獣の爪
木彫りで作られた看板には、鋭い爪がある熊の手形が描かれている。これがブラッディ・ベアの印。
小さくため息を吐いて、わたくしはバーの扉をくぐった。
ガランゴロンと乱雑なドアベルが鳴り響いて、わたくしの来店を知らせる。飲んだくれや強者がわたくしを見やると、ギロリと睨みを効かせた。
地震かと思うほどの揺れを伴う足取りで、一人の男が近付いてくる。
朝黒い肌に、ぴかりと光るスキンヘッド。髪の毛がないことで、顔から全ての体中にある傷がより際立つ。それに眼帯を見れば、彼がどれだけ危険な状況で戦ってきたかがわかるだろう。ゆうに二メートルもありそうな巨躯は、並の男でも踏み潰しそうな恐ろしさがあった。
上から見下ろされるように鋭く視線を投げかけられた。
「嬢ちゃん。ここはアンタが来るようなところじゃないぜ」
男がそう言うと、周りの人間もニタニタと下品な笑いを浮かべる。
これがこのバー流の歓迎。余所者や若造、バーに似つかわしくない者はこうして弾く。
わたくしは大きくため息を吐くと、腰に手を当てた。
「ただいま、貴方達」
わたくしが挨拶をすれば、ドッとバーが湧いた。カウンターから何から、わらわらと筋骨隆々の男達がわたくしのほうへと走ってくる。
心配そうな顔つきは、存外愛らしい。先程まで凄んでいた男性は誰一人としていない。だってこの場所は、わたくしの第二の家であり、第二の家族なのだから。
「なっ……、まさか!」
「そうよ。婚約破棄されたわ」
「姐さん!! どうして!?」
「さあ。あの馬鹿王子に聞いて頂戴」
単刀直入に言えばわたくしは、このギルド〝ブラッディ・ベア〟の創立者で、ギルドマスターである。
どうしてそんなことを、公爵令嬢が。それはもちろん、趣味だ。
話せば長くなるのだが、后教育の合間で受けた戦闘訓練にて、わたくしは戦うことが好きだという事に気がついた。
幸いにも理解のある両親に愛された私は、后教育を投げ出さないという約束のもと、戦いに身を置くこととギルドの管理を承諾して頂いた。
最初の資金こそ誕生日プレゼントから出したものの、人材集めや拠点の調達、顧客を受け入れるまで、全て一人でこなした。
王子が何も未来も考えず、男爵令嬢との浮気にかまけている際に、趣味を謳歌していたわけだ。
そして何も知らないマティアス王子は、世間のうわべだけの噂である〝最も荒っぽく危険なギルド〟という話を鵜呑みにして、ここにわたくしを追いやった。
確かにブラッディ・ベアは見た目の通り、近寄り難いメンバーで揃っている。だが全員が優秀な冒険者や技術者、犯罪者であったことは変わりない。
何よりもうちのリピーターを見れば明らかだ。はじめは戸惑うかもしれないが、誰もが投げ出したような高難易度の依頼ですら完遂する。
利用者の声が広まり、そういった困難な依頼はうちに来ることが多い。
力を持て余しているメンバーからすれば、やりがいのある難しい仕事が向こうからやってくるのだ。とても素晴らしい体制が整っているギルドだと自負している。
「でもなんで姐さんがここにいるんです?」
「何故かここの運営を罰として命じられたのよ」
「……?」
先程から会話をしている二メートル級の大男は、リュド・オンネスだ。
簡単に言えば代理ギルドマスター。わたくしが不在の時にギルドマスターとして運営してくれる。
もともと大手である冒険者ギルドに所属していたのだが、その豪傑さを越えた荒々しさは、大手ですら手を焼いているほどだった。
わたくしが〝お灸を据えて〟こちらへ引き込み、現在はだいぶ落ち着いている。猛獣を従えるには、強者がどちらかを教え込む必要があるというわけ。
「じゃあ二重生活がなくなるってことですかい!?」
「そうなるわね」
「そいつはいいことだ! カミさんと心配してたんですよ! いくら姐さんでも、あんな生活続けてちゃあ、いつか体を壊しますからね」
「ふふ、心配有難う。そのブレヒチェは今どこに?」
「パウラと話し合いをしてまさぁ。金の話となると俺ぁ分からんもんで……」
リュドを代理マスターとして置いているのは、彼の名声を利用した抑止力のため。組織内部的な管理能力は、あまり長けていると言えない。
