最高品質の剣♯3
「ぜになげ、って知ってるかい?強い敵にはコイツが効くんだぜ。所持金は減るけどな」
黄金の光溢れるその金貨を、駿馬は思い切りガトーに投げつけた。
大した抵抗も無く結界の中に侵入し、ガトーの額に当たって落ちた。
大した衝撃でもないハズだが、ガトーは仰け反った。
そして慌てて拾い、宝物を見るような目で見つめている。
「へへ…俺らの血と汗と涙の結晶だ。お気に召したようでなによりだな」
駿馬は財布を右手に全力で意識を集中する。
この半年の結晶。大金貨十枚。日本円にして三千万円がそこにある。
「………【評価】!!」
右手から溢れる黄金の光が、天を衝くほどに膨れ上がった。
それを、左手に持つ愛用の細剣へと当てる。
「………【移譲】!!」
細剣に吸い込まれた価値の光は姿を変え、刀身に纏わりついていく。
色が変わり、質感が変わり、やがて細剣を幾回りか大きくしたような、長剣の形へと収斂されていく。
まるでブランデーのようだと駿馬は思った。
深い琥珀色。角度によって仄かに金色がかった、水面の揺らぎ。まるで長期に渡って熟成された高級な蒸留酒。葡萄と樽の香りが匂い立ってくるようだった。
「こいつは、【最高品質の剣】だ。よく熟成してるだろう」
「馬鹿な…な、なんだそれは、阿修羅喰い…」
「ガトー、お前の持ってる古ぼけた日本刀になんぼの価値が有るのか知らんがな」
「や、やめろ!来るな!」
日本刀を遮二無二振り回してくるガトーだが、青眼に構えた琥珀色の長剣に触れる寸前に弾き返される。どうやら駿馬にも結界が生じているようだ。
「X・Oは一振り三千万だ!若造にゃ毒だが、とくと味わえ!!」
駿馬は左脚を前に思い切り踏み込み、力より速さを重視した振り下ろしで、ガトーの左肩から太ももの内側にかけてを斬り割った!
日本刀で受けようとしたガトーだが、大した抵抗も出来ずに、そのまま剣を振り切られ、左脚を無くして崩れ落ちた。
駿馬は素早くガトーに近寄ると、傷一つついていないその日本刀を奪い取った。
駿馬に油断は無い。
悲鳴も上げていないガトーだが、まだ絶命してはいないようだ。
鮫ってのはしぶといもんだと、駿馬は思った。
【最高品質の剣】を解除する。【移譲】された価値を財布に移してやると、輝きは収まった。
恐る恐る中身を確認してみると…
「あ、良かった、あんま減ってねえや」
数えてみると、大金貨八枚と金貨が一枚残っていた。
大金貨二枚と金貨一枚の消費。大体六百万円を消費したことになる。
高いのやら安いのやら。
人の命の値段とは。
それとも、日本刀の結界を斬り裂くのにかかった金額なのだろうか。
ガトーも、金には代えられないと言っていたことだし。無価値のエドガーと、無料のガトー。どっちもタダで、お買い得ですよ奥さん?
(おっと、油断はいかんな)
投げつけた金貨も回収する。
懐から煙管を出して、煙草に火をつける。
もう雨は上がっていた。
「ね、ねえ…おじさん…」
「お、まだ生きてたか」
「…一服、させてくれないかい?」
「若いもんが吸うもんじゃねえぞ?ほれ」
「悪いね…」
「おめえにやるよ」
「…嬉しいね。この煙管、欲しかったんだ。覚えてるかい?…おじさんに先に買われちゃってさ」
「ああ、このモデル、あれが最後の一個だったのか?」
「…ふふ。欲しいものは、いつもアンタが先に取っちゃうんだ。…あの娘もそう。小川の屋敷もそうだ…」
「商売人は、即断即決さ。まだまだ若いんだよ、お前は」
「…ちぇ、年寄りぶってさ…」
ポト、と。煙管が地面に落ちた。
陸鮫のガトーは絶命したようだ。
駿馬がこの国に来た時、不動産屋で会って、話をした時からの知己だった。あの屋敷を契約しようとしていたのに、駿馬に横取りされたと難癖をつけられたのだ。
手下と共に屋敷を訪れたガトーだったが、確かあの時はラミ子ちゃんに全員袋叩きにされていたっけ。
何日か前に雑貨屋で煙管を買った時にも、たまたま会った。
不思議と縁のある男だったが、仲良くなれる気はしなかった。人からのどんな呼び名も気にしない駿馬だが、この男の呼ぶ《阿修羅喰い》だけは嫌いだった。
こうなる運命だと、駿馬は無意識に勘付いていたのかもしれない。
「お見事でした、お屋形様」
「おう!」
「うむ、牙は磨げていたようだ」
「まね!やる時はやるよ!」
「ホウ!ホウ!ホウ!かつてとは違う力ですね!」
「ちと金がかかるがな!」
「おとーさん、かっこいー!」
「ラミ子ちゃんこそかわいー!」
