初恋
「……綺麗……」
危険な状況にも関わらず、わたくしの口から溢れたのは賛美の一言だった。
聖女の魔力や、宮廷魔法使いを毎日のように見ていたはずなのに。そんなものとは比べ物にならない。高貴な方々を〝そんなもの〟という適当な単語で扱えるほど、洗練された魔力だった。
ただの魔力の塊がそこにあると言われても、信じてしまうほど純粋な力。
勘のいい貴族に見つかってしまえば、いいように使われてしまいそうなほど純度の高く強い力が込められたもの。
魔力を直接纏って戦うわたくしにとって、喉から手が出るほど欲しくなる。
わたくしはふらりと物陰から歩みだす。見える場所に出れば狙撃されるのは分かっているけれど、その美しさの正体を見てみたい。
案の定、わたくしが出れば再び石が飛んできた。
どこから飛んでくるかが分からないし、いなしきれる自信がない。だからわたくしは体全体に魔力を纏うことで、鎧としての役割を作った。
高純度の魔力による魔法を受けた石は、わたくしの魔力鎧に当たるとどこかへと飛んでいく。きちんと弾き飛ばされたようで安心する。
しかし鎧はたった一度の攻撃で、〝穴〟が出来てしまった。ブレヒチェの攻撃ですら受けきれたこの魔力が、小石程度で破壊されるなんて。
わたくしは壊された部分に、再び魔力を被せる。
――さあ、どんどん撃ってきて。貴方へと辿り着く前に、わたくしを殺せるかしら。
強い魔力の元へと、ゆっくり歩を進める。わたくしが動いたことで焦っているのか、魔力の揺らぎが激しくなる。
わたくしが場所の特定まで出来ているから、さらに焦っているのでしょうね。壁の後ろに隠れているというのに真っ直ぐ歩んできたら、それはそれは恐ろしいもの。
焦らすために、困らせるために。わたくしはゆっくりゆっくり歩く。
急いでいるのに投げつけられる石は、正確。これは本当に逸材だわ。
ああ、あと数歩。この短い距離が惜しい。一気に距離を詰めて、その正体を知りたい。
だけれど同時に、距離を置いておきたい気持ちもあった。どうしてだか羞恥心が湧き上がり、顔が、体が火照りだす。
あれだけ王子に執着しなかったわたくしだと言うのに、ここに居る方を離したくない。殺意でも好意でもなんでもいいから、わたくしにその研ぎ澄まされた魔力を向けていて欲しい。
――……まさかこれが、恋なのかしら!
「もし、そこの方。あっ、えっと……その……」
――ああ! 恥ずかしい!
わたくしが言葉に詰まるなんて、なんてこと。
きっと――などという言葉はないわ。わたくしは完全にこの魔力に見惚れてしまった。どんな方であろうと、隣にいてくださるだけで心地がいいに違いない。
あの愚かな王子を、下手に馬鹿に出来なくなってしまった。恋というものは、人をここまで狂わせる〝病〟のようなものね。
……あら? そういえば石が飛んでこないわ。
魔力はここにあるままだし、この方は移動されていないはずだけれど……。わたくしの話を聞いてくださるということかしら。
「……逃げないのか」
「…………ッ」
きゃあああっ! ――とでも、はしたなく叫びそうになる。とりあえず脳内で叫んで耐えてみせた。
奥にいらっしゃるのは男性のようね。いえ、とても低いお声の女性かもしれない。どちらだって構わないわ。
ああ、でも女性だった場合に、我が国では婚姻を認められないかしら。くっ、今のわたくしには法をどうにかする権力があまりない。いっそのこと国を捨てて、いえいえいえ駄目よ、落ち着いて。
「わっ、わたくし、あのっ、貴方に……」
「……俺に?」
「へ……」
ざり、と小石の鳴る音――ああ、足音ね。この方が壁の向こうから移動して、体を、出して、わたくしの前に……。
……。
…………。
――直にその純度の高い魔力を浴びたわたくしは、一瞬だけ意識が飛んだと思う。おそらく顔は茹でダコのように真っ赤になっているに違いない。
砂埃まみれの衣服が恥ずかしく感じるほどに、体中が冷や汗で溢れ出す。魚のようにパクパクと口を動かして、言葉すら出てこない。
王の前でもすらすらとスピーチをしたわたくしが、恋だの愛だのという、今まで下に見てきた感情でおかしくなってしまった。
目の前に現れたのは、二メートルほどの体躯のオークの殿方だった。オークという種族はこの劣悪な環境には合わないはずだが、わたくしにとってそういった考察はすぐに消えた。きっと肌が荒れてしまっていることだろう――今すぐにでも王都へ連れ帰って、公爵家で至れり尽くせりを受けていただきたいわ。
オークについては詳しくないけれど、以前見た個体よりも随分と小さいと感じた。人間に比べれば大きい方だけれど、オークとして見るならば小さい。
だが彼が間違いなくオークであることを教えるかのように――下顎から突き出る牙、緑色の肌がまみえる。
しかし瞳の色は彼の魔力を表すかのような、透き通ったエメラルドグリーン。清らかな色なはずなのに、わたくしが恋のせいで熱せられて情熱的にも見える。
「ハッ、威勢がいいのも口だけか。俺がオークだと知って、怯えているな」
「はぅ……」
「〝はう〟? 情けない声まで出し――」
「おっ、お願い申し上げまひゅ! それ以上、喋らないでくださいましっ!」
「は?」
――しっかりして、わたくし! 顔すら見られないじゃない!
