愛・海老フライ
「びーまいべいぶー♫びーまいべいぶー♫…ア・ホゥ!びーまいべいぶ!びーまいべいぶ!びーまいべいぶ!びーまいべいぶ!」
なんだかちょっと楽しくなってきた駿馬は、猪の顔面をカメラに見立て、俺の家畜になれよ!と歌い続けた。
黒コートを振り回し、やたらと太ももを意識して中腰のパフォーマンスを行った。
そして突然始まるしゃがみ小パンチ。
威吹には隣でギターソロ風の動きをしてもらっている。
駿馬のコンプレックスは全開だ。
心なしか猪達もちょっと楽しそうな気がする。
そんな時だ。
ピッチピチ跳ねる、新鮮な海老フライが駿馬の前に現れたのは。
富山県産だろうか。
よほど採れたての新鮮な海老フライでなければ、これだけ跳ねることはない。
とても大きい。美味いに違いない。
だが困ったことに、タルタルソースがない。
もしもマヨネーズがあったなら、思いの全てをタルタルにして、君にぶっかけて食すだろう。
「だけどー…ボクにーはタルタルがないー♫作ってーやるにーはマヨがーないー♫醤油が合うのは…アジフライ♫これでは海老だけ残される…あああ…ああ…あああ…ああ…ああああ…残される…♫」
『ゔぎぃぃぃぃ?ゔぎぃぃぃぃ!』
カッ!!
辺りに白銀の閃光が走った!!
「な、なんだと!?」
「成功です!お見事ですエドガーさん!ちなみに最後のは何という曲で?」
「マヨもピアノが弾けタルタル…いや、よくわからん!」
いつからか駿馬は正気ではなかったようだ。
これがいわゆる、《ゾーンに入った》状態だったのだろうか。突拍子もない替え歌が駿馬の一風変わった脳から溢れ出し、ついに正解を引き当てたようだ。
「これは、おとうさま…!」
かつて陸鮫との戦いで目にした白銀の閃光。あの日本刀から放たれた光と相違ない。
「…ベラ!脇差が!」
「あ、これは…!」
ベラの懐に仕舞われた小刀が、よく似た輝きを薄く纏っていた。
「共鳴、ってやつか…?」
「そのようです。なにかこう…引っ張られているような…」
「ハンシイ!どうなる!?」
「よく見てて下さい、エドガーさん。これが、魔素の本当の力、いえ、役割です」
煌々とざわめく光に合わせて、聖なる樹から生まれる影が踊る。
どうせならさっき欲しかったと駿馬は残念な思いがした。曲剣をギターに見立てた威吹のパフォーマンスはぎこちなかったので、この光で盛り上げられたかもしれない…
唐突に光が収まった。
「むう!」
駿馬の目には、既に魔猪がただの猪に変わっていることが分かった。
黒い靄のようなものが一切見えない。
触ってみなければ分からないが、肉質も変わっているだろう。
「魔素抜き、完了といったところか?」
「いえ、魔素をきっちりと使いきった、ということですね。一晩もすれば、野性味の抜けた姿に変わっていくでしょう」
「…つまり、豚になるわけか。奇妙なことだな。どういう理屈なんだ?」
「望む存在に進化した、ということです」
「…家畜が、望む姿、か?」
「力で敵わない対象がそこにいるなら、庇護された方が生存の可能性が上がりますからね。庇護してくれそうな優しい相手なら、尚更です」
「それで、餌と、音楽、か?」
「言葉が通じないなりに、意思を疎通させるための手段ですよ、音楽は」
「…日本の歌は、歌詞に頼りがちなんだが、どうにかなるもんだな…楽器の一つでも持ってりゃ、もっと楽だったか?」
「かもしれませんね」
とりあえず、随分長かったエドガーリサイタルもこれで終了のようだ。
やろうと思えばカラオケ機械がなくても結構いけるものだと、駿馬は思った。別段上手でもないが、歌うのは結構好きなのだ。
「ま、今日は飯食って泊まってけな。明日結果が出たら、報酬渡すよ。あと、お前さん雇ってくれそうな人紹介しちゃる」
「あ、エドガーさんが雇ってくれるわけでは…」
「ああ、キミうちには合わない」
「がーん!」
「ボケは間に合ってるんだ」
小太郎の苦労をあまり増やしたくない駿馬だった。
「まったく。先達は、大事にするもんですよ?」
憔悴した様子の威吹の肩を抱いて撤収しようとする駿馬。
ふと、地面に転がる海老フライが目に留まった。
「ん…これ、なんだ?」
