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駿馬は生き急ぐ♯4

 

 宿の三階の窓をこじ開けるようにモーリーとトラ子が侵入してきた。

 休日のラシャへと、エドガーからのお誘いだ。

 逢引だろうか。逢引に決まっている。逢引であれ!

 いつか美しく育ったベラがエドガーの正妻となり、自分は良くて妾、悪くて放逐…そんな将来が来るのを恐れていたラシャにとっては、寝耳に水、いやさ瓢箪から駒の報せだった。

「ああ、良かった…忘れられてなかった…」

 海老フライは未だ死なず。

 とても美味しかったのでまた作ってほしい。


 まだ暗いうちに起こされたラシャは、まずは寝癖を直しにかかった。

 寝床でレニと二人で使っている湯たんぽを開けると、まだ少し温かい。ぬるま湯で布を湿らせて、頭に乗せる。

 そのぬるま湯を使って顔を洗い、歯を磨く。

 しゃこしゃこしゃこ…軽快な音を立てて歯ブラシが踊る。ノワールさんの息子さんが作っているという歯磨き道具一式は、仲間内に配るだけだったのだが、最近は工房で販売もしているとか。

 歯磨き粉は酷い味だが、主成分が灰とあっては仕方ない。

 オエッとえづきながら口をゆすぐと、とてもさっぱりする。

「あんた、身体もちゃんと綺麗にしていくんだよ」

「昨夜あっちでお風呂入ったけど、拭いた方がいいかな?」

「一番大事なとこだけはしっかりね」

「え、いやー、そこまでいくかな…」

「臭かったら逃げられるよ!」

「く、臭くないよ!?…多分」

「ぱんつの中に、いい匂いつけてきな。んーーーー…ほら、ゆず」

「無理くない!?もっこりしちゃうよ!?」

「誰がまんま入れてけって言った?匂いだけだよ。ああもう、ほら、脱げ!」

「ああ!ご無体な…寒い!」

 レニに剥かれるラシャ。

「女の子同士でこういうのって良くないと思うの!それにあたしには心に決めた人が…」

「やかましい!そんな粗末な身体いらないよ!」

「粗末!?」

 膝から崩れ落ちるラシャ。頭からは濡らした布が落ち、膝まで下げられた下着が哀れさを引き立てる。

「うう…衣を剥がされた海老フライはただの剥き美人秘書…」

「最近海老フライ好きだねぇ」

「うふ。身がプリプリで、汁っ気たっぷりなのですよ。あたしのように」

「あんた、なんか社長に似てきてないかい?言い回しとか、ちょっと馬鹿っぽい感じが…」

「そんなバカな!」

 追い打ちに愕然とするラシャ。

「確か…収斂進化?っていうらしいよ。同じとこで暮らしてると、別の生き物でも似た感じになってくんだってさ」

 ラシャのケツをペチペチと叩きながらレニは思いだす。エドガーの方の講義でやっていた内容だ。

 生物が長い時間をかけて、どういう状況でどう変わっていくか、なんて知識がレニのこれからの人生で役立つことがあるのか甚だ疑問ではあったが、色々な動物の話が出てきて面白かったので覚えてしまった。

 頭がいいのか悪いのか、よく分からない人だ。

 それにしてもガラパゴスって、どこにあるんだろう?変わった動植物の楽園に、レニはちょっと行ってみたかった。

「ほら、さっさと着替えて社長落としてきな!」

「ぎ、御意…やったる。やったるで…」

 ゆずの皮をなすりつけられた下着を渡され、もそもそと着替えながらラシャは静かに闘志を燃やした。

 勝負の服なら、やはりいつもの青と金の装いだ。毎日勝負の仕事服なのだから。


 闘志を燃やして臨んだ現場では、またもラシャの知らない状況が用意されていた。

「いらっしゃいませ!お一人様ご案内いたします。こちらへどうぞ、お嬢様」

「…誰?」

 いつもとは違う装い、そしていつもとは違う雰囲気のエドガーに、ラシャは目を白黒させていた。

「狭いところですが、こちらへお座りください」

「あ、はい…」

 椅子を引いてラシャを誘い、座らせた後優雅に一礼して調理場へと戻っていくエドガー。

 テーブルに見せかけているが、ラシャが腕を下ろしているのは調理台の一部だ。

(…この人、誰!?)

