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その他小説

やさしくもかなしきほとけ

作者: 八島えく

 不覚だった。妾腹とは言え、あの藤枝家の子である自分が、ただの下級の妖怪にてこずった。妖刀まで引っさげて、当主に命ぜられてここまで来たというのに。この件の前の命で失敗してから、当主の自分に対する好感度は激減しているというのに。

 ここでのこのこ帰って、失敗したなどと白状すれば、もう当主は容赦しない。問答無用でこの無能を斬り捨てるだろう。そうなったら、主を失った自分は、生きては行けない。斬り捨てるということは、当主の興味を失うということ。当主の興味を失うということは、当主の興味が自分以外の他にうつるということ。

 捨てられるなら、ここで朽ちようか。だらんとした手つきで妖刀を抜き、自分の腹を切り裂いた。確実に死ぬる首を狙わなかったのは、死ぬ直前まで痛みを感じていたいためなのか、それとも、まだ死にたくないのか。どちらにせよ、強情だ。

 顔と腹を空に向けて地に横たわる。空は清々しく晴れている。これから死に逝く自分への、ほとけの供養とでもいうのだろうか。皮肉だ。

 もう空が分からなくなってきた。空の色が黒くも青くも見える。鼻を中心にして、右は黒くて、左は青い。黒いのは空じゃなかった。人だった。

 ぼやける視界でとらえたのは、触れればぽっきり音を立てて折れてしまいそうな手と、この千歳皇国には珍しい緑眼だ。装束からして、多分男だろう。それ以上は、まぶたが重くなって確認できなかった。

 ふいに、目がばちっ、と開いた。突然、目が自然とひらかれたのだ。まぶたは重くない。冴えた目に空は映らなかった。ここが奈落だから、とは思わなかった。奈落なら、目は冴えたりしない。目は古びた茶色の天井を映す。背と手が、柔らかな敷物の感触を味わっている。土の匂いと血の臭いはない。これは、なんとなく安心する匂いだ。

 裂いた腹の痛みは、いつまで経っても襲ってこなかった。乱暴に腹を押さえる手は、杞憂であったようだ。

 また不覚をとった。自分を守ってくれている敷物に、覆いかぶさるように人が寝ていると、気づかなかった。自分の領域に、人を簡単に踏み込ませるなんて、今までなかったのに。

「おい」

 寝ている奴の肩を軽く揺する。自分勝手な感覚で、軽そうだと思ったのに、こいつは予想に反して自分よりも重かった。まさか、死んでんのか? こんなにひ弱そうな体格をしていて、これほど重いのに、こんな理由以外は考えつかない。

「……死んでんのか」

 触れている肩が、少し動くのがわかった。生きてはいる。が、虫の息だ。死人一歩手前の顔くらい拝んでやろうと、上半身だけ起き上がった状態で人一人抱き起こすのは結構苦労した。

「……待て」

 抱き起こしたのは顔のためなのに、あいにくと拝むところを間違えた。こいつの腹から、どろり、と血がうごめいていた。しかも、更に驚いたことに、この傷は、箇所も形も、先刻つけた自分の裂き傷と、合致するのだ。

 もう一度自分の腹を、今度は念入りに、さぐってみる。傷なんて跡形もなく消えていた。自分の自然治癒力はこんなに優れていない。現在の千歳の医術など所詮浅知恵だし、医学界では稀代の天才とされた三浦がこの場で自分を治療してくれたとしてもそれにだって限界がある。自分がこの少年を斬ったわけでもない。なら、何なのだ、これは?

理音(りおん)!」

 背後から、知らない声が聞こえた。後ろには、自分と同じ年ほどの男が立っていた。男は呼んだ少年しか眼中にないらしい。自分は蚊帳の外か。

「理音……また」

 男は理音というらしいそいつをすぐ近くに寝かせる。その理音とやらの傷口に手をかざし、傷口をなぞるようにして、消してしまった。正直、ここまで進んだ医術を持っている医者に会うことに驚いた。現在の医術は、千歳では少なくとも、患者の自然治癒力を促進させるだけだと聞いていた。

 少年に、生気が戻る。男はそれを確認して、深く息を吐いた。力が抜けたのか、そこに座り込んでしばらく動かなかった。

 少年は気だるそうに上半身を起こす。目をこすって、伸びをする。何だか、拍子抜けするような仕草だった。

「理音。痛むか?」

 男は気を取り直し、理音の頬にそっと触れる。

「もう平気。本当に何ともないよ」

 理音はゆっくりと微笑んだ。ためしに自分の腹部を軽く叩いてみたが、痛がる様子もない。男はさっきよりも深く息を吐いてうなだれきった。そしてすぐ、顔をばっと上げて、理音の肩を掴んで揺さぶった。

