第3話 苦しみ浮かぶは『母親の最期』
「あ、アァァァァァアァァッ!
指が‥‥‥なんでッ!?」
「『貴様の命はコインに委ねた』。
そう言っただろう?
そのコインで裏を出す度に、
貴様は少しずつ、死へと前進する」
そんな話、聞いていない。
俺は抗議の目で怪物を睨みつけたが、
「恐怖を孕んだ血肉は、格別に美味いな。
刻一刻と味の変わっていく生物を、
少しずつ食す贅沢。
なんと、幸福なことか」
自分の小指を美味しそうに食べる怪物を見て、
すっかり震え上がってしまった。
「さぁ、どうした、早くコインを投げろ。
そうしている間にも、貴様の体からは血が流れ、死が近づいている。
もし気が済んだのなら、そう言え。
死を受け入れた時点で、
味の変化は終わってしまうからな。
一思いに平らげてやる」
ポタポタと、肉の断面から命が流れ続ける。
試行回数を稼ぐためにも、
早くコインを投げるべきだ。
そう思う一方で、
鮮烈な痛みへの恐怖が、コインを掴んで離さない。
なにか、何かこの状況を打開できる策はないか?
必死になって、頭の中を探り回すと、
○転移にともないランダムで1つスキルを付与する。
脳に焼きつけられた情報の断片が、痛みに霞む意識の底から浮かび上がった。
ランダムで与えられるスキル。
それがどんな役に立つかは分からない。
けれど、『希望』であることには違いない。
自身の持つスキルに集中すると、
脳が即座に回答を提示した。
俺に与えられたスキルは―――。
攻撃系スキル:
『ミニ・フレイム(C)』
‥半径1メートル以内の任意の空間に、
手のひらサイズの炎を生み出す。
「グゥゥゥゥゥッッ!」
顎がくだけんばかりに、歯を食いしばる。
(『C』ってなんだよ!
これ絶対、1番レア度の低いスキルだろ!
せめて『ミニ』を外してくれ!
『フレイム』だけならまだカッコいいから!
あと、有効範囲が1メートルって短すぎるだろ!)
こんなスキルでどう魔王に立ち向かえば良い?
神様は無慈悲なのか、絶望的に頭が悪いのか。
俺は、ただただ運に任せてコインを投げ続けることしかできないのか?
‥‥‥いや、違う。
「『ミニ・フレイム』
―――熱ッ!」
スキルを唱えると、意図した通りに切り取られた小指の断面を小さな炎が舐めた。
じゅっと肉が焦げる匂いが立ちのぼり、鈍い痛みが駆け抜ける。
それでも……血は止まった。
「良い心がけだ。
無様でも、みじめでも、醜くてもよい。
己の持つすべてを出し切って、
全身全霊で余を楽しませろ」
必死に足掻く俺を見て、魔王が愉快に嗤う。
(よし、成功だ。
『ミニ』・フレイムだったおかげで、変に火傷せずにすんだ)
俺は心の中で、自分を奮い立たせる。
取られたのが小指だったからまだ助かった。
けれど次は何を持っていかれるか分からない。
成人男性の血液量はおよそ4〜5リットル。
そのうち1リットル失えば命の危険がある。
だから少しでも生き残る可能性を上げるために、失う血の量は極力減らさなければならない。
小指のなくなった手のひらの上で、金貨が輝く。
血は止まったが、恐怖が消えたわけではない。
体はまだ小刻みに震えている。
けれど小さな成功体験が、確かな勇気を燃やした。
「頼む、出てくれ!」
―――チャリン。
「『裏』だ、左耳をもらう」
―――チャリン。
「『裏』だ、右足の親指をもらう」
―――チャリン。
「『裏』だ、左手の人差し指をもらう」
―――チャリン。
「『裏』だ、右腕の皮膚をもらう」
コインに刻まれた髑髏の笑みが、まるで俺の不幸をあざ笑っているように見えた。
(……嘘だろ。
なんでこんな連続で裏が出るんだよ)
5回連続で裏。
確率にして、32分の1。
ありえないことではないが、何か細工があるのではと疑いたくなる。
恐怖で立ちすくまないよう、
俺は無心でコインを投げ続けていた。
けれど、さすがに心が折れかけてしまう。
絶望に悶える俺を見下ろしながら、
魔王が意味ありげな笑みを浮かべる。
「疑いたくなる気持ちも分からなくはないが、最初に言った通り、そのコインに細工など存在しない。
表が出る確率も裏が出る確率も2分の1だ。
余の領域に入ってさえいなければ、すでに表が出ていてもなんら不思議ではない」
俺はその言葉の意味が分からず、ただ呆然と立ち尽くした。
そんな俺の反応を見て、魔王は口角をさらに吊り上げ、楽しそうに嗤って言った。
「言ったはずだ。
余は、『魔王』。
余は、『不条理の上の不条理』。
なんの力もない人間風情が、余の眼前で『運』を味方にできると思うな。
どれだけ勝率の高い賭けをしようと、貴様ら人間には万が一の勝利もない」
―――グハハハハハハハハッ!