「それより、ちょっといいかい兄貴」
「いやお前も褒めてよ…」
滅多に褒められないのだから、こんな時くらいノリでおだてて欲しいところなのだが。
「ベラを、慰めてやってくれないか」
「む…」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…」
ラシャに毛布で包まれ、ベラはぽろぽろと涙を零しながら、泣きじゃくっていた。
「私、足手まといで、ラシャねえさまを助けに来たのに、私のせいで…」
「ベラ…来てくれて嬉しかったよ?ね、泣かないで」
ベラは恐怖や痛みではなく、己の無力に泣いていた。
「匂いでラシャがここにいる、と判を押してくれた。これはとても重要なことだったんだよ、ベラ」
小太郎が言うが、被りを振る。
「加藤に捕獲されたのは、これは不運としか言えぬよ。我とて奴を討ち果たすことは出来なんだ。気に病むことはない」
威吹が言うが、被りを振る。
「…どこか、いたいの?」
ラミ子ちゃんが心配するが、被りを振る。
今は色々と感情が波立っている。何を言っても受け入れはしないだろう。
実際ベラは役立ち、目的を果たし、被害も無いのだから、困ったものだ。
なんなら一番悪いのは、戦力にならない娘を戦場に引っ張り出した駿馬なので、出来ればこっちを責めてほしいところなのだが。
誇り高い娘だ。
初対面で、ラシャと他の子供達のために、駿馬の靴に口づけをしたのを思い出す。
駿馬は困った。
駿馬は悲劇のヒロインなんて大嫌いなのだ。
子供の頃一番大好きだった漫画の作者の言葉には、マッチ売りの少女が嫌いだ、というのがあった。大人になったころ、その作者はフランダースの犬の悲劇で、世界的に有名な作家に喧嘩を売っていた。とても格好いいと思った。
あの作者なら、どんな物語を用意するだろう。
慰め、愛して、護るだろうか。
そこに、ハッピーエンドがあるのだろうか。
絶対に違う。
「ベラ。無力な身が悔しいか」
「………はい」
スンスンと鼻を鳴らし、零れる涙を腕でぬぐうベラ。ぬぐってもぬぐっても、涙は止まらない。
ラシャが布で顔を拭いてやろうとするが、その手を嫌がり、払う。
そうだ。涙は自らの拳でぬぐうものだ。
そうでなければ、決して止まらない。
「………先へ、進んでみるか?」
「さ、き、へ?」
「兄貴!まさか!」
「決めるのは、ベラだ」
駿馬の手には、ガトーより奪った、日本刀があった。
かつて、ラミ子ちゃんが幼体の時。アスラ病みの変異体の子蛇だった時。
吉兆である。或いは凶兆であると。人々はそれを祀り、また処分しようとしていた。
駿馬はそれを買い上げ、巳の国の国宝【千変の貴石】の価値をまるごと移譲してみた。
その結果が、このワガママバディのオリエンタル美蛇なので、安い買い物をしたとしか思えない。
神の力を放つ、この日本刀の価値が、何をベラにもたらすかは分からない。
だが、先へは進むだろう。
ここが嫌なら、進むしかない。
進まないならば、停滞を受け入れるべきだ。
「わ、私…は…」
「恐らくだが、完全なるアスラ人になるだろう」
犬のアスラ人。
トラ子ちゃんに近しいものではないだろうか。
「私、アスラ人になりたいです。だって、とても美しいから…」
「ああ、俺もそう思う。アスラ人は本当に美しい。強く、賢く、整っている。ヒトの先にあるものだ」
右手に意識を集中する。
日本刀の持つ、神の力の価値を掴む。
何のことはない。金も、魔素も、神の力も。結局のところ命の力だ。駿馬が操る【価値】とは、命を構成する力だ。
水と、氷と、蒸気程度の違いしかない。
価値の簒奪者なんて、ほんのキッカケに過ぎない。コツが分かれば誰にでも操れるのだろう。
「生まれ変わる、覚悟はいいか?」
「はい。どうか、お願いいたします」
銀白色の眩い光を日本刀から奪い、ベラに【移譲】する。
「…そうだ、せっかくだから新しい名前をやろう」
「…名前、ですか?」
「ああ、お前は、もう俺の娘だ。いい名前を思いついたんだ」
「…ベラ子、はやめろよ?兄貴…」
痛いところをついてくる小太郎。
「ベラドンナ」
「…ベラドンナ…」
「俺のいたところの、その外国の言葉でな。ある花の名前で、美しい娘、って意味だ」
「…美しい娘…」
「この花からは薬が作れる。瞳を綺麗にする薬だ」
「瞳を綺麗に…」
「ところが、実は毒なんだ。下手すると失明する」
「っっ!?」
「お前は無価値じゃない。毒にも薬にもなれる。俺の美しい娘だ」
「…はい!おとうさま!」