「何でいつも無理するんだ!」

「無理じゃないよ……それにほら、治ったし」

「それは俺の術をお前と合わせたからだ! そうでないなら痛いで終わらないんだぞ!!」

「大丈夫。死なないから」

「そういうことじゃなくて……! お前なあ、いくら死なないっていっても痛いのは痛いんだぞ!」

(つるぎ)、僕が痛い思いして人一人助かるならさ、これほど優れた活用法もないんじゃないかな」

 理音の口調がだんだんとしっかりしてくる。

「おい、また人拾って治したのか!?」

「そこに寝てるでしょ? あれ、気づいてなかった?」

 剣という男は初めて自分と目を合わせた。その目には、よくも理音を、という怒りが含まれていた。別に、そいつが勝手にしたことで、こっちには何の非もないのだけれど。

「ごめんね。この人は剣っていうんだけど、一度怒ると怖いけど悪い人じゃないんだよ。誤解しないであげて」

 理音が、剣の代わりに詫びる。

「ここは、もともとは旅籠だから、好きなだけ泊まっていくといい。時刻亭っていうんだけど、あ、お金はいらないから大丈夫だよ。……えーと、さしつかえなければ、名前、教えてくれないかな」

 理音は儚そうに見えて実は饒舌だった。それにつられて、名を教えた。ただし、どこの生まれかは伏せた。

「……昴」

「昴星の“すばる”でいいのかな」

 昴はかすかに頷いた。

「申し遅れたけど、僕は氷川理音っていうんだ。この辺のことで分からないことがあったら、何でも聞いてね」

 理音は好意的だったが、剣は終始昴に悪意的だった。大事な友人であろう理音を、結果として傷つけた者なのだから、無理もない。昴の心中での、剣の印象は結局それで終わった。剣よりも、昴の興味は理音に向いていたのだ。

 氷川といえば、千歳では国の中枢に重宝されている家である。代々千歳を陰で守る役目を受けた、由緒正しき、神主の一族で、氷川家の子は程度の差こそあれ、いずれも不思議な力を秘めているという。

 氷川と名乗った理音は、間違いなく価値がある。そう結論に達した時、昴は当主への汚名を返上するためにこいつが役立つかも知れない、と少し不気味そうに愉快がった。お人好しの理音だけなら、鋭い剣よりも騙しやすい。面をかぶってじっと好機をうかがい、そして当主のところへ連れて行く。今の昴には、そのためならば年単位でも待てる忍耐強さがあった。

 時刻亭に腰を落ち着けているのは、理音と剣の他に二人いた。一人は理音よりも華奢で小さな少女で、紫苑(しおん)と名乗った。理音の上を行く儚さを想像したが、人目見ただけで、芯の強い意志を持っていると感じ取った。千歳人なら当たり前の、漆黒の髪が、印象的だった。着物はつぎはぎだらけのぼろだった。顔は決して悪くない。体格に女らしさが皆無なのが残念だが、それなりのものを着せれば見れるだろう。

 もう一人は剣の兄で、背丈は剣より少し高いほどであり、装束は剣や理音よりも少しだけ裕福なものを着ていた。名は、(あきら)といった。

 紫苑はあからさまに昴を避けていた。理音が昴のことを二人に話した時、紫苑は昴に一礼しただけで、何も言葉を交わさなかった。昭はそれに比べて好意的ではあったが、妖怪さとりの血でも流れているのだろうか、昴の企みを全て読んだわけではないにせよ、昴が何かしらよからぬことを図っているのを見抜いていた。昭に隙はなく、好意的に接しているようで実は昴を威嚇している。

 今もそう。理音を守るようにして会話を交わしている。

「ふーん。京の都からこっちまで来たんだ? 木魂(こだま)みたいな片田舎になんで来たんだ?」

 昭は会話もいちいち鋭い。京の都はみかどさまのおわします場所で、千歳で一番華やかな都である。そんな都会から、こんな田舎に来るのはおかしい、何か裏がある、と睨んだのだ。