魔王は地を揺るがすような高笑いを上げた。
希望を与えてから、絶望に突き落とす。
実に魔王らしい。
打ちのめされ、生気を失った俺の顔を見て、魔王は満足げに目を細めている。
(……え?
じゃ、じゃあ、最初からこの勝負に勝ち目なんてなかったのかよ)
表を引き当てる確率はたしかに2分の1だが、魔王の前に立った者はとてつもないほど不幸になり、その2分の1を引き当てることができないらしい。
まさに、存在自体が『不条理』。
足から力が抜けて、へたりとその場に座り込む。
全身の震えが止まらない。
冷たい汗が頬を伝い、地面に落ちていく。
(はは、そうだよな。
おかしいと思ったんだ。
魔王がこんな簡単な賭けを挑んでくるはずがない)
俺はもう、自分の運命を知ってしまった。
どれだけ必死に足掻こうと、最後には絶望的な『死』が待っている。
―――チャリン。
「『裏』だ、左目をもらう」
それならば、きっぱり死を受け入れて、少しでも苦痛を減らした方が良いのではないか?
―――チャリン。
「『裏』だ、右足の大腿骨をもらう」
もう、コインを投げるべきではない。
―――チャリン。
「『裏』だ、すべての爪をもらう」
頭では分かっているのに……なぜだろうか?
―――チャリン。
「『裏』だ、大腸をもらう」
俺は意地になって、コインを投げ続けた。
―――チャリン。
―――チャリン。
―――チャリン。
……。
「『裏』だ、残った両腕をもらう。
貴様は人の身でありながら、
余を心の底から楽しませた。
誰にでもできることじゃない。
誇れ、そして、安心して去ね。
お前は、余の記憶の中でずっと生き続ける」
体の大部分を失い、ついにはコインを投げるための両腕までも失って、血溜まりで咽ぶだけの俺に、魔王が褒美の言葉を投げかける。
ここまで健闘するとは思っていなかったのだろう。
大絶賛だ、たいへん名誉なことである。
「……うるせぇよ」
だが、そんなものどうだっていい。
走馬灯の中で、俺は大好きだった母親の最期に立ち会っていた。
==========
お母さんは、とても優しい人だった。
俺を育てるために、朝から夜遅くまで毎日ずっと働いていた。
休む時間なんてほとんどなかったのに、いつも笑って「大丈夫」と言っていた。
本当は、体も心も限界だったはずなのに。
そして俺は、お母さんが大好きだった。
お母さんのためなら、どんなに辛いことでも我慢できた。
母子家庭でお金もなくて、俺は家事を手伝いながら、放課後はアルバイトを掛け持ちしていた。
毎日毎日、馬車馬のように働く。
それでも勉強だけは絶対に手を抜かなかった。
将来、いい大学に入って、有名な会社に就職して、お母さんに楽をさせてあげたかったから。
同級生たちが部活や恋に盛り上がっている間も、俺はずっと机に向かっていた。
貧乏で塾に行けない分、寝る間を削って勉強した。
眠気に負けそうになったときは、太ももにコンパスの針を突き刺して、無理やり目を覚ました。
そんな日々を続けて、
ようやく初めて校内模試で1位を取った翌日。
―――お母さんが、病気で倒れた。
前々から違和感を感じていたらしいが、病院に行く時間もお金もなかったため、発見が遅れた。
「お母さん、すぐに病気治して仕事に戻るから。
太一は勉強に集中してね」
