神の剣♯2
ガトーは気分が良かった。
やはり部下に任せきりでは良質な仕事は出来ないようだ。
探していた付け届けのための素材を見つけることが出来た。磨けば中々の逸品となるだろう。
アスラ病みの下手物を考えていたのだが、あまり気をてらいすぎるのも良くないかもしれない。そう考えれば上出来だった。
雨降りの夜は人喰いには最高の環境だ。ガトーはこんな夜が好きだ。
仕事が終わればお楽しみも待っている。
見た目はガトーの好みではない。かつての主人である《烏帽子のニグレー》のような、くらげを思わせる肉付きのでっぷりとした年増女だけが、ガトーにとっての《女》だ。
だが、思えば喰わず嫌いは良くない。
扱う商品の魅力を知らずして、何が商売人か。
とりあえずなんでも喰ってみる。それでこその鮫ではないか。
それにしても、面白い娘を手に入れた。
連れ去る時に肩に担いで運んだが、その時になんとも言えないよい匂いがしたのが印象的だ。
乞食供のすえた臭いや、男の獣臭とは違う。花のような優しい匂いだ。当たりの匂いに違いない。
はじめは諦めの顔をしていたのに、日本人に仕えられると知ってからの変わりようと言ったら。
まるで夢見る少女のようだ。ニグレーの娘が幼い頃、ちょうどあんな顔で話していたのを思い出した。
自分の伴侶となる日本人は、顔が良くて背が高くなければ、などと。己の分を弁えない、実に人喰いの娘らしい人を喰った娘だった。
やはり女は馬鹿がいい。
その点あの赤髪の娘は合格だ。
美味そうな餌に迷わず飛びつく、鮫の女に相応しい。
だがそうなると、すぐに《亥子の豪農》に差し出すのは惜しくなってくる。
何日か手元に置いて、男の扱いを仕込むか。
いっそ、一月もかけてキッチリ種を仕込んでやるのはどうだ。
上手くいけば、聖別後に我が子があの方の嫡子として認められるかもしれない。
それは、名案に思えた。
商品の仕分けを終えた。
ガトーは力仕事が苦手なので、部下に指示を出すだけだが、この仕事は楽しみの一つだ。
焼ごてで目印をつける時に出る、肉と脂の焼ける匂いが好きだ。こればかりは男の臭いの方が好きだ。
目印が付いた者から運び出す。
やましい運送屋もこんな夜を好む。
少し手が空いた。
小腹も空いたので、軽食を取ろうと思った。赤髪の女にも相伴させてやろうかと思い、ガトーは倉庫を出た。
その時、轟音が響き、三階立ての寝屋が震えた。
『敵襲だー!!人を集めろー!!』
「なに…!」
ガトーは困惑した。
かつてこのような襲撃を受けたことがなかった。
ガトーは自分の仕事に誇りを持っている。
人から恨みを買うような覚えが無かったからだ。
生きていても仕方がないだろう浮浪者に道を示す。
彼らを必要とする者に提供する。
仕事を手伝う者には報酬が与えられる。
街のゴミも無くなり、治安が良くなる。
人喰いこそは街の掃除人。嫌われ、誰もやらないが故に、尊い仕事なのだ。
ニグレーは、そう教えた。
売られて幸せを掴んだガトーは、その教えは正しいと思っている。
そんなガトーを襲う者がいるなど、考えたこともなかった。
ガトーは善人だ。善人は報われなければならない。
善人を害する者は裁かれなければならない。
そうだ。それには神の力が最適だ。
ガトーにはあるのだ。偉大なる神より下賜された、大いなる力が。
ずっと振るってみたかった。神の剣【ニホントウ】が、ガトーにはあるのだ。
ガトーは倉庫から少し離れた、自分だけの寝所に戻った。
神棚に祀った神の剣を腰帯に差した。
ああ、鏡が欲しい。神の服に神の剣を身につけた、この自分の晴れ姿を観たくてたまらない!
早く日本人になりたい!いやもう日本人なのだ!
もう名前も考えてある!
