始まりは続きから
いつからだったか。わたくしは戦うのが好きだった。
魔法の使えない無能令嬢として世間で知られているわたくし、ヘルディナ・ローデンビュルフが言えば、さぞ笑われることでしょう。
だけどそれは、魔法の一部の知識しかない人間が笑うこと。
炎なんて操れなくても、氷の山を作れなくたって、戦うことは出来る。肉体と魔力さえあれば。
わたくしの得意とする戦い方は、己の肉体に魔力を宿して強化をする戦い方。基本的にこんな戦い方をする人間はおらず、いても冒険者がたまにやっているくらいだろう。
大抵の人は、魔力を直接纏わせるのではなく、強化魔法を使うから。
それに単純に魔力を付与して強化するだけの技術は、初歩の初歩とされている。
だけどそんな初歩的な技術で、わたくしは〝歴史〟を築いて来た。それを証明するのは、わたくしの作りあげたギルド。そしてそこに在籍する、第二の我が家族たち。
「姐さん、やりますねえ!」
「貴方は手加減をしすぎよ、リュド!」
現在、わたくしはギルドの訓練場にいる。
訓練場に響き渡るのは、金属がぶつかり合う音。相手は巨大な斧を手に、わたくしは――素手で戦っている。
壁際には観戦しに来たギルドメンバーが、ハラハラとした表情で見守っていた。
わたくしが戦っているのは、二メートルをゆうに超える熊のような大男・リュド。体中に傷のある、スキンヘッドの男。
眼帯をしているのにも関わらず、その斧さばきは的確だ。間違いなく相手の急所を狙っている。でもすんでのところで当たらない。
……鈍っているわたくしを気遣って、手加減をしているのがバレバレよ。
「だって、姐さんは久々に戦うじゃありませんか! 怪我でもさせたら大事件ですぜ!」
「ふっ……」
怪我、ですって。見た目にそぐわない優しさは、彼のいいところだろう。メンバーが兄として慕うのもわかる。
わたくしを案じているのは嬉しい。我が家に所属するメンバーとして、相応しい振る舞いだ。場所が違えば彼を褒め称えていることだろう。
だけど侮ってもらっては困る。
鈍っているわたくしを叩き直すためにやっていることなのだから、お互いに全力で対応しなくては、失礼というもの。
それに殴って解決のできない貴族・令嬢社会から抜け出して、鈍った体と気分転換に戦いに来たというのに。手加減をされては困ったものだ。
「舐められたもの――ねっ!」
魔力を足と腕に込める。訓練場の床が、ビシリと音を立ててひび割れた。爆発音とともにわたくしの体は飛び出して、リュドへ目掛けて高速で攻撃を仕掛けた。
リュドは咄嗟に斧を体の前に持ち、盾のように構えた。彼の経験と本能的な動きだった。知性だけで判断していれば、今頃死んでいたかもしれない。
だがわたくしの攻撃は、盾程度で防げるものではない。
わたくしの右の拳は、リュドの持つ盾に直撃した。耳がおかしくなるかというほどの轟音が、訓練場内に響き渡る。ここは地下室ということもあって、密閉されているがゆえにより響いた。
うちの手練れの技術者が作ったというだけあって、斧はそう簡単に壊れなかった。リュドはニタリとしたり顔を見せたが、わたくしがこれで満足するとでも思ったのだろうか。
無尽蔵にある魔力を、再び拳に集中させる。筋力や腕力が増加され、触れている部分に圧がかかる。
「お、おい、姐さん!」
「手加減の〝お礼〟よ」
「ちょっ、勘弁――」
勘弁してくれ、と全てを言い終える前に、リュドは吹き飛んだ。
斧は激しく粉々になり、壁に打ち付けられたリュドは背も腹も傷だらけのボロボロだ。
リュドをこれだけに出来るなら、まだまだ衰えてはいないわね。合間を見つけては一人で修行をしてきた甲斐があったというもの。
「……姐さん……ここ、地下っすよ……」
「分かっているわ。破壊にはならない程度に抑えたもの。貴方も生きているでしょう?」
「…………はは、流石ですぜ……」
地下室である訓練場を破壊したら、上にある我が家も壊れてしまうもの。
……とはいえ、ちょっとボロボロになってしまった。あとで双子に修復でもお願いしましょう……。
「付き合ってくれて有難う。わたくしはそろそろ行くわ」
「夜会ですか」
「ええ。王子が開いたの。大切な発表があるらしいけれど……」
◆
「ヘルディナ、お前との婚約を破棄する!」
「……」
ああ、ベラベラとなにか喋っている。この肉体――マティアス・ファン・アールセン第一王子。王族に伝わるプラチナブロンドヘアも、透き通るような青い瞳も、今となっては何も輝かしく見えない。
隣に抱きかかえているのは、例の浮気相手――聖女であるステファニー・カルス男爵令嬢だろう。わたくしとは大違いの守りたくなるような愛らしい顔立ちに、桃色の柔い髪。包み込み太陽のような温かさのあるオレンジ色の目を見れば、誰もが虜になる。