「心配しなくても、頭がおかしくなったわけじゃないぞ」

「うぉっ、おお、おじさんだよね。よかった…」

「くっくっく…朝飯がわりってわけじゃないけどな。お前に最初に食べてもらいたいものがあってな…朝っぱらから呼び出してすまん」

「あれ、朝ごはんのお呼びだったの…?」

「ああ、随分とめかし込んでくれてすまないが」

「あ、うん…おでかけかなって思ったんだけど…」

「ふむ…まあ、なんだ」

 頭をコリコリとかいて、少し恥ずかしそうな雰囲気で言った。

「特別な、朝ごはんだ」


 雪平鍋に移した二人前のスープを温める。

 提供までに沸騰寸前の温度に持っていく。絶対に沸騰はさせない。

 丼に熱湯を注いで温める。

 てぼに麺を入れて、熱湯が張られた寸胴にセットする。菜箸でよくかき回してやり、麺についた打ち粉を洗ってやる。

 丼の湯を捨て、調味液を入れる。

 生揚げ醤油を10CC、出汁塩汁を20CC、鶏脂を10CC、牛香味油を20CCだ。

 麺の茹で時間はおよそ二分半。残り三十秒といったところで、スープを丼に注いでいく。400CCずつだ。

 麺を湯から揚げ、湯切りを行う。

 麺に傷がつかないよう優しく、しかし表面の水は全て飛ばす。なおかつ伸びないように手早く。

 ピシッ!音が出るのは一回だけだ。

 麺をスープに投入する。

 菜箸を使ってほぐしてやり、見た目と食べやすさのために一方向に揃えてやる。

 スライスしたチャーシュー、タケノコメンマ、ネギを乗せてやる。

 とにかく手早く。スピード勝負だ。

 綺麗な布巾を使ってフチをサッと拭いてやり、お盆の上にレンゲと箸を添えて、完成だ。

「これが俺のラーメン、【三獣脂】だ。熱いうちに召し上がれ」


「ラーメン…?」


 熱々なのにそんなに湯気が出ないのは、上に浮いた鶏脂と香味油の効果だ。保温効果が高い。つまり冷めない。

 恐る恐るレンゲを使い、スープを一口すするラシャ。

「あつっ!?」

「ドーリーズとは違うのだよ。気をつけてな」

 牛塩ほうとうとは、意識の高さが違う。なにしろ旨味調味料無しの天然素材のみだ。

 いや、ドーリーズも多分そうだが…

「俺も食うかな。…久しぶりだ」

 駿馬にとっての最高のラーメンだ。

 醤油ラーメンが好きなくせに、今まで美味い醤油ラーメンを食べたことがなかったのかもしれない。

 駿馬は初めてこのラーメンを完成させた時、そう思った。

 レンゲにスープを取り、麺を三、四本たぐってレンゲの中のスープに浸し、噛み切ることなく啜り上げる。

 そしてレンゲの中身も一緒に口に入れる。これが駿馬の食べ方だ。

 一口目から旨味が口内に溢れる。鼻から風味が抜ける。麺を噛み切る感触が歯に響く。飲み込むとまたすぐ次が欲しくなる。

「ああーーー…!久しぶりだ…」

「うん…凄く、久しぶりだね、この味!」

「だろ?美味いだろう?」

「うん!やっぱり、あたしこれが一番好き!」

「くっくっく…チャーシューもう一枚あげよう」


 二人はスープも残さず飲み干した。

 頭も耳も良くない駿馬は、これで概ね思い残すことが無くなった。

 レシピも提供の手順も、メモに残してある。

 ぼちぼち引き継ぎをしていこう。



 昼過ぎには別棟が完成となる。

 今日は知人関係者を招いての建前だ。

 餅を撒きたい気持ちもあるが、餅米は持っていないし、第一日本人に怒られる。

 今日は畑中さんも招いているのだ。

 洗い物を終え、工事の仕上げでも見に行こうとラシャと連れ立って外に出ようとすると、ラシャは放心しているようだった。

「どした?美味すぎたかな」

「…ん。そうじゃないんだけど」

「そうじゃないんかい」

(く…そこは嘘でも…!)

 若干歯痒い思いの駿馬だった。


「…なんか、身体がね」

「ふむ」

「…だるい感じ…」

「まあ、ちょっと休んどけ。親が死んでも食休みって言うしな」

「…うん…」

「食品衛生にゃうるさいエドガーさんの飯食って、食あたりなんて起こさせんぞ。どれ、茶でも入れてやろう」


 茶葉は本棟にある。

 厨房のドアを開け、外に出る駿馬。

 空気を入れ替えるのもいいかもしれないので、ドアを半分開けたままにして本棟に向かう。

 大した距離は無い。せいぜい二十歩程度だ。

 その半ば辺りで、違和感を覚えた。


「…お、お?」


 駿馬は最初、立ちくらみかと思った。が、調子が悪いわけではない。


「…あり?」


 世界が、歪んで見えた。

 眼に映る色彩が徐々に色褪せ、薄暗くなってくる。

 今日は晴れている。時刻はまだ九時程度だ。

 これはおかしい。

 ひょっとして、日蝕とかそういう…?

 そう思って空を仰ぎ見たその瞬間だった。


 突如、駿馬の目と鼻の先に雷が落ちた。

 そう感じた。

 車のフロントガラスをハンマーでブチ破ったような炸裂音がして、その衝撃に駿馬は飛び上がった。


「うおおおおおおおお!?」


 後ろに飛びすさり、たたらを踏む駿馬。

 視界に、何かが映った。

 駿馬の目は普段、その不健康な身体には似つかわしくない視力を備えている。特別な力の恩恵だ。

 例え一瞬であろうと、視界に入ったものは全て駿馬の脳に送られる。

 だのに、駿馬は己の目に映ったものが何かの見間違いだろうと判断した。


「…くるるるるるるぅ…!」


「…は?」


 目をこすり、よく見直す。


 それは、ハリネズミのように見えた。

 ただしその大きさは馬ほどもある巨大なもので、針は一本一本が駿馬愛用の、今は身につけていない細剣ほどもある、有り体に形容するならば…


「ば、化け物…てか、魔獣、か…?」


 それは、今にも襲いかからんという戦意を四つの眼に爛々と光らせ、駿馬を睨みつけていた。




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