よく見ると、衣の部分はグルグル巻きにされた縄のようだ。尻尾の赤い部分は…髪のようだ。
ひっくり返してみると、猿轡をかまされた少女だった。とても見覚えがある顔だ。
この娘、何故かよく縛られている印象がある。
「あ、ラシャねえさまです。一人で逃げようとしていたので捕獲しました」
「…魔素の影響で海老フライに進化したわけじゃないよな?」
「えびふらい?」
「…ほどいたげて?」
「はい!おとうさま!」
よい返事だった。
鉄鍋の中で脂がしゅわしゅわいっている。
威吹に頼んで市場で海老を買ってきてもらったので、衣をつけて揚げている。
タルタルが無いしソースも無い。
なので味噌カツのような味噌だれを作った。味噌に砂糖と柑橘の汁で味を整えたものだ。
それと大根おろしに柑橘酢のサッパリつけ汁を用意した。
口の中はもう、海老フライだった。
他にもホタテと肉も揚げる。付け合わせのキャベツは、大きめのザク切りで、味噌だれをつけつつパリパリと食べる。
厨房には、駿馬とラシャの二人がいた。
最近では、一緒に料理することが多い。ラシャに料理を教えるのはなにかくすぐったい心地がして、駿馬の心をざわつかせる。
「海老フライって、可愛いものなんだと、初めて知ったよ」
「ふーん…そう」
「俺、尻尾もちゃんと食べる派なんだ」
「…そのわりには、身も食べてないけど?」
「一人っ子だからさ、美味しいものは最後に、って思っちゃうんだよね」
「ふぅーん…一人っ子なんだ」
「一口一口、こう、味を変えながらね」
「…次はいつ食べるの…?今夜?」
「ゆっくり、な?ほら、雰囲気とかも味のうちでさ」
「…冷めちゃいますよー、だ」
「そ、それでも絶対残さないし…」
「いつもお肉ばっか食べてるから、物足りないんでしょ?」
「安物ばっかだって!揚げたて海老フライの方が絶対高級だって!最近肉禁してるっしょ?」
「本当かなぁ…だったら海老食べればいいのにさ…どっかでお肉食べてるんだ」
「いや本当だって!めちゃくちゃ腹も減ってるから、海老食べたいんだって!ただほら、なんていうのかな、俺には高すぎる料理だから、気後れしてるんだよ」
「…別にそんな高い海老じゃないもん…」
ぶちぶち言う海老フライをなだめるのが今日の駿馬の一番の仕事となった。
「…じゃ、ベラは?凄い美味しそうなお肉だもんねー。凄い高級お肉なんでしょ…」
「ベラは甘味かな。酒呑みには鬼門だ」
「いの焼きは美味しそうに食べてたって」
「つ、つまり、ケーキとかの洋菓子かな!和菓子とかはお茶飲みながらいけるけど、生クリームは苦手でね!ははは…」
「…本当…?お肉のが好きだなんて嘘で、本当は甘いのが好きなんじゃないの…?海老はきっと、半端なんだよねー」
「それは冤罪だ!誓ってないから!」
「おとうさまとか呼ばれちゃってさー…アマアマじゃない…あたしにはおじさんって呼ばせてさー」
「いや、それは別のね?もちろん、大切なものだけど、食べることはないから。見て愛でるものってあるじゃない?食卓の花みたいなね」
「あーあ、冷めちゃうなー。せっかく美味しいのになー、海老フライー。食べたくないなら、仕方ないけどさー」
「いや…まあ、その…」
「食べないなら、勿体ないって、他の誰かが食べちゃうんだよ?」
「む…う…!」
「片付けられちゃうよ?要らないんでしょ?」
「…冷めてもいいから、とっといて欲しいです」
「…なら、とっとくけど…」
「…お弁当にして、次の日に持って行きたいおかずってのも、ありまして」
「…お料理は、美味しいうちに食べられたいんだよ?」
「…ええ。重々承知の上で」
「…海老フライは、お弁当?」
「一番美味しい、大好物のお弁当です」
「…食べてくれるんなら、とっとく」
「あざす!」
ヒョコっと、顔を出したのはベラだ。
「あ、機嫌は治りました?ラシャねえさま」
「おーのーれー!よくもー!」
「きゃー!」
「こらこら、調理中に走るな」
「トラ子もー!」
「おっとっと!これはいかん!」
特大海老フライとその製作者達は、行儀悪くエドガー邸の中を走り回ってじゃれあいだした。
駿馬は目を細めて、その平和な光景を目に焼き付けるようにした。