癒し手だというのも納得。
それに引き換えわたくしは、この状況に相応しい悪女たる風貌。
全てを焼き尽くすようなぎらぎらとした赤毛。恐ろしいとも言われた鋭い金色の目。
シンプルでいいわね、と選んできたマーメイドドレスは、フリルをふんだんに盛り込んだ愛らしいステファニー嬢と比べるときつい印象となる。
……まぁ向こうのドレスも、まるでお遊戯会のようですけれど。
わたくしが拳を突きつければ肉塊に成り下がると言うのに。知らぬが花とは素晴らしい諺。この喋る肉に花という高貴な喩えを使うのは非常に癪だけれど。
王子が並べているのは、わたくしが聖女である男爵令嬢を虐めたということ。一部正解で、一部不正解だ。
弁明して正す機会があるのならば、わたくしはただ不躾な令嬢に礼儀を叩き込んだだけ。マナーも理解出来ていない庶民上がりの少女――たかが癒やしの力があるというだけ――に、貴族社会とはどういうものかを説いただけだ。
ご両親は事業に成功され、さぞ功績をおさめたのだろう。男爵という爵位を手に入れるのはそう簡単な事じゃない。
そしてそんな平民にしては裕福な彼女が、たっぷりと愛情を注がれて。そして聖女というそれ相応の肩書を手に入れて。〝貴族における常識〟を欠けたままこの世界へやってくれば、無礼や不躾が続くのは当然のこと。
公爵令嬢としてわたくしはそれを正したまでで、叱られることに慣れていない彼女にとってはそれが〝虐め〟と捉えられたのでしょう。
「わたくしは正しい行いをしたまでですわ」
「何を……! 戯言を言うな!」
――戯言は貴方よ。
婚約者である令嬢――つまりわたくし――を差し置いて〝天真爛漫〟な彼女を愛した。 別に浮気を咎める訳では無い。だってわたくしはあの方に興味も微塵もない。それに恋に落ちたのが、まあ聖女であるだけマシ。国のためにもなる。
とはいえ。
問題なのは、彼がこの国の顔であること。そしてわたくしがその顔である彼を立てるために、青春時代を潰してまで妃教育を受けたこと。
それが〝真実の愛〟とやらで一瞬にして粉になって風に乗り、消え去った。
実に滑稽。
ここで強く出ないのは、彼女が聖女という立場であるというのを考慮しているから。国を、民を癒やす力を持つ彼女が優先されるのは、わたくしとて分かっている。
だがそれでも、躾のなっていない女との愛だの恋だので、私の十数年が無に還るのは苛立ちを覚えるばかり。
「魔法の使えないお前は、聖女であるステファニーに嫉妬したのだろう!」
「お可哀想なヘルディナ様……」
舞台俳優も大笑いの演技で、二人は何か言い始める。
確かに彼らの言う通り、わたくしは魔法が使えない。それは貴族も民も、誰もが知る事実。
専門家が言うには、魔力の回路が魔法を使うために出来ておらず、下手に使おうものならば不発――悪くて暴発。そして死が待っているという。
令嬢であるわたくしが魔法を使う理由は殆ど存在しない。戦いに追いやられることもないだろう。
だが聖女を引き合いに出されると、それが更に優劣を決める材料となる。魔法が使えない公爵令嬢と、聖女である男爵令嬢。国としてどちらを優先するべきか。
わたくしはチラリと国王を見やる。表情は変わることなどなく、ただわたくしを見下ろしていた。――どうやら、婚約破棄は決定事項のようだ。
わたくしが必死に尽くしてきた国は、そちらを選ぶらしい。
さて。破棄されたとはいえ、ここでただ終わるような王子ではないだろう。男爵令嬢――聖女様が言うには、わたくしは悪事を続けてきたのだから。
極刑となれば猛反対させて貰うが、追放程度なのであれば甘んじて受けるとしよう。
「お前には罰を言い渡す! 罰として――ブラッディ・ベアの管理を命じる!」
「……」
………………はい?
◆
ギルド〝ブラッディ・ベア〟――そもそもギルドとは。
ギルドとは、殆どが民間運営の仕事請負グループだ。大手で言えば冒険者ギルドなどが存在する。
冒険者で大金を手にした者のなかでは、自身のギルドを作って更なる大金を狙う者もいる。
そんなギルドが乱立するこの世界で、悪名高くも強者揃いであるのが――〝ブラッディ・ベア〟だ。
ブラッディ・ベアは、この国における様々な依頼を請け負うギルドの中で、最も柄の悪いギルドである。どのギルドにも所属できないような、犯罪歴のありそうな者達が集うとされ、その代わりに何でも請け負うという汚れ役。
街にあるバー〝獣の爪〟を拠点としており、その周囲は近付くことすら勇気が必要である。
わたくしはそんなバーの前に立っていた。