人族とオーク族は決して仲がいいわけじゃない。ここで悪い気持ちにさせてしまえば、二度とこの方とはお会いできない。
そんなのは嫌。こんなにもぎゅうと胸が締め付けられるというのに、この気持ちを持ったまま二度と会えないなんて。耐えられないわ。
こうして思えば、失恋や遠い距離の恋人達を本当に尊敬してしまう。
「……こほんっ! わ、わたくしは、ヘルディナ・ローデンビュルフと申します。アールセン王国から、ドラゴン討伐に参りました」
「……生憎だが、見た通りだ。うちには働き手の住民はいないぞ」
ここは獣人の街のはず。どうしてだか彼の住んでいる街のようにも聞こえる言い方だった。
オークは比較的、森のような環境に済むことが多い種族だ。知能はあるため別の地域でも生きていけるが、単身で、しかもこんな火山の近い場所にわざわざ住むだろうか。
どうにも言動の一つ一つが、街を守ろうとしているようにも受け取れた。
一人で行動していることもそうだが、何かがひっかかる。
「……? いえ、戦闘から全てわたくし一人で完結致しますので、お手伝いは結構ですわ」
「お前一人で? ……ああ、まあその魔力ならば問題ないだろうな」
「ん゛んっ!」
駄目だわ。皮肉で言っているのかもしれないのに、そのまま受け止めてしまう。どんな些細な評価であっても、全て真っ直ぐに突き刺さってしまう。このお方から何を言われようとも無敵だわ。
あぁ、でも拒絶されたらどうしましょう。この状況から察するに、一生立ち直れないに違いないわ。
「俺も行く」
「ひぇ!? だっ、だだだだ、駄目ですわ! 危ないですし、その……」
「火山ならば何度も行った。お前が何か変なことをしないか監視するためだ。手伝うつもりはない。それともお前は、俺がオークだから拒絶をしているのか」
――違います!
わたくしは貴方に一目惚れして、お慕いしております! この身、この心ごと差し上げても構いません。貴方の為であれば、殺人だって厭うことはないでしょう。
出来ればわたくしのギルドに来ていただいて、一緒にお仕事をしたいけれど。ずっと隣にいて欲しいけれど。
でも人間を憎んでおられる貴方には、難しいことでしょう。承知しております。
王国のやったことと、貴方の心についた傷で、わたくしの恋は失恋と決まっております。だけれど、だからこそ。
わたくしは貴方に不愉快な思いをさせないと誓います。
「……な……お、お前……」
「え?」
「それ、本気か?」
「え? え? ……あっ!」
まさか、口に出ていた!? この反応からして明らかにそう。
告白なんてするつもりはなかったのに。このまま火山に身を投げて死にましょうか。
わたくしは立ってすらいられず、その場にしゃがみこんだ。膝を抱えてぶるぶると震えている。
こういう場合、どうしたらいいのか分からないのだもの。恋をしてどうしようもなく感情が揺れるとき、皆様はどうしているのかしら。
「あー、その。お前の言っていることは嘘では無いと理解した」
「はい……」
「だが俺も火口にはついて行く」
「その、不躾な質問で申し訳ないのですが、もしやドラゴンを討伐することはタブーだったりされますか?」
「それはない。奴の機嫌が火山活動に関わっている。俺も苦労してきたから、一発お見舞いしてやりたいだけだ」
宗教だったり、崇め称える存在だったりしたらどうしよう、と悩んでいたが安心した。
一度受けた依頼を、失敗として報告をあげるのは我がギルドとして絶対にあってはならないこと。出来ないと判断するのであれば、受ける前にする。受けたからには何としてでも完遂する。
それが能力を持つ人間の義務だから。
「では参りましょう。……えーと」
「ウルリク。ウルリク・ハグバリだ」
「ウルリク様。どうかよろしくお願いします」
――お名前を聞かせていただいたわ!
ウルリク様。どうにも獣人のようなお名前に聞こえる。お聞きしたいけれど、出会ったばかりですし、人間への怒りを何度も感じられた。
これ以上、ご不快にさせるなんて出来ない。
「出発は明日にしよう。もう日が遅い」
「え? 外は明るいですよ?」
「火山から火の魔法が出ていて、周囲は薄明かりがある。この明るさはもう夜に近い」
「そうなのですね……」
学ぶことばかりだわ。
でもとてもこの地域に詳しいのも気になるわ……。