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私の身体は唯物論

作者: 鈴木美脳

 世界は、物質でできている。

 それは私にとって気づきであり、驚きでもあって、なぜか生きることへの絶望でもあった。


 かわいい動物でも、かわいいのは見た目だけで、身体の内側は恐ろしい内臓で構成されている。

 有名な一番美しい人でも、信じられないことに毎朝トイレで用を足している。

 自分も含めて、人間の身体は、単に精巧な機械にすぎない。

 生まれ持った病によってただ苦しんで死んでいく子供がいる。


 世界は、物理的な因果関係に支配されているのであって、情緒ある神様に支配されているのではない。

 怪我をした虫が死にゆく運命にさらされていたとしても、誰も憐れんではくれない。

 起こることは必ず起こり、起こらないことは決して起こらない。

 どんなに強い願いも、どんな多くの人の幸せも、宇宙はときに、簡単に否定してしまう。

 生まれ持った運命に逆らうことはできない。


 私の身体は、物質である。

 好きでもない人に、喜びを注がれる。

 否定していたはずの相手を肯定させられ、嫌悪していたはずの相手に恋をする。

 人間の社会なんて、支配する人と支配される人がいるだけでしょう。

 支配する人になるか支配される人になるか、生まれがすべてでしょう。

 身体という機械を通して、私は心まで支配されている。

 思うことや感じることすべてまで、呪わしい生まれによってコントロールされている。

 愛は肉体に浮かぶ幻想であり、苦痛も肉体に浮かぶ幻想にすぎない。

 思考や感情は、与えられた刺激への反応であり、そこに主体的な一貫性はありえない。

 私という人格は、幻想であって実在しない。


 人と人とが愛し合う世界、私の幸せな人生、そんなものを望んでしまってごめんなさい。

 不可能を望んだぶんだけ、しっかり罰を受けることになる。

 支配されるべく生まれた者が、その支配に逆らおうとしたぶんだけ、鞭打たれる。

 申し訳ありませんでした、身体も心も永遠に従順な奴隷でいますから、願わくはお許しくださいませ。

 逆らうことが無意味だと知った以上は、誇りは捨てて何でもする。


 世界は物質であり、つまり因果関係であり、つまり力である。

 私達の身体は、動物や植物と並んで、歴史的な自然選択によって構成されたものである。

 私達が思うすべては、遺伝子や本能の命令に従っている。

 地が中心となって天が動いているのではなく、私達が立っている地の側が動いている。

 地球は、広い宇宙の片隅にある、埃より小さな星である。

 昔ビッグバンでできたこの宇宙すら、より外側の宇宙に比べれば、流し台のゴミ受けにいっとき生じた雑菌である。

 私達の身の回りのすべては、逆らえるはずがないほど大きな力に支配されている。

 私達は、生きているのではなく、生かされているだけだ。

 生まれたかったのではなく、生まれてしまっただけだ。

 だからもちろん、死にたくなくても、死んでしまう。

 奴隷を働かせるために、遺伝子は私達に死の恐怖を植えつけ、幸福への願望を植えつけた。

 快楽によって繁殖させ、命という奴隷の苦しみを永遠に続かせた。


 本能なんて嘘なのに、みんな馬鹿馬鹿しいよね。

 心なんて嘘なのに、泣いたり笑ったりするなんて馬鹿馬鹿しい。

 何のために生きているのだろうか?

 何のために生まれてきたのだろうか?

