シチューと
「で、今日の席替えの時に狼くんが言いかけていたのって何だったの?」
フライパンの肉から鳴るじゅうじゅう、という効果音を聞きながらも狼くんに聞いた。
「そう言えば…凛子さん『後で聞くから』って言ってたよな」
悲しいことにキッチンとリビングは、少し距離があるから狼くんの声は聞こえるが顔を見れないからどんな思いで言っているのか分からない。
ただ、狼くんは小さくため息をついていた。
「うん。何なの?」
「……さぁ」
狼くんは頭を振った。うーん。どんな表情をしているんだろう。気になるなあ。
「むむ、気になる。今はチャイムの音なんてしないから言ってよ」
「今日の凛子さんしつこい」
「だって、狼くん凄い顔赤くしてたじゃん。それほど恥ずかしいことなんでしょう?」
「……」
狼くんが黙って頭を下げた。キッチンからじゃ狼くんの後ろ姿しか見えないけど、耳が凄く赤いだけは分かる。
やっぱり恥ずかしいことだったんだ…でも、聞きたいのが乙女心(?)というものなのよ。
「教えてくれないとシチューあげないよー」
「食べ物で釣るとか卑怯だ」
狼くんが私の方を見てくれた。やっと見たかったその顔はぷくっとむくれていて怒っている様な照れているような不思議な表情だった。
「狼くんが言わないからでしょ」
「言いたくないから言わない」
「頑固なんだから……」
そんなにも恥ずかしいことなの?私に関わることで狼くんが耳まで赤くするぐらい恥ずかしいことと言えば何だろう。
スカート捲れてるの?アホ毛が立っているの?いや、そんなことじゃ顔を赤くする程恥ずかしくならない。じゃあ、何?
も、もしかして……!!
お風呂で私の裸を見たときに私のぽっこりお腹を見て注意したくなったの!?
つまり狼くんは私にダイエットをして欲しいんだ。そりゃ、狼くんの口から言えないよね。『痩せろ』なんて。
だから、狼くんは顔を赤くしていたんだ。理解した。
「うん、分かった」
「なら、もう聞かないで」
狼くんがくるりと顔を私からそむけようとした、その時。私は言った。
「私ダイエットする」
「な、何があった!?」
前を向こうとしていた狼くんがすぐに私を見た。そ、そんな驚きの眼差しを向けられても狼くんがして欲しいと思ってたことをするだけだし。
「そう言いたかったってことなんでしょ?だから」
「ん?よく分からないけど必要ないと思う。でも、凛子さんの好きにしたら?」
「やったー」
よく分からないって言ったところは気にしないで取り敢えず喜んだ。これで、狼くんも悩みが少なくなったんじゃないかな、とか考えると嬉しくなる。
そうこうしている内にお肉にはしっかり火が通り固くなっていた。仕方がないよね。狼くんの為なんだから。
もぐもぐ、狼くんがシチューを食べる。ふと、気がついた様にスプーンを止めた。
「何かいつもよりも肉が固い……」
私は食塊をごくり、と飲み込んだ。気づかないだろうと思っていたのに、すぐに指摘されるとは。
「安い肉だったんだよ」
それは嘘です。本当はグラム単価がいつもよりも少し高めだから美味しいはずです。ただ、火が通りすぎただけなんです。
だらだらと嫌な汗が首筋を流れていく。
「そうか。別に旨いから気にならないが」
「えへへー」
鼻を掻いて照れながらも誉めてくれる狼くん。こんな仕上がりになったのに褒めてくれるなんて優しい。
「……って、凛子さん」
「何?」
「晩御飯それだけしか食べないの?」
「うん、そうだよ」
狼くんは私のお皿を覗いた。
しゃもじの上に乗る程度のご飯と、お玉一杯分のシチュー。ダイエットしてる私には充分過ぎるじゃない。
「いつもよりも明らかに少ないよね」