 昴も馬鹿ではないから、昭の意図に気づかないわけがない。手の内は決して明かさない。しかし怪しまれぬよう、無言の回答は避ける。

「別に。ちょいと野暮用で」

「こんな田舎に来るほどの?」

 ここまでくると、あからさまに勘ぐられている。不快感は否めない。

「都会に長いこといるとな、たまーにふらっと田舎に行きたくなるんだよ」

「へえ。目的があったわけじゃないんだ」

「放浪の旅人でも思ってくれれば」

 昴は軽く受け流して立ち上がる。ここにいると気詰まりだ。忍耐力は残っているのに、昭と会話すると、自白してしまいそうで怖かった。

 落とす大将は楽に攻略できるが、周囲を守る家臣が強い。いつ本音を出すか分からないから、昭から離れる。こんな無能一歩手前にも、人間である以上、情はある。紫苑の反応が少し寂しかったのも否めない。まったく無関心なら、いっそのこと、剣のように睨んでくれた方がよほど楽だ。

 黄昏時まで、昴は時刻亭を離れてのんびりと京の都のある方を眺めていた。向こうには、当主がいる。今頃当主は、自分にとって邪魔な一族と愉快に殺し合っているのだろう。当主は天才であるし、傍らには弟の霞と手駒の椎乃がいるのだから、そうそう簡単にやられるわけがない。別に自分がおらずとも、当主には何の問題もない。そう思うと、ちょっと心がうつろになった。

「昴ー? もうすぐ夕餉(ゆうげ)だよ」

 理音が昴を呼んで来た。

「すぐ行く」

 昴に邪気なく接するのは、理音だけだ。昴の返事を素直に受け止めて、すぐに時刻亭に戻る。振り向くこともせず、すぐに戻る。

 借りている一室に、きちんと膳が整っていた。一人で食べる方が気楽だった。昴は夕餉をさっさと流し込んで膳を部屋の前に出す。その辺を探すと一通りの敷物があったので、それをさっと敷いて横になる。すぐには眠れなかった。昴が本格的に眠りにつこうとした直前、急に騒がしくなったのだ。

 部屋を隔てる襖越しに、会話を聞く限りでは、子供が高熱を出したらしく、理音を頼って来たという。

 変だと思った。熱なら医師である剣の分野である。それなのに、理音を頼る理由が、昴には分からない。

 理音の承諾の返事が聞こえた。気になったので、野次馬根性でそっと襖を少しだけ開け、その隙間から一部始終を覗き見る。

 理音は寝かせた子供の額にその手を乗せただけで、子供の熱をすべて取り去ってしまった。子供は熱に苦しむことなく、元気にその辺を跳ね回る。連れてきた父親と母親が、何度も何度も礼をして、子を連れ帰った。

 どういうことだ。理音の受け継いだ氷川という家柄は、こんなことまで可能なのか。

 糸がぷつりと切れたかのように、理音がその場に崩れ落ちた。昴は条件反射で、部屋を出て理音を抱き起こす。自分は焼いた石にでも触れたのかと錯覚するほど、理音の体は熱かった。

「おい! しっかりしろよ!」

 理音は返事をする余裕もない。顔を真っ赤に染め上げて、呼吸を荒く繰り返すだけだ。昴はさっき敷いた自分の敷物の上に理音を寝かせ、自分の着物の裾を裂いて井戸水に突っ込み、それをしぼって理音の額に乗せた。熱の対処は、それしか知らない。とりあえず、傍に座って見守ることにした。頼るべき医者は、時刻亭を留守にしていた。肝心な時に、使えない!

 理音が目をうっすら開いた。演技ではない。本当に熱がある。

「目、覚めたか」

「あ。昴?」

「ガキが帰ったとたんに倒れたんだよ。調子悪いんなら、来客くらい断れ」

「違う違う。これは僕の熱じゃないんだ。子供の熱」

 理音は、熱の割にはよく舌が回る。熱が上がるとかえってお喋りにでもなるというのか。昴は理音の言葉を理解せず、理音に喋らせる。

「分かりやすく説明しろ」

「うん、ごめんね。僕、説明があんまり上手じゃないんだ。えっとね……昴は、そめうつしって、知ってるかな」

 昴は首を横に振りかけて、慌てて頷く。病や傷を別のもににうつしかえるという、今では使われなくなった術である。病気自体が治るのではない。病気を他のものに引き受けさせているだけなのだ。一人を回復させるために、一人がその病や傷を身代わりに受ける。「そめうつし」は、そういう術だ。そしてそれは、今の御代の御意志により、厳しく規制されている。

