最高品質の剣♯2
玄関の扉を蹴り開けた駿馬は、その勢いでガトーへ向けてククリマチェットを投げつけた。
ギギュンッとガラスを削るような音がして、ククリマチェットは明後日の方向に飛んでいく。
《龍の威吹》は無音で軌道を逸らしたというのに、ひ弱な駿馬の投擲は、結界に僅かな抵抗を生み出した。
やはり予めククリマチェットに価値を込めておいたのは無意味ではなかった。
これで駿馬の武器は、不恰好に曲がった細剣だけになった。
「ふむ。中々厄介なもんだな、日本刀ってのは」
「き、貴様…」
驚きの表情を晒すガトー。
《龍の威吹》より余程遅い投擲だったが故に、かえって迫り来る刃が視認でき、恐ろしかったのかもしれない。
「はい全員集合ー。集まって集まってー」
六賢老に集合をかけると、仲間たちに目で配置を告げる。目と目で通じ合うってのはいいもんだ。
「ラシャ!ぶじー!?」
「ラミ子さん!モーリーさん!小太郎さんも!威吹さん凄い強いんですね!口からバーンって!」
「おお、見ておったか」
「っ!!お前!阿修羅喰いの女だったのか!?」
「そうですよー!ばーか。ばあああああか!!」
「くっ…日本人の女になれると、浮かれていたのは、あれは…」
「どんないい男でも!女を殴る男なんかキライ!!フツーでしょ!?ばああああああああか!!」
至極当たり前な理由だ。
「さて、陸鮫よ。賠償金の話でもするかい?」
「…ハッ。何を言うかと思ったら」
「お前さん、うちの美人秘書拐かしたんだぜ?あげくそりゃなんだよ?俺の娘ひん剥いて縄で縛ってか?」
「娘!?ハハハ!そりゃこのモジャモジャのことを言ってるのかいおじさん!?」
「今すぐに離してくれりゃ、ちったぁ手心加えてやってもいいんだがな」
「それは無理な相談だ!これはもう出荷先が決まっている!」
「畑中さんとこか」
「…あ…な、なんで、その名前を…」
「釣り友でな。今度新米分けてもらう約束してんだ」
駿馬は煙管を取り出し、煙草に火を付けた。疲れた脳味噌に毒煙が沁みる。
「いや、あのおっちゃんが日本人だとは俺も最近知ったんだがな。色々面倒みてやってんのよ。おかげですんなり通ったぜ」
「な、何がだ…?」
「俺ぁ今二級国民だ」
『はあぁ!?』
放心しているガトーを尻目に、何故か六賢老のみなさんが驚いている。
駿馬は威吹とトラ子に目配せをし、少し立ち位置を変える。
「…いや、兄貴、あんた、上には行きたくないって」
「…だから言いたくなかったんだよなぁ…」
「もう病気だよ絶対…その、《男に二言が無かった試し無し》は…」
「状況変わったんだから仕方ないじゃんよう…」
「坊…貴方、自分の立場ってものをですね」
「お、おじさん…貴族になるの…?」
「いやいやいや!流石にそれはない!ここまでだから!一級だけはないから!」
「威吹、今」
話の間にガトーの背後に回り込んでいたトラ子がベラに抱きつき、思い切り引っ張る。
ガトーの腕とベラの間にピンと張った縄を、威吹の神速の居合い斬りが断ち切った。
「あ、あああっ!!」
聞くだに憐れな声を上げ、人質兼商品のベラを奪われたガトー。
「で、どうするよ陸鮫。二級の身内に手ぇ出したんだぜ?分かってるよな?裁判もなんもありゃしねえ。問答無用でお前ら皆殺しだ。まあ大方はもう始末しちまったが、手下がここにいた連中だけってわけでもあるまいよ。抵抗すりゃ神域の士族がくるぞ」
「し、知らなかったんだ!ただの浮浪者だと思った!アスラ病みもだ!」
「…ま、俺も鬼じゃねえ。とりあえず日本刀寄越しな。畑中さんにゃ、俺が返しとく」
「そ、そんな…嘘だ…嘘だ…」
「お前がスジを通してくれりゃ、助命嘆願してやってもいい。またやり直せるさ…な?まだ若いんだ。よく考えろ」
妙に優しく語りかける駿馬。
その心うちは決して善意ではない。
無論、掛け値無しの悪意だ。
「兄貴…全部読んでたのかい?」
「備えてはいた。こんなギリギリの展開になるなんて考えてもいなかったさ」
さて、駿馬の目論見は…
「く」
どうやら、駿馬の目論見は…
「くくく、」
ガトーの様子を見るに…
「くくく、くくく、くくくくくく…」
上手くいかなかったらしい。