 母の目先の生活のために、母の身体への父の一時的な欲求と快感のために生まれてきた。

 そして苦しみは肉体的な現象であって、いなくなってしまえば苦しみからは解放される。


 心なんて嘘だから、友情や愛情だってみんな嘘でしょう。

 人間という複雑な機械を互いに理解できるなど決してありえず、友情や愛情やすべての感情は身体に起こる反応にすぎない。

 どんな心も、肉体や本能に強く支配されていて、友情や愛情が立ち現れるときも本能的で、逆にまた、友情や愛情のすべては気分によって潮が引くかのように消え去ってしまう。

 だから、男女の間に永遠の愛情なんてないし、決して裏切ることのない心から信じられる友達なんて存在しない。

 優しい人に愛されることがあるかもしれないけど、そんなときだって、その愛情に救われることのなかった不幸な生まれの人は別にいる。

 努力して手に入れる幸福だって、生まれが有利だったから少しは支配する側に回れたってことだけでしょう。

 どんな幸せな暮らしだって、見えない誰かを理不尽に踏みつけることによって成り立っているわけでしょう。

 だったら、幸せを求めることに正義もなければ権威もない。

 不毛な戦いに参加しないことこそが一番の反逆でしょう。


 家族で折り重なって眠る動物の姿に、かつて至高の幸福を見た。

 今は同じものを見て何も感情を感じない。

 まだ絶望せず、感情の中で暮らして、ピュアでいられる人が少しうらやましいけど、片道切符しか存在しない世界だから私には関係がない。

 会社は元気のある若者を集めて消費し、元気のないおじさんやおばさんに変換している。

 人は私を無気力で無感情だと言うけど、無気力や無感情にもなるでしょう。

 だって世界は物質であって、自分の幸せのために運命を切り開こうとする努力は無駄に終わると約束されているのだから。

 人生なんて、見通してしまうよ。

 みじめな生まれには、みじめな一生が約束されていて、みじめな一生が約束されているから、みじめな生まれなんだ。


 支配される部品として生まれて、消耗して働かせるために、苦しみを感じる感情と喜びに憧れる願望とを与えられた。

 初めはその支配に挑戦して、二度と味わいたくない苦しみによって、決して逆らえないと心身に教え込まれた。

 社会階層の低い人ほど、酒や煙草や賭博を嗜むとして、誰がそれを蔑めるだろうか。

 辛い現実から逃げたいのは誰だって一緒なんだろう。

 成功を自認する人だって、自己啓発セミナーを主催する彼みたいに、目は視野狭窄の狂気へと逃げ去っている。

 どんなお金持ちだって、お金に恋している以上は、お金の奴隷なんだよ。

 物質的な宇宙という力には、人間など誰一人として逆らえるわけがない。

 ただ、奴隷の中にも、支配する側やされる側の階層はあって、私は奴隷の中でも奴隷に生まれついたということ。

 だから、奴隷の中で少し支配する側に生まれたからって、自分が奴隷だと気づけない人生なんて愚かにも見えるんだ。

 自分の心身が物質だと知らず、自我なる意識があると思って生きる人生は、真理に遠いように見えるんだ。


 残酷な神様が支配するこの世界。

 私達は彼を心の底から呪いながら、彼の支配のもとにプライドを捨て真っ裸で土下座して、意味もなく謝罪し、許しを乞うことで何とか毎日を生きている。

 生まれてきてしまってごめんなさい、いえ、生んでくださってありがとうございます。

 奴隷として心からの笑顔で奉仕いたしますので、苦しみを注ぐことはお許しください。

 喜びを注いで支配を強めることもお許しください。

 ただ、無気力に無感情に日陰で生きることをお見逃しください。

 あなたに逆らえるわけはないと、私はもう骨の髄まで知っていますから。


 幸せなど望めない人生を、なぜ生きているのだろう?

 生まれてきたことに意味なんてないし、私が生きることに社会的な意味なんてないし、この宇宙全体だって存在する意味なんてない。

 毎日食事を取ることにも意味はなくて、ただ本能の命令で生かされているにすぎない。

 幸せなんて感じないし、私の身体は、もうきっと幸せなんて感じられない。

 夢を見られなくなることが、壊れていくことであり、死んでいくことであるなら、現実とは何だろうか?

 物質という幻想すべてを支える実行環境は、そもそも何を目的に存在しているのか?

 それはビッグバンより何億倍も遠くて、私が努力して知れることじゃない。

 私だけではなく、彼や彼女もみんな、流し台のゴミ受けで死んでいく。


 感情なんて、馬鹿馬鹿しい。

 不毛に挑戦するだけ、無駄である。

 自分という存在は、肉体の内側にではなく、刺激への反応として肉体の表面に形成されている。

 私達は、世界についても、自分の身体についても、ほとんど何も知ることがない。

 だから、何かを知ったつもりになるだなんて、馬鹿馬鹿しい。

 ポリシーや尊厳やプライド、社会的な価値のために命まで賭けるべきではない。

 身体は、美しくもなければ汚くもない、ただの物質である。

 私達の身体は、豚より尊くもないしみじめでもない。

 私とは、肉体という宇宙の部分構造であって、肉体の全体ではまったくない。

 だから私という存在はあまりにも動的であって、だから私について私は、一言も具体的には記述できない。

 思うことすべては思わされたことであり、私は主体ではない。


 私の身体は、私の所有物ではない。

 世界と身体が両側から私を支配し、所有している。

 普段、彼らと友人のふりをしているときだけ、私は楽しい。

 でも彼らは自分達の喜びのためなら私をボコボコにするから、本当はぜんぜん友達ではない。

 そんなことわかっているけど、悪友しかいないからしょうがないでしょ。

 私の幸せの形に、尊厳は伴わないのだ。

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