「記憶違いじゃない?それか勘違い」
「そうだったとは思えないけど……」
狼くんは今までの記憶を思い出すように上を眺めたが、意味がなかったらしく眉間にシワを寄せた。そりゃ、そうよね。いつもの私ならもっと食べてたもの。
「気のせいだってばー」
「凛子さんが言うなら、信じる」
「偉いねー」
よしよしと言いながら狼くんの頭を撫でた。今日の狼くんは私の隣に座ってくれたから撫でやすかった。
狼くんは一瞬眼を大きくしてから、ゆっくりと細くしていった。少し口元が緩んでいるように見えるその表情は少し猫みたいだった。
「子供じゃないから」
狼くんを知っている私だから分かる。狼くんの声はいつもよりもトーンが高かった。今の狼くんは猫みたいな可愛い表情しているから猫で例えると、喉をゴロゴロならしているレベル。
食べたいって言ってたシチューを食べれてそんなにも嬉しかったのかな?何さ。可愛いじゃないか。もっとよしよししてあげよう。
「な、何だよ」
わしゃわしゃと狼くんの髪の毛を撫でくり回すと狼くんは焦った様に私から逃れよう腕を掴んだり、首を振ったりした。
けれど、その力は本気じゃなくて私のなすがままにされていた。
「可愛い狼くんが悪い」
「ごめん。俺、凛子さんに何をしたっけ。可愛いことなんて一切してないんだけどな」
そう言いながらも徐々に頬が色づき始める。好きなシチューを食べて赤くなるなんて…可愛いな。そこまで好きなら週に一回位は作ってあげよう。
ところで、狼くんの髪の毛柔らかい。多分、女子の私よりも髪の毛は光り輝いていて綺麗だと思う。
また1つ狼くんの良いところ発見しちゃった。胸が熱くなる。
「えへへー」
「人の頭撫でながらその声は流石に気持ち悪いよ」
「そう」
「ならさ」
狼くんが言葉を止めて私の頭の上に手を置いた。こんな大きな手からは考えられないほど、狼くんは優しく暖かく撫でていく。
狼くんの頬の紅さは変わってないけど、瞳はとても優しくなっていた。何でだろう。狼くん見てると私まで熱くなってきた。
「俺がこの状態で笑ったらどう思う」
「……うぅん。可愛いね」
「あれ期待していた言葉と違うな」
頭を撫でていた手がするりと落ちて耳に触れた。思わず身体を震わせてしまう。その反応を見てから狼くんはにやっと微笑んで、私の頬を掴み引いた。
ううっ、その小悪魔みたいな表情スゴくアウトです。色んな意味で。
「……いひゃいー」
「ぷっ。くくくくく……凛子さんの顔面白い」
「あほぶなー」
「凛子さんの肉柔らかい。美味しそうだ。食べちゃいたい」
狼くんが優しく微笑みながら言うから少し驚いた。狼くんだったら本当に食べてしまいそう。
「狼くんになら……食べられても良いよ」
変なものでも見るかのように大きく目を見開いた。酷いなぁ。ただ、狼くんの冗談に乗っただけなのに。
「じゃあ、今度食べる」
やっと頬から手を離したと思えば頭に手を置いて、さっきとは反対にグシャグシャに乱した。
「な、何するのー」
「凛子さんがアホなこと言ったから」
「えへへー」
「誉めてないから」
呆れるように言ったのに狼くんはまだ微かに笑顔だった。呆れられた筈なのに何故か楽しくなってしまう。
私ってそっちの気あったんだ。とか、危ないことを考えてしまう私を必死で止めた。いやいや、私はMじゃないから。うん。
「ごめん。凛子さんの作ってくれたシチュー冷めてる」
「大丈夫だよ。私達が遊んでたのがいけないの。だから、共犯だね」
やっとスプーンを持って食事を再開した。
口元にスプーンを運ぶ時、微かに狼くんの髪の匂いが手から香って心臓が高鳴った。理由は分からない。




