二章 序 娼館から愛を込めて
駿馬はある娼館に来ていた。
秘められた事情や作為など無い。
単に性欲が溜まりきっただけのことだ。
駿馬は三十六歳だ。
商会の会頭で、懐も暖かい。
今更右手に頼れとご指摘の皆様には意を唱えさせていただこう。
独身男が風俗に行って何が悪い!!
恋人?いねぇし!!
そんなわけで駿馬が訪れたのは、《桃色蜂》という、この国では恐らく最大の娼館だ。
最大の店を選んだのは、ひとえに病気などの心配が故のことだ。
それなりの値段もする。
だが問題無い。駿馬はチキンなのだ。
扉をくぐり、受付に着く。
実のところ一番楽しい瞬間は、今かもしれない。
このいかがわしい雰囲気。
ああ、俺、駄目男だなぁ…と、一種の陶酔感さえある。
うん。やはり、独身男が風俗に行ってはいけない。
駿馬のように頭が悪くなること請け合いだ。
指名システムなどは無い。
金額だけが提示されているので、一番高い娘を頼む。
あまり、若すぎない方がいい。
二階の個室に通される。
桶にお湯が張ってあり、手拭いが三枚置いてある。
身を清めておけということだ。
高級店だけのことはある。
受付では、大分待たされるということを聞いた。
人気の嬢なのだろうか。
もちろん口開けが嬉しいのだが、贅沢を言ってはいけない。客は良いサービスを受けたければ、良い客でなければならない。
悪い店なんてないのだ。クレーム入れる人の九割は、その人に問題があることを駿馬は実体験として知っている。
駿馬はおおらかな気持ちで時間を潰すことにした。
商売人とは、プロの客でもあるのだ。
煙管にフィルターと草を詰めて、火をつける。
部屋が臭くならないように、窓を開け放つ。
非常に寒い。
雨が降ったらそろそろ雪になるな…
そんなことを考えていたら、女性っぽい人影が玄関から入って行くのが見えた。
ご出勤だろうか。
裏口とか使うわけではないのだな…
建物の作りにもよるのかもしれない。
「まだかなー…まだっかなー…」
ふんふんふん…漏れる鼻息、刻むリズム。
今宵のナンバーは九月に聴きたいあの名曲。
ばーでぃやー♫ふんふんふんリメンバー♫
しまった、もう二ヶ月も過ぎてる。
でも構わず白ジャージの黒人の真似をして左右にステップしてみる。
大地と風と炎と…大空と、広い大地の…あれは良いハゲだ。よくカラオケで独特なマイクを真似した。色々混ざって何が何だか。
おじさんとは言え大概古い趣味だが、それはそれでイケてるんじゃないだろうか。
一周まわってナウい。
周回遅れとか言わないで欲しい。
コンコン…
来た!!
既に清拭も終わり、準備は整っている。
紳士の嗜みだ。
「はーい」
あくまで朗らかに、明るく受け答えする。
「オマタセシマシタ」
何故か狐の仮面を付けた人気嬢。
こういう趣向か。面白いじゃないか。
「ワッチ、シャーリャ。オキャクサン、ズイブンマタセタ」
タイ人かな?
突然だが、吉原訛りというものがある。
江戸の頃の遊郭として代表的な吉原だが、別に江戸の娘が働いていたわけではない。
地方から買ってこられた娘が多かったわけだ。
地方の方言を隠すために、あえて独特な訛りを上書きして接客させていた、というわけだ。
地方差別とかあったろうしね。
ほら、わっち、誰々でありんす…みたいなね。
多分この妙な裏声喋りもその一種だろう。
「なーに、今来たばかりサ…むしろまだ着いてないくらいの勢いでネ…」
「ソレハヨカッタ、サ、ヌイデヌイデ…」
ふふふ…時短狙いかな?
そうはイカのチョンマゲよ。
「まあ…ゆっくりしようじゃないか。それより、顔を見せておくれ」
「アレ、ハズカシイ」
仮面を取ってみる。
ラシャがいた。
仮面を戻した。
「………」
「ドウシタ、オキャクサン」
「…いや、目が疲れてるのかな…おかしいな。まだ老眼はきてないハズなんだけどな…」
「オカシイノハメジャナクテ、アタマジャナイカ」
「むう…確かに自覚はあるが、これは大分重症かな…幻覚が見えた」
「モイッカイミテミルカ」
「それしかないか」
仮面を取ってみる。
般若の顔だった。
仮面を戻した。
ふむ…
「なーんだ、ラシャじゃないかー」
「なーんだ、バレちゃったー」
「はっはっはっは…」
「うふふふふふ…」
脱兎!!
素早く踵を返した駿馬は、かんぬきに蹴りをくれる!
ガツン!
「痛い!?」
「美人秘書に、同じ技は通用しない…」
あろうことか、かんぬきが縄でしっかりと結わかれ、簡単には開かないようになっていた!
「馬鹿な!こんな短期間でセブンスセンスに目覚めただと…?」
「いいから」
「はい」
「正座」
「はい…」
ラシャは六賢老と既に密通していた。
駿馬の行動パターンを先読みし、代表的な娼館に手配書を回していた。
駿馬の似顔絵と共に、「この男が来店したらエドガー商会美人秘書まで一報されたし。懸賞金は正規の金額に銀貨一枚を追加」
と、書いてあった。
「え、自分で払ったの?」
「当たり前でしょ」
「お給料減っちゃうよ…」
「そ・う・お・も・う・な・ら…」
「…はい。もうこういったお店には立ち入りません」
「………まあ、いいでしょう」
駿馬は連行された。
彼の余生は、もはや風前の灯火となっていた。
おお神よ!彼を救いたまえ…!!




