2)TYY
「これがチケットの行先……?」
「おいトウヤ、そんなこと考えてる場合ちゃうぞ! どうすんねんこの状況!」
「ま、まあまあ落ち着いて。ていうかTYYはダサすぎる……」
ステージの袖で、俺たちは客席から聞こえるTYYコールに震え上がっていた。
どうやら俺たちは3人組のアイドルで、今からバカでかいドームでコンサートらしい。しかも場所は、台湾。
これが音楽界の頂点ということか。本当に海外ツアーやっちゃってるし。
「確かにTYYはダサい……やなくて! こんなん無理やて! 踊れへんし歌えへん、もう終わりや……」
華麗なノリつっこみとともにヨシキが頭を抱える。そうだ、無理だ。急に歌って踊れと言われても。
大きな舞台で今から大恥をかくであろう自分を想像して、俺はヨシキのように騒ぐこともできず完全に思考停止している。
唯一なぜか冷静なトウヤが、腹をくくったように俺とヨシキの腕をつかんだ。
「何があっても死にはしないでしょ。行こう。案外なんとかなるかも」
「ならねえよ!」「ならへんわ!」
俺たちの訴えもむなしく、トウヤに引っ張られるようにしてステージの上に駆け込む。
きゃぁああああああああ! と、トウヤのシャウトに何かが似ている歓声が会場内にとどろいた。
俺たちがやっていた音楽とは方向性がかすりもしていないテクノポップミュージックが流れ始める。
頭が真っ白になる。いっそこのまま気絶してしまいたい。
なかばあきらめながらもそう思った瞬間。
俺の身体が勝手に動き出していた。
えっ、と戸惑っているうちに、自然と歌い始めてしまう。
隣に並んでいるトウヤとヨシキも、まったく同じようだ。
これは……練習に練習を重ねた結果、体がステップも音程も覚えている、という感覚。
アイドルだった世界線の過去の俺、ナイス! お前が真面目に練習してくれていたおかげで俺、今踊れてるよ! 歌えてるよ! 助かったよ……!
余裕が出てきた俺は、歌いながら周囲に目線を向ける。俺たちのカラーを表す3色のペンライトが花畑のように客席で揺れている。綺麗だ。
スポットライトはキラキラと俺たちを照らす。きっと客席から見たステージの上も美しいのだろう。
トウヤののびやかな歌声がマイクを通して響く。彼の声質の魅力を最大限に引き出すポップなメロディーに、会場全体が甘く酔いしれる。
ヨシキのほうを見ると、彼は先ほどのパニック状態が嘘のように手を振ってファンサしていた。一番取り乱していたくせに何やってんだ。
でもまあ、良かった。そんなほっとした気分と、夢のようなまばゆい景色を目にした興奮。
俺はうっとりとした気分で、目に見えるすべてを脳裏に焼き付けた。
* * *
俺たちが持っていたチケットを確認すると、「往復」の「往」の欄にチェックがついていた。やはりここが音楽界の頂点ということらしい。
数日間マネージャーに言われるがままに仕事をこなした俺たちは、全員がオフの日にヨシキの部屋に集まっていた。
彼の部屋は大学近くのボロアパートだったはずなのに、この世界では事務所が用意してくれた高級マンションの一室となっていた。俺とトウヤも同じだ。
そして3人とも、大学は中退していた。仕事が忙しくなって卒業をあきらめたみたいだ。
「このチケット、往復なんだから戻りたかったら戻れるんだよな?」
俺の疑問に、2人が「たぶん」と答える。
「でも右端を見て。有効期限が1カ月後になってる」
「ほんまや。ほんならその日を過ぎたらもう戻れへんっちゅうことか」
俺たちは数秒、黙り込む。
沈黙を破ったのはトウヤ。
「……どうする?」
俺は2人の顔をちらりと見てから口を開いた。
「正直……もう少しこのままでもいいかなって。思ったよりも楽しいし」
「せやな。バラエティ番組の収録、死ぬほどおもろいわ」
「バンドマンとして頂点に登りつめる想像をしてたから、ぶっちゃけ思ってたのと違うんだけど……。でも、そうだね」
トウヤが同意の笑みを浮かべる。
「ひとまずこのままで。チケットの期限が切れる前にもう一回話し合って、戻るか戻らないか決めよう」
うん、と3人でうなずく。それを合図に俺たちは怒涛の喋りを開始した。
「てかさ、もう毎日すごくないっ? 会う人会う人丁寧に頭下げて挨拶してくれて。外のロケだと日傘係がつくんだよっ?」
「それな! つーか人気女優と共演するたびにマジかーってビビるんやけど。ここは天国か?」
「SNSもすごいよね。おはようってつぶやくだけでとんでもない数のいいねされるんだよ、どうなってんの一体」
「アイドルやべえわ」
「TYYやべえな」
「ユニット名超ダサいけどな」
「うぇーい」
「うぇうぇうぇーい」
「うぇいうぇいうぇーい」
トップアイドルになっても、俺たちはただただ騒ぐアホなのであった。