「まさか、それを使ってるってか? けど、それって厳しい決まりがなかったか?」

「全面禁止ってわけじゃないんだよ。例外として、そめうつしを使った者自身にうつすなら、問題ないんだって」

 理音は何の理由もなく、そめうつしの現状を説明したりする人間ではない。昴の導き出した答えは、さきほど理音の行ったおかしな術はそめうつしの術であり、それは病や傷、悪霊などを他の人間に移しかえる術、今の御代では術を発動したものが自分自身にそめうつせば、罪に問われることはない、である。

「いずれ死ぬぜ」

「大丈夫。死なないよ」

 理音は昴を見上げて笑んだ。

「僕はね、氷川の生まれでしょ? 熱くらいなら、少し経てば治る体質なんだ」

「……なんだよ、ソレ」

 昴の声色は何だか怖い。くぐもった彼の問いに少し震え、理音は答えた。

「…………昔ね、ちょっとした怪我をしたことがあって、手当てもしていないのにすぐに治ったんだ。最初はさ、大して気にしてなかったんだけど……すっごい高熱出した時、本当に死ぬんじゃないかってくらい苦しかったのに、目が覚めたら熱はすっかりなくなってた。その時に、自分の体質が人と違うってことに気づいて、体を調べていくうちに、自分の自然治癒力が人よりもずっと強かったのが分かった。多分、これが僕に流れる氷川の血なんだと思う。不思議な話だよね」

 理音は昴から天井の方に視線をずらす。

「だから、死なない」

 昴は理音に気づかれないように、ぐっと拳を握りしめた。理音は事実だけを述べている。死なないという言葉も、よく考えた末に導き出された結論であって、理音の意見ではない。昴は、一度、理音から目をそらす。いつか、剣と口論し合って、これほど優れた活用法と反論していたのはこのことだったんだ。

「ここに人が来るのはね、剣じゃなくて僕が目当てなんだよ。剣の医術は本当に優秀なんだけど、僕にうつせば確実に病とはおさらばできるもんね」

「ソレ、痛いんだろ?」

「そりゃね。でも、僕の体質だからこそできることだもん。痛いけどさ、僕の力で誰かを救うことができるなら、これほど優れた力もないんじゃないかな?」

 理音は、みんなには内緒にしてね、とつけ加えた。昴は返答せず、身を乗り出して理音を睨む。

「お前はどうなんだ?」

「どう、ってのは?」

 理音は自然に訊ねてきた。

「お前が、苦しい思いするだろ。そいつらの代わりに、お前が痛い思いする必要なんてないだろ。痛い思いは、てめえの責任だ。てめえの勝手にさせとけばいい」

「うん。そうすれば、僕も楽になるんだろうね」

「お前なあ!!」

 昴は、初めて怒鳴った。

「お前が、何も悪くないお前が痛い思いすんな!!」

 怒鳴られても、理音は顔色一つ変えなかった。

「俺の傷を引き受けたのもお前なんだろ? いずれ死ぬ知らないもんなんか放っときゃよかったじゃねえか! こんな馬鹿みたことねえよ! 都にだってこんな馬鹿がいるか!」

 昴は気の済むまで怒鳴る。理音を馬鹿にしているつもりが、そういう形で実は理音を心配してしまっている。理音は、こんな、とるにたらない無能な死に損ないにまで、手を差しのべたのだ。おそらく、斬った傷が、昴自身による自傷だということにも気づいているだろう。気づいている上で、昴の痛みを代わりに引き受けた。

「ありがとう。優しいんだね」

 昴はそれ以上理音を馬鹿にできなかった。理音は回りくどくしなかった。静かに微笑むだけだった。

 慣れっこなのだろう。急用とかで、現在時刻亭離れている剣から、紫苑から、昭から、形は違えど心配されて怒られているんだ。

「もう一度言うけど、みんなには内緒にしてね。絶対うるさくなるから」

「そりゃ構わねえけど」

「ありがとう。先に寝るね」

 理音はそれっきり、何も言わなかった。本当に眠ってしまったらしかった。

 昴は理音の額に手を触れる。布をとって、もう一度確かめると、熱はすべて消えていた。体も軽い。肩に担いで、時刻亭を出る。好機は意外と早く訪れた。当主に再会できる。

 時刻亭を出て少し、後ろから殺気を感じた。昴は反射的にそちらを振り返る。

「理音を連れてどこへ行こうってのかなあ?」

 そこにいた昭は笑いこそすれ、友好的なものはそこに含んでいない。昭の後ろに控えるようにして立つ紫苑もそれは同じである。昭も紫苑も自然体だが、少し流し見るだけで、相当なやり手だと悟った。