「何を笑う?加藤」
「…え、加藤?誰それ」
「くはははは!危ないところだった!呑まれるところだった、くはははは!凄いなおじさん!」
「…ちっ」
ガトーが立ち上がり、日本刀を振り上げる。
「散開しろ!来るぞ!!」
『おう!』
トラ子はベラを抱えて屋敷の中へ逃げ込んだ。
小太郎はラシャを小脇に抱えて距離をとった。
モーリーは飛び立ち、上空へと避難する。
ラミ子は展開についていけてないようなので、威吹が手を引いて連れて行く。
ガトーとは、一番弱い駿馬が対峙した。
「阿修羅喰い…この日本刀を恐れているんだろう?だから、これを奪いたい。そうだろう?」
「へっ。正解だよ、鮫ちゃん」
「全部出鱈目だ。そうだろう?」
「いや二級は本当だぜ?明後日くらいにゃ書類が届く。月が明ければ晴れて二級だ。税金取られて青息吐息ってわけだ」
「つまり、ここで貴様らを全員殺せば、問題無いってわけだな?」
「無いこた無いと思うがね」
「それしか、この私には、もう道が無い。そうだろう?」
「…ま、そうかもな」
駿馬は煙草の草を落とし、懐にしまった。
同時に財布を取り出す。
「…どうだ?金で手をうたないか?正直、やはり日本人とけんかするのは避けたいんだ。強いんだろうなあ…」
「今更何を抜かす!」
「商売をまたやるにも金がかかる。違うかい?」
「貴様が!貴様らが!全てを台無しにしたんだろう!」
「まあ待て!俺は今大金貨を十個持っている。これだけあれば再建に足りるのではないかね?」
「…く。くっくっく…良いことを教えてあげようか、おじさん…」
「む。なんだろうか」
「世の中にはね、金には代えられない価値ってものがあるんだよ。私は、日本人になりたいんだ。畑中様の後を継いで、日本人になるんだ」
「ほほー、りっぱだなー」
「そのために、あの二人は捧げものになってもらう!そんな小銭で、この夢を買えると思うな!私は加藤だ!日本人加藤だーーー!!」
ガトーが眩い光の刀身を振り下ろすと、延長上の壁や地面がザックリと避けた。
価値を視認する駿馬にはその間合いが分かるが、だからといって疲れた中年男の駿馬にいつまでも躱せるものではない。
「金には代えられない価値、か。いいことを言うねえ…勉強になったぜ、ガトーちゃん」
「私は加藤だと、何度言えば分かる!老いぼれめ!」
「そんじゃお礼に、おじさんがいいことを教えてあげようか」
「貴様などから教わることなどない!」
「まあそう言うねい」
駿馬は日本刀の斬撃をヨタヨタと躱しながら、財布から金貨を一枚取り出した。
「【評価】!!」
右手に握られた金貨に、駿馬は意識を集中する。
この金貨は日本円にして約三十万円の価値がある。生前の日本においては金の価値は一グラム五千円から六千円。金貨だともっと高い。単位は確か、オンスだったか…
この金貨は三十グラムも無い。精々二十グラムか。
この世界においては金は一グラムおよそ一万五千円とみた。
食費、一人頭一月二万円とする。家賃水道光熱費諸々を合わせて四万円。家族三人で八万円有れば生きていけるだろう。つまり、金貨一枚あれば、一家族が四ヶ月近く暮らせる。
それだけの価値だ。
目もくらむ価値だと、思わないか?
黄金の光が握った右手から溢れでる。
日本刀の薄っぺらい銀白色より、遥かに心を掴む色合いだ。
当然だ。
金とは何か。
それは債権だ。
生きるためには食い物が必要だ。服が必要だ。家が必要だ。娯楽が必要だ。
それらと交換できる、価値の結晶。
文字どおり命の対価。
それが金だ。
「金には代えられない、と言ったな」
黄金の光を目にして、ガトーが手を止める。
駿馬の右手から溢れる、その命の輝きに魅入られているようだ。
「それは、お前が金の価値を知らんからだ」
散々人の命を金に換えてきたというのに、何故それをこの若者は知らないのだろう。
多分、自分の命だけは、夢だけは、他の有象無象の人間とは別だと思っているからだろう。
必死で働いてきた人間には分かる。
自分の労働力を。生きてきた時間を。知恵を。夢を。
血と汗と涙を。
金に換えて、人間は生きているのだ。
「金の力を見せてやる」




