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遠いクラス目標

「位置について、よーい……」


 競技用のピストルが銃声と煙を上げた。


 授業中には決して見せることのない、真剣な表情で四名のランナーたちは一斉に走り出した。見守る各クラスの皆も、保護者たちも立ち上がって大きな歓声を上げる。


 仁栄たち一組では、最後の合同練習から多少の作戦変更があった。一番足の遅い本城を真ん中へ組み込み、その後から段々と足の速い生徒を入れて挽回を図るというもので、前回の失敗を考慮した上での作戦変更だった。それに加えて、ずっと変えていなかった順番を本番当日で変えることで、他のクラスの予想を裏切るという期待もあった。


 一組の皆は絶対に上手くいくと信じていた。


 しかし、リレーも中盤に差し掛かった頃、その事故は起きた。


 皆の予想通りなんとか一位の状態でバトンを受け取った本城は順調にトップを走り続け、このまま逃げ切るかと思った矢先、次の走者の岡本が待つ数メートル手前で、足首をひねって派手に転倒したのだ。


 そして、転んだ彼にすぐ後ろを走っていた生徒が躓き、本城の上に乗りかかる姿勢で倒れ込んだ。

 土煙に咽ながら、下敷きになった本城が悲鳴を上げる。


「うわぁぁぁああ!! げほっ! げほっ! げぇー!」


 その場に倒れている本城たちを回避しながら、三位と四位の走者が横を走り抜けていく。


 本城に躓いて倒れていた走者も起き上がると、素早く落としたバトンを拾い走り出した。


「本城くんっ!! 早く!! 頑張って!!」


 本城だけが倒れている僅か一二メートル程先で、次の走者の岡本が手を伸ばし必死に叫ぶ。


 本城は赤ん坊のように手をついて這いながらバトンを拾うと、フラフラと起き上がって岡本にバトンを渡した。


 その時、既に三位の走者との差は半周以上広がっていた。


「まだ、諦めるなよぉーー!!」


「まだまだいけるってぇーー!!」


「イインチョーーー!!」


「頼むぜ、岡本ォーー!!」


 一組の掛け声は、一段と大きくなり、いつしかそれに保護者の声援まで加わったいた。


「頑張って走るのよーー!!」 


「最後まで諦めるなーー!!」


「頑張りなさーい!!」


「しっかりーー!!」


「勝負はこれからよーー!!」


 岡本からバトンを受け取った仁栄は必死に走った。半周ほど先を走る三位の走者を追いかけながら、彼は円をひとりで走った。


 たくさんの声援を受けながら、保護者の視線を浴びながら、恥ずかしいような、照れくさいような感情と一緒に走った。


 走ることによってなのか、そういった感情によってなのか、心臓の音がいつもより大きく鳴っていた。


 近くに競い合う走者がいないため、自分が本当に本気で走っているのか分からなくなった。まるで地が足に着いていないような、そんな気になった。それでも仁栄は、懸命に全力で走った。


 一周を走り終えてバトンを冬馬に手渡した彼は、やっと辿り着いたという心境だった。


 仁栄がハァハァと息を切らせながら列に戻ると、走者の列で一番後ろに座っている武が、親指を立てて笑っていた。


「いい走りだったぜ、深水」


 武はいつもクラスの皆に前向きな優しい言葉をかけていた。誰かを責めるような言葉や、諦めのような言葉を彼は絶対に言わなかった。


 仁栄は武の言葉に嬉しそうに頷くと、腰を下ろす。花田、武を含めてあと七人の走者が残っていた。


「どうなってる?」


 仁栄は自分の目で状況を確認しながら、前に座っている委員長に声をかける。


 中盤の本城の転倒で、優勝候補だった三組は二位に転落し、二組、三組、四組の順で、その後を一組が追っている。一組と四組との差がわずかになっていた。


「うわっ、すげーじゃん……」


「さっき四組の走者が躓いたんですよ、ラッキーでした」


 岡本が振り向いてピースサインをつくる。学級委員長の岡本には、時折敬語を使う癖があった。


 クラスの皆のことを少しずつ知っていくこと。そして、それを個性として認めていくこと。それが、仲間になるということ。


 仁栄はふと、今、皆を一生懸命応援してくれている仁栄たちの担任、若林の言葉を思い出した。


「……マジかよ、気づかなかった……ラッキー」


「バーカ、全然ラッキーじゃねぇよ」


「え?」


 走者の列に座っていた木崎が仁栄たちの方を見ていた。


「ぜってー、今頃は一位だったのによぉー。あのくそがよぉ……」


 睨みつける彼の視線は、保健室の方へ向いていた。


「でも……」


「……でもも、へったくれもねーんだよ」


 仁栄が何か言いかけたとき、木崎は言葉を被せながらゆっくりと立ち上がる。


 冬馬の頑張りのおかげで、一組は三位に浮上していたが、一位の二組との差はまだ半周近くついていた。


 スタート位置についた木崎は、不満げな表情を浮かべている。


「あー、やる気ね……無理だろこれ……」


 バトンを受け取った木崎の走りは、誰が見ても分かるほどに、明らかに手を抜いたものだった。二位との差はグングン開いていき、あっという間に四組に抜かれて四位へと落ちてしまった。


 そして、彼の走りはその後の走者の走りにも影響した。アンカーの前の花田がバトンを受け取る頃には、三位の四組との差はかなり開いており、すぐ後ろに一位の二組が迫ってくるのが見える程だった。


 結局一組の男子は、花田とアンカーの武の頑張りも虚しく四位で終わった。しかし、それは誰が見ても分かる、手を抜いた終わり方だった。


 校長先生の閉会の言葉を聞き終わり、仁栄が冬馬と教室へ戻ると、木崎が大きなバンドエイドを足に貼っている本城を非難していた。


 生徒たちの多くはまだ運動場から戻っていないらしく、教室はガラガラだった。


「おめー、何こけてんだよ? あ? 超大事な時だぜ、こらぁ? 分かってんのぉ?」


「……ごめん」


 泣きそうな顔で俯きながら本城は答える。


「あ? ぜんっぜんっ聞こえねー!」


 木崎が本城の肩を掴んで揺らし始めたそのとき、冬馬が割って入ろうと彼らに近づいた。しかし、それよりも先に甲高い声が教室に響いた。


「ちょっとー!! そんなに本城くんばっか責めなくてもいいでしょー!! 自分だってダラダラ走ってたじゃない!!」


 りょうが手を腰に当てて木崎の真後ろに立った。


「あ? 何だおめー? あ? またおめーか? また泣かされてーのかぁ? あ?」


 木崎は眉間に皺を寄せてりょうを睨みつけると、肩を怒らせて彼女の方へ歩み寄る。


 りょうは自分よりずっと背の高い木崎を眼前にして、震えていた。


 そのとき、今にも飛び出そうとしていた冬馬が隣の仁栄の耳元に囁いた。


「……正義のヒーロー気取るときだぜ」


 冬馬は仁栄の背中をぐいっと思い切り押した。急に押された仁栄は二人の間に突っ込んでいくと、そのまま木崎の肩に激しくぶつかった。


「うわっ!」


 木崎はバランスを失って後退すると、すぐ後ろの机の角に臀部を打ち付けた。


「わっ! 痛っ! 何だおめー、やんのか、こら?」


 すぐに態勢を整えた木崎は、仁栄の襟元をグイッと掴んで睨みつけた。


「おまえら、何やってるんだーーーー!!!!」


 教室の入り口で、若林が鬼の形相で仁王立ちしていた。


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