駿馬は生き急ぐ♯3
「…徹夜かい?」
「おおよ…!まだまだ、いけるぜ俺は…!」
「いや寝ろや」
「…うん、もちっとね…」
朝の狩に出て行くところの小太郎達が、屋敷周辺に漂う肉の匂いから駿馬が厨房にいると判断し、寄ってみたところ、案の定駿馬はそこにいた。
「なにしてんの、しゃちょー?」
「美味しいものをね、作ってるんだよ…」
「…疲れてない?」
「いやあ、疲れた!毎日継続してる分には全部やんなくて済むんだけど、始める時ってのは、一気に全部だかんね!」
「お身体を、悪くされますぞ…」
「うい、キリがいいとこで寝るよ…あ、悪いんだけど、行きがけにラシャ呼んでくれる?今日の完成式に出す食い物の、味見させたくてさ」
「ああ!それか!」
子供達の宿舎が、本日完成の予定となっていた。
耐火耐震防寒など、様々な注文を付けて頼んだその別棟は、下手な二級国民の屋敷よりも手がかかった代物となった。
初雪がまだだったのが幸いだが、子供達には随分辛い思いをさせただろう。
…昨夜もテントから足が出ていたような気もするが。
「今日は美人秘書の休日のはずだからな。毒味役にはちょうどいいだろ?」
「…ふぅん?」
「ほほぉん?」
「ははぁ…」
「ホォウ…」
「んん?」
「…なんだよ」
よく分かっていないラミ子ちゃんを除いた全員が、駿馬をニヤニヤ笑いで見ている。
「ホウ!ホウ!ホウ!では私が伝えておきましょう!邪魔が入らないように、ちゃぁんと、ね!ホウ!ホウ!ホウ!」
「…いや、なんかテンション高くない?朝から…」
「善は急げ、トラ子も行くぞ。お先にな」
「ホウ!ホウ!ホウ!負けませんよ!」
なにやら嬉しそうに飛び立つモーリー。走り出すトラ子ちゃん。
「くっくっく。早く孫の顔が見たいですなあ…」
「…いや、威吹さんよ…」
「ボクらは後でいいよ。全然いいから」
「あ、いや、なんだ。なんなら今食ってく?すぐ出来るから」
「いやいや」
「なんのなんの」
「やっぱ、みんなに先に食べてもらうのがスジかなってのはあんだけど、ブランクあるからさ…ちょっとワンクッション置きたいなー、みたいな…」
「さあ乗ってけ威吹のとっつぁん、飛ばすぞ!ラミ子も遅れるな!」
「んんー?」
「おーい、誤解してるよ、君たち…」
首を傾げながら尻尾ホッピングで跳ねて行くラミ子ちゃんと、砂煙を上げて爆走する小太郎&威吹。
「…てやんでえ、ばーろぃ」
一人残された駿馬は、とりあえず煙草でも吸うことにした。
一服したら、仕上げだ。
豚の骨と、骨だけになったモミジの残骸を網で取り出す。その際、最後の一滴まで油を取り除いてやる。紙を使うといい。
コラーゲンは下に溜まりやすいので、ある程度攪拌してやりながら、小寸胴にスープを移していく。
二十度から八十度の温度帯は雑菌が繁殖しやすいので、一気に冷やしてその温度帯を通り抜けさせなければならない。
水を溜めたシンクに小寸胴を入れ、レードルでかき回す。すると小寸胴自体も回転する。
水がぬるんだら取り替え、またかき回す。
このようにしてスープの熱を水に移して、一気に冷やすのだ。
冷やしたスープの寸胴を冷蔵倉庫に移す。
そしてラーメン二杯分のスープを雪平鍋に残す。
雪平鍋に乾燥シジミと干鱈を入れ、ほんのひと沸かしし、かすかな灰汁を取り除く。そこに乾燥椎茸と昆布を入れてしばし置く。
その間に、鶏油と牛脂を精油する。熱すれば油が抽出できる。
鶏油とはいえ謎の野鳥のものではあるが、味には問題無い。むしろ通常の鶏のものより金色味が強くていい感じだった。
牛脂は精油してからさらに一手間。
乾燥させたニンニクのスライスをたっぷりとくわえて、弱火から中火で熱してやる。
ニンニクが焦げないように注意だ。
よく油を切って、ニンニクを取り出す。
これはニンニクチップとして立派に薬味に使える。塩をふればおつまみとしても美味い。
これで、牛脂はニンニク風味の香味油に進化した。
そして、雪平鍋の中の具材を取り出す。勿体ないので、この出汁ガラは後で醤油と砂糖で甘じょっぱく煮てやれば、ソフトな佃煮のようなものになる。
冷蔵倉庫から出汁塩と生揚げ醤油、ネギとメンマとチャーシューを持ってくる。
これで、準備は大体整った。
麺を茹でる用のお湯を沸かすため、中寸胴をかまどにセットする。雪平鍋で水をどんどん入れてやる。
しばらくすると、湯が沸いてきた。
顔を洗って、服を着替える。
腰に赤いサロンを巻き、頭に黒い布を巻く。
首にも黒い布をかけて、シャツの中に押し込む。
エドガーではなく、江戸川駿馬の戦闘服だ。
コンコン、と音がした。
なんといいタイミングなのか、あの美人秘書は。
一服して心の準備の暇をくれたら満点だったのだが。
「あの、お早うございまーす…」
遠慮がちに厨房に入ってくるラシャ。
「…いらっしゃいませ!」
その言葉が駿馬の口から発せられたのは、二年ぶりだった。