そこで登場するのがわたくしの秘書でもあり、リュドの妻でもあるブレヒチェ・オンネス。暴走魔獣のようなリュドをうまく操る――尻に敷いているとも言う――のが、彼女だ。
わたくしはバーの奥へと向かった。
このバー〝獣の爪〟は、ギルドの拠点ということもあり、バー以外の設備が幾つも備わっている。
わたくし用の執務室に、会計担当のパウラ・ポストマ用の部屋。基本的にみな仕事の話もバーでするが、人で溢れかえったときのために会議室もある。
裏には鍛冶場も存在し、それを試すための訓練場も地下に作った。
休憩室まできちんと完備しており、下手なギルドよりも規模が大きいはずだ。
わたくしはその中の、執務室に向かう。もちろんパウラの部屋だ。
戸を叩けば二人分の声が返ってくる。片方がブレヒチェで、片方がパウラだ。
返事を聞いて、わたくしは扉を開けた。目に飛び込んでくるのは、美女が二人。
――ブレヒチェ・オンネス。ウェーブのかかった茶髪に、黒い瞳。ありきたりな髪色も目の色も、美貌という武器が彼女を強くさせている。
元宮廷魔法使い。国でも指折りの魔女であったブレヒチェは、騙された末に追放を食らった可哀想な魔女。様々な運が重なって、リュドという素晴らしい伴侶に出会えた女性。
わたくしと同じく、第一王子たるマティアス王子を憎んで嫌っているところは、とても嬉しいところ。
――パウラ・ポストマ。奇抜な緑色の髪に、青い瞳。ドレスやスカートを好まないようで、今日もパンツルックだ。
商人として順風満帆だった彼女の人生は、聖女の家であるカルス男爵家によって潰された。
仕事も何もかも奪われた彼女は、仕方なく犯罪に走る。そこをうまく手に入れたのは、このわたくし。
現在はギルドの会計士として活躍してもらっている。
「よう。お嬢。新聞で読んだぜ、婚約破棄だってな」
「そうなのよ、パウラ。有り難いことに」
「その追放先がこのギルドだなんて。あの愚か者はもう少し下調べとかしないのかしらね」
「するわけないだろ。あの宮廷魔法使いブレヒチェサマを追放する馬鹿だぜ」
「その話はやめて」
「二人が話し合いっていると聞いて来てみたけど、問題ないみたいね」
わたくしがそう言うと、ピタリと笑いが止まった。……どうやら違うらしい。
パウラが大きなため息を付いて、ブレヒチェが苦笑した。
ブレヒチェはくるくると指を回すと、机に置いてあった資料の一つ――依頼書が飛んでくる。わたくしはそれを手に取るわけでもなく、目の前の空中にて静止した状態の依頼書を読み出した。
そこに記載されていたのは、素材回収の依頼。ただの素材などではなく、伝説とも言えるドラゴンの素材だ。
しかも一つや二つじゃない。ドラゴンまるまる一匹必要とも言えるほどの量だった。ドラゴンを用いて防具を作る、などと書いてある。
確かに伝説級であるドラゴンを素材にするのは、いい案だろう。だがそれは本当にその素材を理解して、扱えた時の話。
ドラゴンを討伐できる相手と対峙した場合、それでできた防具は意味を成すのだろうか。
「差出人もなし……」
「おおかた、金のある冒険者だろ。自分自身をブランドとして自慢したいだけ」
「まあ……。お金になるなら別にどうってこと無いわね。受けるのでしょう?」
「受けたいのは山々なんだけど、今はちょっと主要メンバーが別のところに出払ってんだよ」
――なるほど。
幾ら精鋭揃いとはいえ、ドラゴンレベルとなると人材も限られてくる。丁度良くも悪くも、その討伐可能な人材が別の仕事に当たっていると。
確かにバーが少し静かだったものね。
そうは言っても、こんな大きな仕事を逃すわけにはいかない。相場を舐めたような金額ではなく、素材と技量相応の金額を出しているきちんとしたクライアントだ。
匿名というのが引っ掛かるけれど。……彼に調べさせようかしら。
「わたくしが行くわ」
「お嬢ならそう言ってくれると思ったぜ」
「相手の素性がわからない以上、きちんと報酬は回収するように」
「任せな。あたしを誰だと思ってんだ」
「ブラッディ・ベアの優秀なスタッフよ」
「お、おう……。そうだぜ……」
「このまま出るわ。申し訳ないけれど、もう少し皆でギルドを運営して頂戴ね」