「なあに、田舎者に、ちょいと都を見せてやろうと思ってな」

「そんな嘘、通用すると思う?」

 初めて、紫苑が口を開いた。

「だよなあ」

「紫苑の言うとおり、留守の振りして残ったのは正解だったな。あっさり本性みせた」

 昴は、ちらっと紫苑を見る。顔に表情という表情のない小さな少女は、案外鋭かった。

「理音を放しな。でないと、本気で殺すぜ」

「やれるものならやってみな。そんときは、肩にいるこいつも道連れだぜ」

「心配ご無用。理音は無傷で、てめえを殺すッ!」

「おー怖。今夜は眠れねえ。厠も一人で行けねえや」

 昴は皮肉っぽく笑んで、左手に愛用の妖刀を握る。その左手は、腕を巻き込んで理音を担いでいる。理音が相当負担になっているはずなのに、昴はちっともそれを見せない。昭の拳や脚の一撃は、重い。受けたら、それなりの訓練を受けている自分でも重傷は免れない。それを本能で知った昴は、昭の攻撃はなるべく回避で対処する。

 昭の言ったことは、本当だった。この男の攻撃は、理音に当たらないように最大限の配慮がなされている。試しに理音を盾にしてやったが、昭はそれを避けるようにして昴を狙った。

 昭の攻撃だけに、完全に意識を集中していたのがまずかった。昴は、もう一人の敵がいることを、少なくとも今忘れていた。

「ねえ、わたしを忘れてないかしら?」

 後方から、幼い少女の声が凛と響いた。さっと横目で確認すると、紫苑が、その両腕をこちらにかざしていたのがわかった。両腕をぴんと前に伸ばして、まるで、鉄砲で敵を撃つかのように、何かを発射せんと構えている。

「天神様。力を貸してください」

 彼女の両手に、強気に輝く光が込められた。それを確認して、まずい、と心が警鐘を鳴らした。

 ぱちばちと音を立てた光は、紫苑の手から解放され、まっすぐに昴へと向かってきた。昴の延長線上には昭もいて、下手をすれば昭もくらうかもしれない。が、その昭はすでに退避していた。

 昴の周囲を包むように、雷の光が爆発した。耳をつんざくような音を生み落とし、土煙を容赦なく広げる。昴も、昭も紫苑も、視界が悪くなる。

「紫苑、やりすぎだぞ~。剣からはなるべく殺すなって言われてるのに」

「さっき殺すって言ったあなたが言えたことじゃないわね。でも、わたしはきちんと加減をした」

 土煙が晴れる。そうなる前に、逃げればよかったものを、昴は妙な律儀さでもって、ここに残っていた。無傷で。

 昭はぎょっとした。紫苑の力は、京の都にまで行き渡るほどではないが、木魂の都ではお墨付きである。それは、術を使う人間や術をよく知る妖怪たちから認められるほどのもの。彼女の術は、半端ではない。

 それを、まともに受けて、無傷だと?

「なっにいぃ!?」

 昴は性格の悪そうな微笑をした。二人の動揺が見て取れる。

「いやいや、そこの嬢ちゃんの腕はたいしたもんだよ。京にもこんな使い手はいるかどうかわかんねえ。誇っていいぜ」

「くそ……」

「さて、ここで喧嘩遊びしてる暇もないんだ。めんどくせえから、一発で終わらす」

 昴は、左手に握られた妖刀の力を感じる。

「……疾風(はやて)、もう一度、力を借りるぜ」

 その柄に、右手を握らせる。紫苑は反射で、できるだけ短時間で、できるだけ強い防護壁を作り出す。

「遅い」

 昴は勢いよく、素早く刀を抜いた。その刀身を的に触れさせ斬るのが目的ではない。

 刀身から発せられた風が、刃となって、昭と紫苑を包んだ。紫苑の防護壁はぎりぎりで間に合ったが、あり合わせのためかすぐに壊れた。それがなくなれば、二人はただの人、風の刃に斬られるしかない。

 今のうちに、夜道を突っ走る。

「っく! り、理音!」

 昭の声なんか知らない。昴は迷わず京の都にいる当主の許を目指す。

 京の都は久しぶりだった。少なくとも、夜通し休まず目指した場所だと考えると、そう感じる。昴は藤枝本家に向かう。それがどこにあるのか人に聞くまでもない。こんなに夜更けに、人が外をうろついていることはない。誰にも不審がられずに、藤枝の大屋敷までの道を歩ける。