「私は加藤だ!日本人、加藤だ!!」
傘をさし、下駄をカラコロと鳴らしながら、狼藉者を討つために雨の中を進む加藤。
ふわりと、匂いがした。
良い匂いだ。当たりの匂いだ。
鮫は匂いに敏感だ。
加藤は、自分が善人で良かったと思った。
神はいつも善人に恵んでくれる。
「…いただきます」
加藤は行儀がいい。
日本人だからだ。
威吹が二十人目を斬り捨てたところで、モーリーは異変に気付いた。
屋敷の外に妙な光がある。
「小太郎。注意してください。何か来ます」
「…外からかい?」
「ええ。衛兵ではありませんね」
「…兄貴は?トラ子が行ったから大事はないと思うけど」
「まだ出てきませんね。私は上から様子を見てきます。威吹とラミ子をお願いします」
「分かった」
モーリーが雨の中を飛び立つ。
小太郎は突撃槍を横に振って二体の死体を投げ捨て、倉庫の中の様子をうかがう威吹の元に駆け寄る。
「威吹!何か変だ、注意してくれ!外から何かが来るらしい!」
「む!あい分かった!ラミ子は!?」
「これからだ!」
「我がそちらへゆく!小太郎は取りこぼしが無いよう、こちらを頼む!」
「分かった!妙な光に気をつけろ!」
「おう!」
斧槍を振って血を飛ばし、ラミ子の待機する屋敷正面へと向かう。
小太郎が倉庫の中に注意を向けると、取り敢えず残敵はいないように思えた。
すすり泣く女の声は聞こえるが、それは小太郎には関係無い。
「ラミ子、お屋形様はまだか?」
「う…ふぅ…まだ。大きい音がした…心配…」
興奮を抑えながら待機しているラミ子。三階から脱出する可能性と、玄関から中へ増援が入る可能性を考え、ラミ子はこの場所から離れられない。
「い、いぶ…き!なんか、光ってる!」
「む…」
松明ではない。見慣れない光だ。
鋭く直線上に進み、雨粒の一粒一粒をはっきりと浮かび上がらせる、白く透明な強い光。
それがチラチラと角度を変えながら、敷地の外の地面あたりから概ね空の方へ伸びている。
駿馬が見たなら、懐中電灯の光のようだと言ったろう。
「…人の手にもつ灯だ。あの動き、歩きながら揺れている動きだ。面妖な灯だが」
「うう…あれ、嫌い…なんか、嫌な感じ…」
「同感だ。よいか、敵であれば我がゆく。お前は絶対に前に出るな。飽くまでお屋形様を補佐せよ」
「…うん、分かった」
威吹は装備帯から鉛球を取り出して、口に含んだ。
大きく身体を膨らませ、取り入れた空気を身体の中で圧縮する。
本日二発目の《龍の威吹》を準備した。
雨の中を歩いてくる人間がいる。
カラ…コロ…カラ…コロ…
下駄など履いている者は隔離区域にしかいない。この音が足音だとは、威吹くらいにしか分からない。
人影が見えた。
『パッ!!』
発射された《龍の威吹》は音より速い。目で見て避けられる代物ではない。
確実な勝利のためには遠距離からの射出武器が最良だ。
威吹を強者足らしめるのは、熟練の技でも強靭な肉体でもなく、弱者に対しても優位性を一切譲らないその精神性だ。
だが、おかしなことに弾丸は当たらなかった。
遠くで何かにぶつかった鈍い音が聞こえた。
人影はそのままゆっくりと歩いてくる。
銀白色の光が近づいて来る。
再度《龍の威吹》を装填する威吹鬼。
「おいおい、随分と不躾だなアスラ人供。誰の家で騒いでいる?」
《パッ!!》
今度こそ真正面へと射出された弾丸だが、人影に当たる寸前に急に進路を変えて、上空へと飛んでいってしまった。
「な…!馬鹿な!」
「馬だの鹿だのはきみたちだろう?知らないのかね。家畜の寝床は小屋だ。ここは人間様のおわすところだ。こんな夜中に屠殺されに来たのかね」
和服の男だった。
金髪、色白、碧眼、細面で鼻筋の高い整った顔立ち。
背はエドガーと同じくらい。
右手にぶら下げている見慣れない形の抜き身の曲刀が、銀白色の強い光を放っていた。
「貴様が首魁、陸鮫のガトーか」
「違うねえ…」
「どう違う」
「私の名は、加藤。日本人、加藤だ」
威吹は絶句した。
「畏れ多いと感じいったかね?」
「…三級国民と聞いたが?」
「まあ、近々ということだ。同じだよ」
「人喰いが、日本人か」
「何事にも最初というものはあるさ」
「まあいい。その首級頂戴する」
「せっかちだな。人様の家を荒らしに来といて、主人に持て成しもさせないとは」
「茶でも振る舞うと?」
「もっといいものがあるさ」
加藤は左手で持っていたらしき縄を勢いよく引っ張り、何かの荷物を自分の足元に引き寄せた。
「そら、薄汚い畜生。取り立て新鮮の土産物だぞ」
「…な…!ベラ!」
そこにいたのは、全裸に剥かれ、縄で拘束されたベラだった。




