
狼くんは首を傾げた。
「私がこれを持ってたら、狼くんといつでも一緒でしょう?」
「ヴ……」
狼くんは手で顔を隠した。でも、指の隙間から赤い頬が見えている。ふはは、照れているのね。貴重だわ。
そして、しばらく経ってから狼くんは私が持っていた羊を取って言った。
「じゃ、じゃあ……俺はこれを買う。したら、凛子さんといつでも一緒にいれるから」
「なら二人ともず~っと一緒だね?」
笑ってそう言うと狼くんはさっきまで照れていたはずなのに、思いっきり私を睨んでから背を向けた。
「……何でそんな恥ずかしいこと笑顔で言えるんだよ……顔が揺るんじまうだろーが」
「ん?」
「……何でもねー」
声を低くさせて言った狼くんは私に背を向けたままだった。
「お母さんには何か買わないの?」
「あー……別に帰ってこないしな」
「でも帰ってくるかもしれないよ」
「じゃ、お菓子でも買っておくか。賞味期限きれても知らねーけど」
狼くんはぶつぶつと文句を言いながらも近くにあったお菓子を手に取った。
前だったらお母さんに物なんて買おうとなんてしなかったのに、成長したなと地味に感動していた。
その時の私は狼くんの本当のお母さんじゃないけど、お母さんみたいな気分だった。
☆ ☆
「……皆さん、宿泊研修では良い思い出を作れたでしょうか?作れた人も、作れなかった人もこの閉会式が終わった瞬間に宿泊研修は終わるわけではないので安心して下さい。旅行は帰るまでが旅行と言うので、帰るまでに思い出を作れるのです。前置きはこれくらいにして、お疲れさまでした。この疲れは週末で癒してまた月曜日、笑顔で登校して下さい。……これで学級代表からの言葉を終わります」
ほとんど念仏に近かったし、渡された原稿用紙を読んだだけだったけど逃げ出さずに狼くんが文を読めた。
私はそのことに感動していた。
嫌がっていた狼くんだったけど自分の仕事をまっとうしていて、自分のことのように嬉しくなった。けど、さっきのように人前なので騒がないように自重。
閉会式は終わり各々(おのおの)が荷物を持って帰宅し始めた。
私は頑張った狼くんを褒めようと移動した時、目の前を塞がれた。塞いでいたのは学年代表だった。
「幼女、私を覚えてるのですか!?」
「勿論覚えてますよ。鶴ちゃん」
「つ、つ、つ……ぅぅ」
鶴ちゃんは顔を赤くさせてから体をくねくねと捻らせる。今までの彼女らしくない行動に思わず手を差し伸べた。
「具合悪いんですか?」
「ぅぅう~。悪い訳ないのですよ。ただ嬉しくって」
「嬉しくって?」
「こ、この私が、う、嬉しい訳ないのですよ!!」
赤い顔の鶴ちゃんは更に顔を赤くさせて怒った。と、思ったら突然私に背中を向けて逃げ出した。
何で怒ったのかは分からないけど、急に出てきて急にいなくなる鶴ちゃんの後ろ姿を微笑ましく眺めてた。
そういえば私は狼くんを褒めようとしていたんだということを思い出して行こうとすると、また後ろから声が聞こえた。
「幼女!また来週ー!」
遠くに小さく見える鶴ちゃんが大声で私を呼んでいたのだ。さっき言えば良かったのに、本当に面白い人だ。
「うん、鶴ちゃんまたねー!」
笑顔で返すと、鶴ちゃんはくねくねと体を捻らせた。きっと顔は赤いと思う。
今度こそ、と狼くんを見ようとすると立っていたのは赤い天使と黒い天使だった。
「お疲れ様、凛子さん」
「頑張ったな!凛子ちゃん!」
二人とも綺麗な笑みを浮かべているからつられて私も笑った。
「ありがとうございます。皆さんのお陰です」
「違うっちゅーの。凛子ちゃんが頑張っているのを見てたから、うち等もついていっただけで」
「そうですよ。凛子さんが頑張っているから私達も頑張ろうと思えたんです」
「そ、そんな……お褒めに預かり光栄です」
プルプルと首を振ると赤い天使はガハハと、黒い天使はウフフと笑った。
「やっぱ凛子ちゃんはカワイーな!」
効果音にするとガシガシって感じに赤い天使が頭を撫でる。
「こら、そんなに乱暴に撫でると壊れちゃうでしょう。大丈夫、凛子さん?」
「え、ええ。大丈夫です。今日は本当にありがとうございました」
「ふふっ。こちらこそ。では、また月曜日」
「おう!また、月曜日に会おうな!」
赤い天使が私の頭を撫でていた手を緩めた。そして顔を近づけて耳元で囁いた。
「あ、ろーくんって奴?話してみたら意外と面白い奴だって分かったよ。さすが、凛子ちゃんがお母さんなだけあるな」
赤い天使の顔には笑顔があった。今までの子と違って恐怖の色がない。狼くんと話したのに、だ。
「え、狼くんと話したの?」
「おう」
「そ、そっか。ありがとう」
笑顔が眩しすぎて少しくらんだ。こんな明るい子だから話せたのかな。と考える。
「礼なんていらねーよ。じゃあな!」
「うん!ばいばい!」
黒い天使と赤い天使に手を振って見送った。天使達は軽い小競り合いをしながら少しずつ見えなくなった。
やっと狼くんに話せる。そう思って狼くんを探すとすぐ後ろにいた。
「ろ、狼くん!」
「凛子さん……あいつと知り合いなの?」
「あいつ?」
「あの、赤いの」
赤い天使のことを言っているのか、と納得する。
「ああっ……同じ部屋の子で、同じクラスの子だよ」
「そうか、だから。さっき突然、話しかけてきたんだよ。凛子さんが言ってただとか何とか言っていた」
「ふうん。話せたんだ?」
狼くんは数回首を横に振った。
「……そうだ。今日は狼くんの好きな料理を作るよ!何が良い?」
「うーん…シチュー」
「好きだねー」
狼くんは自然な笑顔を隠さずに私に見せた。
笑顔が見れたこと、狼くんが人と話せたこと、全てが嬉しいはずなのに何故か私の心はモヤモヤと黒いものが渦巻いていた。
味わったことのない正体の分からない感情が凄く気持ち悪い。そんな気持ちを考えないようにするために大きく腕を振った。
短くもあり、長かった宿泊研修はもうすぐ終わりを迎える。