お母さんはそう言っていたが、医者からすべてを聞いていた俺は、病気が簡単には治らないことを知っていた。
治療を続けるには、多額の治療費が必要なことも。
その日から、俺はほとんど学校に行かなくなった。
勉強をきっぱり止め、起きている時間のすべてをアルバイトに費やした。
きっと、あのまま勉強を続けていたら、旧帝大学に入ることも夢じゃなかった。
順風満帆な未来が待っていただろう。
だが、それでは遅いのだ。
お母さんに楽をさせてあげるために勉強を頑張っていたのに、肝心のお母さんがいなくなってしまっては、なんの意味もない。
「なんでアイツ学校来なくなったん?」
「なんか、ずっとアルバイトしてるらしいよ。
母親が病気になって、金がいるとかなんとか」
「へぇ、気の毒だけど、個人的には嬉しいかな。
学年テストで1位を狙いやすくなったからw」
「ちょ、お前、正直者スギw」
俺のことは学校で噂になっていたらしい。
そんなもの、まったく気にならなかったが。
(金、金、金、カネッ!
カネがいるんだよ!)
お母さんの治療費を稼ぐために、俺はひたすら働き続けた。
働き続けて、働き続けて。
いつの間にか、同級生たちは大学へ進学していた。
そしてそれとほぼ同時期に、お母さんの病気が急に悪化し、1年前、お母さんはついにこの世を去った。
肌寒い木枯らしが吹き荒ぶ、秋の夕暮れ。
消毒液の匂いが漂う病室のいちばん奥。
白いカーテンで仕切られた病床。
目も当てられないほどにやつれたお母さんは、それでも最後まで穏やかに笑っていた。
「これからは……自由に生きて。
愛してる」
==========
「よく見ろ……バカ野郎。
俺は……まだ……生きている!」
運命は変わらないのに。
なぜ、意地になってコインを投げ続けたのか。
俺はようやく思い出した。
(見ててくれ、お母さん。
俺はもう、だいじょうぶだから。
お母さんの言うとおり、
今度こそ自由に、好きなように生きるから)
「―――すばらしい」
魔王は小さく、感嘆の声をもらす。
これこそが『愛』。
これこそが『人類の力』。
人は愛ゆえに『悲劇』と『不条理』を生み出す愚かな存在ではあるが、時に、人は愛ゆえに、神や悪魔の想像を超える『奇跡』を引き起こす。
(もう、神になんて祈らない。
俺は、俺の力で、絶対に生き残ってやる!)
両腕を失った俺は、虫のように体を捻りながら、コインのもとへ向かった。
「あぐっ」
コインを噛んで、暗い天井を仰ぐ。
腕がなくたって、コインを投げることはできる。
「ぺっ」
血の混じった唾液と共に、コインを吐き出した。
―――チャリン。
耳元で、コインが落下した音が聞こえた。
最後の力を出し切った俺は、首を横に振って結果を見ることさえできない。
結果を目撃したのは、魔王だけである。
「―――余は、祝福する」
血溜まりに横たわるコインは、間違いなく『十字架』を示していた。
「誰がなんと言おうと、
余は、お前のすべてを肯定する。
なぜなら、お前はこの世界で初めて、
この世界の『不条理』に打ち勝った男だからだ。
いつか、また、この地で会おう。
そして―――」
魔王の祝福を聞きながら、
俺はゆっくりと眠りについた。
第1章はこれにて完結です!
ブクマを気軽にいただけると、作者の励みになります!
ぜひよろしくお願いいたします!
よろしくお願いいたします!




