駿馬は生き急ぐ
ノワール氏から、完成の報が届いた。
それは、ここ一月取り組んで貰っていた道具の類だ。
水力製麺機。
製麺機の機能は大きく三つに分かれる。
第一に、ミキサー。水とかん水と塩を小麦粉に加え、混成する機能。
第二に、圧延。ダマになった粉の塊を伸ばして帯状にし、棒に巻き取る機能。
第三に、製麺。麺帯を麺の形に整形していく機能。
「夢の、機械だ…」
「ホッホッホ。苦労しましたぞ。特に何が大変かといえば、製麺のための刃。まさか歯車の形にするとは、聞かせられなければ中々思いつきませなんだ」
手打ちの麺なら包丁で切る。
だが、製麺機は延々と数を作るための道具だ。色々と工夫無ければ成り立たない。
「…麺帯を回転させ、帯状の生地を進ませる速度で、麺の長さを決める…」
「…回転する歯車の、刃の部分の間隔で、麺の太さを決める…ですな」
「…よくぞ、作ってくれたね、ノワさん…」
「年甲斐も無く、楽しい仕事でしたよ、社長…」
「…そうか。そうだよな!楽しいよな!」
「ええ!生涯一番の力作ですわい!」
「なに言ってんのよ!まだまだ作って欲しいもんあるのよ!?もっと難しいのいっぱいあんだから!」
「わはははは!最近は目の調子が良いですからな!くたばるまでお付き合いしますぞ!ですが、歯車を作る専門の者が欲しいですなぁ…刃の方でなく…」
「もう、型とって鋳物で作ろうか…」
早いうちにこの名工には弟子なりなんなりをつけて、技術の継承を行わねばならない。
マクラーレン会頭あたりにお願いしてみようと駿馬は考えた。
門外不出の技術なんかじゃない。どんどん拡散させるべきだ。
ここへきて、駿馬はついに本気を出せる。ちょうど熊男が脅威ではないと分かったところだ。
目下のところの駿馬の目的は、そうだ。
ラーメンを、作ることだ。
どうにも味気ない、発展途上のこの世界に、最強の食べ物を広めてやる。
ラシャに食べさせてやると約束してしまった手前もある。
寸胴鍋は既に大中小と揃っている。雪平鍋も沢山作ってある。レードル風おたまも何種類も作らせた。
茹で麺機なんて贅沢は言わない。
ガス火は無いので、薪や炭を使うが、足踏み式の送風機と、熱を逃がさない構造のかまどによって、高い火力を得られるようにした。
換気扇の性能には多少不安があるが、開けて作業すれば中毒になることもないだろう。いざとなればモーターを作って扇風機を設置することもやぶさかではない。
子供達の宿舎が中々完成しなかったのは、これらの設備を持った厨房の製作に注力していたせいもある。
駿馬は、自分のラーメン屋を潰した身の上だ。
未練があった。
味は良かったのだ。自分のラーメンこそが日本一美味いラーメンだと、胸を張って言えるくらいには。
もちろん主観の話で、客観的にはそうではなかったのだろう。それでも、駿馬のラーメンこそ一番だと、支持してくれる根強いファンもいたのだ。
そんな店を、駿馬は廃業した。
夢は叶い、そして潰えた。
挑戦しないで終える人生よりは良かった。そう思おうともしたが、負けた悔しさは残り続けた。
お客様への罪悪感も強い。
せっかく気に入ってくれたというのに、ある日突然それを奪われた人達は、どう思っているだろう。
駿馬は本当は、この世界では漫然と生きて、ゆっくりと朽ちていきたかった。
だが、状況は変わる。
駿馬に二言が無かった試しは無い。
今、駿馬は少しずつ急ぎだしていた。
まだ確信は無い。それ故に仲間達にも相談出来ていない、とある事情がある。懸念がある。
その懸念が現実となる日が来ないことを願いつつも、その日に備えてやるべきことはやっておく。
その一つがラーメン作りだというのだから。
「うむ。俺はやはり馬鹿者だな…」
少々我に帰りそうになるが、今更ではあるのでそのまま進めることにする。
製麺機を作ってもらって、今更やっぱりやりません、はあり得ない。
