人魚の泣く丘
こちらは黒森 冬炎様主催の『劇伴企画』参加作品となります。
カテゴリーはBですが、もしよろしければ海を懐かしむような、優しい音楽を聴きながらお読みください。
「まだ真淋は、ももばあちゃんの部屋にいるのか?」
「しかたないじゃない。あの子、おばあちゃんっ子だったでしょう。夏休みはおばあちゃんの家で過ごすんだって、いつも楽しみにしてたから」
ドアの外から、ママとパパの話し声が聞こえてきます。真淋は答えずに、おばあちゃんの眠っていたベッドに顔をうずめました。ほんのりと磯の香りがします。おばあちゃんは、具合を悪くするまでいつも、海でごみ拾いをしていたのです。
――この町の海が、もっときれいになれば、昔みたいに人魚もまたやってくるって、おばあちゃんいつもいってたわ。もっとおばあちゃんとお話したかったのに――
窓の外から、潮風がふきこんできました。ツクツクホウシの鳴き声が、遠くからかすかに聞こえてきます。
「夏も、もう終わっちゃう。来年は中学生になるのに、制服姿、おばあちゃんに見せられなかった」
風鈴の音が、いっそう強くなりました。窓を閉めようとして、真淋は手をとめました。
「なにかしら、これ」
窓際に小さなガラスの小ビンが置いてあったのです。手にとって見ると、中には小さな巻貝が入っていました。
「巻貝を耳に当てると、波の音が聞こえるっておばあちゃんいってたな」
真淋はそっと巻貝を耳に近づけました。ざざ……ざざ……という、かすかな音とともに、誰かの話し声が聞こえてきました。
「……て、……かに、来て……」
「えっ? 誰?」
巻貝を耳から離し、真淋は部屋の中を見わたしました。真淋以外には誰もいません。もう一度巻貝を耳に当てます。
「人魚の、丘に、来て……」
「そうだわ、この巻貝から、声が聞こえてくるんだ」
どこかで聞いたことがある声でしたが、どうしても思い出せません。真淋は巻貝を小ビンにしまいました。
「人魚の丘なら、すぐ近くだわ。だれが呼んでいるのかわからないけど、でも、行かないと」
おばあちゃんからもらった、お気に入りのむぎわら帽子をかぶり、真淋は部屋の外へかけだしました。
人魚の丘は、海岸沿いの、少し小高い丘のことで、ずっと昔に人魚が住んでいたからそういわれていたのです。おばあちゃんが好きな場所のひとつでした。
風でむぎわら帽子が飛ばされないように、軽く手で押さえながら、真淋はかけていきました。丘に着いたときには、汗が額ににじんでいました。すずしげな風が、少し肌寒く感じます。真淋は目の前に広がる海に向かって、大声で叫びました。
「誰? わたしを呼ぶのは、誰?」
返事のかわりに、波のざわめきが聞こえるだけです。真淋はもう一度叫びました。
「答えて! 誰の巻貝なの?」
ちゃぷんっと水がはねる音がします。音がしたほうを見ると、海の中に女の人がいました。青い髪飾りをしています。女の人は真淋にむかって、手招きしています。降りてこいということでしょうか。真淋は急いで丘を下り、海岸へと降りていきました。
真淋が海の中へ足を入れると、女の人がするすると泳いで近づいてきました。真淋よりも少し年上のようです。真淋は巻貝を女の人に差し出しました。
「これはあなたの、巻貝なの?」
女の人はこたえずに、いきなり真淋に水をかけてきたのです。びしょぬれになった真淋は、怒っていいかえそうとしましたが、思わず言葉を飲みこみました。女の人は泣いていたのです。
「ずっと待っていたのに、約束したのに、どうしてあなたは来てくれなかったの? ……百海」
真淋はハッとしました。百海は、おばあちゃんの名前です。
「どうしておばあちゃんの名前を?」
「おばあちゃん? なにいってるの? もしかしてわたしがわからない? あなたの友達のルルカよ」
「わたしは真淋。百海はおばあちゃんの名前だよ」
今度はルルカが言葉を失う番でした。
「……もしかして、あなたは、人魚なの?」
真淋の問いかけに、ルルカはうなずきました。
「そう、わたしは人魚よ。そうだったのね、わたしにとっては少し海のそこで暮らしただけなのに、あなたたち人間にとっては、それだけ長い時間が流れていたのね」
「じゃあ、この巻貝は」
「百海にあげたの。昔、あなたにとってはずっと昔だけど、この海がとても汚れていたときがあったの。本当はたくさんの人魚がこの海に住んでいたのに、みんなもっと深いところへと去ってしまったわ。わたしも移住するつもりだった。でも、あるとき百海の歌が聴こえたの」
ルルカの話によると、おばあちゃんの歌声は、海の中にまでひびいてきたのだそうです。誰が歌っているのか気になって、この海岸に来たときに、おばあちゃんと出会ったのだそうです。
「短い間だったけど、わたしたちはお互いにいろいろなことをおしゃべりした。百海は都会の空気にあわないから、この町に移り住んできたっていっていた。だから、わたしたち人魚が同じように海を去らないといけないことに、胸を痛めてくれたわ。だから約束したの。いつか、この海が昔のようにきれいになったときに、また会おうって。何年かかるかわからないけど、戻ってきたときに、この貝殻にメッセージを送るって」
ルルカは髪に飾っていた、青い髪飾りをはずして真淋にわたしました。それはすきとおるような青い巻貝でできていました。
「だからおばあちゃん、いつもごみ拾いしてたんだ。大切なお友達に会いたいって思ってたから」
わたされた巻貝を耳に当てると、歌声が聞こえてきました。遠い昔に歌われた歌でしょう。おばあちゃんの声でした。
「ねえ、歌って。わたし、ずっと聴きたかったの。百海の歌を、ずっと探していたのよ。あなたならきっと歌えるから」
ルルカにいわれて、真淋は巻貝をそっと胸に当てました。そして、静かに歌い始めました。ずっと昔に、同じようにおばあちゃんが歌った歌を。
波の音は変わらない
海の味も変わらない
変わるのはただ人の心だけ
変えるのはただ人の心だけ
日の光は変わらない
空の色は変わらない
変わってしまったのはなに
変わらないといけないのはなに
ただそれを探し続けて
わたしはずっとあなたを待つ
ツクツクホウシの鳴き声が、真淋と、そしてルルカの歌声に重なりました。いつまでもいつまでも、歌声はとぎれることはありませんでした。
お読みくださいましてありがとうございます。
ご意見、ご感想などお待ちしております。
また、この場を借りて素晴らしい企画を運営してくださった、黒森 冬炎様に感謝の意を表明いたします。本当にありがとうございます(^^♪