 大屋敷の戸を叩く頃には、すでに日が昇り始めていた。人はちらほら目覚め始めている。屋敷から出てきたのは、昴の盲信する当主、藤枝常盤(ふじえだときわ)であった。

「お帰り」

 戸を叩く音に反応したのは、この常盤だけだった。

 常盤は朝っぱらから縁起の悪そうな着物を着ている。黒色じみた着物なぞいくらでもあるが、常盤が着ると、昴にはどういうわけか喪服に見える。常盤はふい、と昴の担いでいる人間を見る。

「でかい土産?」

「行ったところにいた、氷川の人間だ」

「ほうほう。どれどれ」

 常盤は担がれている理音をじっくり観察する。

「そうみたいだな。解剖室、貸してやるから、そこに突っ込んでおいてくれ」

 常盤は含み笑いを浮かべながら、戸を開けて大屋敷へと入っていく。が、ふと立ち止まって、一度昴と目を合わせた。

「おつとめごくろう」

 常盤はそれ以上何も言わず、目も合わせず、大屋敷のなかへ消えてしまった。昴は何を感じることもない。ただ、理音の重さが少し増しただけだった。

 解剖室は、実験器具の金属音と薬品の臭いで満ちている。床は、冷えた、金属のような感覚を味わわせてくれる。

 昴は肩に担いでいた理音をようやく下ろし、解剖台に仰向けに寝かせた。両手首両足首を拘束具で固定する。お人よしなこの馬鹿のこと、暴れることはないだろうが念のため。胴体が動かないように、首と腰にも、軽く拘束具を働かせた。何故か、拘束具が、手にひどい冷たさを与えた。

 理音をしばらく見下ろしていると、ふいに、理音が目を覚ました。身動きがとれないことや、ここが明らかに時刻亭ではないことに多少驚きはしたが、それ以上の動揺は見せず、顔だけをなんとか動かして昴を見上げてきた。

「昴?」

「お前は、多分、人体実験の被験者になる」

 自分でも、痛いほどに、自分の声が恐ろしく響くのがわかった。

「氷川の人間で、並はずれた治癒力を持ってる特注品だ。これを差し出せば、当主の高感度も上昇する。……残念だったな。怨むなら、俺を助けた自分を怨め」

 理音はいちいち昴の言葉をかみしめている。昴は適当な言葉を並べたてて、淡々と話す。自分が何を言っているのかも、ついにはわからなくなってきた。

「……昴」

「何だ」

 きっと、理音は、利用したってことだね、ひどいなあ、と笑いつつも怒りを込めて言葉をぶつけて来るのだろう。否定はしない。今までだって、当主の目を少しでも長く自分に引きつけるために、こうしてきたのだから。昴によって生み出された犠牲者たちからは、よく怨みをぶちまけられたものだ。

 しかし、昴が身構える必要はなかった。

 理音はいつも通りの微笑だった。

「お疲れ」

 それだけ、理音はそれだけ言った。昴は、一瞬めまいがした。体勢を整えようと踏ん張った足が床を強く踏み、それで醸し出た音が、昴の頭に強く鈍く響いた。

 こいつは、あんな田舎から自分を運んで、お疲れと労っているのだ。こいつのことだ、あの時刻亭近くや木魂の都の国境を越えるまでの道のりが険しいことくらい知っているだろう。そんな道を、人一人担いでこんな遠いところまで、人間の足で行くのはとてつもなく苦労する。

 理音はそれを労った。労うだけで、ほかは何もしなかった。

 昴は歯を食いしばって、その拳を理音の腹に打ち込んだ。理音は一瞬だけ弾んだ。喉から手でもなんでも出そうな勢いで、むせた。悲鳴もあげない。

「お人よしが……!」

 理音は答えない。

「そこで、辞世の句でも考えとけ」

 昴は、殴った理音の腹をぼうっと眺めながら、言葉をしぼり出す。理音とは目を合わせない。

 解剖室を出て、昴は、らしくもなく常盤はどこだろうとさぐった。床が歩くごとに小さくぎしぎしと言って、その音が昴の耳にいつまでもこびりついて離れなかった。


 初めての投稿でどきどきです。どきどき。

 一年くらい前に書いたお話を少し改良してみました。昔の私はこんなん書いてたのか……

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