駿馬は材料を集めにかかった。
まずは、醤油だ。
幸いにしてこの世界には醤油が存在する。お偉い日本人様がおわすこの世界に醤油と味噌が無いはずがない。それがパチモノのインチキ日本人だとしても。
発酵食品は寒い地方が適している。気温を上げるのは火を炊けばよいが、下げるのは難しいからだ。
ここ亥の国の側にある二つの中型属国にも味噌蔵醤油蔵がある。
ちなみに酒蔵もあるが、米は基本日本人が独占しているので、日本酒は作られていない。
品種改良して酒用の米を作るべきだ。
大豆と小麦は問題なく庶民が口に出来る。よって、醤油は作られている。
最高の醤油とは何か。
もちろん材料や製法によってランクが変わる。熟成具合によっても違うだろう。
だが、駿馬の定義では、最高の醤油とは、【生きている醤油】だ。
小麦と大豆と塩と水と麹。これが醤油のざっくりとした原料だ。
麹とは、菌だ。菌とは、生き物だ。
現代日本の商店に流通している醤油とは、基本的に麹の菌が死んだ醤油だ。
それが悪いという話ではない。菌が生きていれば、発酵が進んでガスが発生する。瓶詰めにして出荷すればその瓶が破裂してしまうため、敢えて加熱して菌を殺しているのだ。
だが、一度蔵元から取り寄せて味を見てみれば分かる。
麹が生きている、非加熱の醤油はとても美味い。
【生揚げ醤油】という。
駿馬はまずは蔵元に直接赴き、それを仕入れた。
次に塩だ。
これは海塩なので簡単に手に入る。
スープに与える塩味を、全て醤油で賄ってはいけない。ある意味昔ながらの味ではあるが、どうにも垢抜けない味になってしまう。
塩味は、塩でつける。醤油は風味と色付けに使うのだ。
海塩を冷たい出汁に溶かす。出汁の中身は、昆布、乾燥椎茸、乾燥しじみ、干鱈だ。
麺の材料は小麦粉、かん水、塩、水、卵だ。
灰を水に溶かし、上澄みの水溶液をかん水として使う。
小麦粉に、塩と水とかん水を加える。これが一般的だ。
ここに駿馬は野鳥の卵を加える。
ミキサーの中でよく混ぜられる。
黄色味が強い、卵麺が出来上がる。
圧延は二回折り返して、ストレートの中細麺に仕上げる。
機械がリズムよく運んでくる麺を片手で真ん中を束ねて持ち、左手でまとめて、《〆》のような形にまとめて並べていく。打ち粉が効いているので、サラサラした手触りだ。
打ち粉の量が多すぎると、茹で水が濁りやすくなるが、麺同士がくっつきにくくなる。
この中細ストレート卵麺は、二回の圧延でコシが程よく強い。そして麺をすすった時の感触が官能的だ。卵の旨味も効いている。ストレートだからスープリフト力はあまり無いので、スープの方に麺に絡むための力を加える必要がある。全て計算づくだ。
よく多加水熟成麺という言葉を目にすると思うが、別にそれがいい麺という意味ではない。別に悪くもないが。
粉を混ぜるミキサーの段階で水の割合が多いものを多加水麺と呼ぶ。茹で上がりの時間に影響し、水が多い方が早く茹でられる。そして伸びやすい。
熟成とは、作られてから時間が経ったものだ。
グルテンという旨味成分が増える。そして見た目が透明に近づき、モチモチした食感が出てくる。
熟成していない麺の方が、豚骨魚介系のつけ麺には適していると駿馬は感じるが、味噌ラーメンにはよく熟成していた方が合うと感じる。
要はスープとの相性が全てだ。何が良くて、何が悪いということは一切無い。
あとは好みだ。
スープが数種類あるのに一種類の麺しか使っていないラーメン屋は、信用しないほうがいい。
細麺が好き。太麺が好き。その好みはあるだろう。
しかし、細麺が合うスープ、太麺が合うスープ、というものがある。
そのへんも加味して食べ比べると、もっと美味しいラーメンに出会いやすくなるだろう。
出来上がった麺は濡れた布巾をかけて、冷蔵倉庫に安置する。醤油も出汁塩もだ。
次は具材とスープを作らねばならない。




