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神の剣

 

 全身から力が抜けてしまった。

 今更突入の際の打撲の痛みや、この部屋の死体を打ちのめした拳の痛みが意識に上がってくる。

 ああ、痛い。

 もう何もしたくなかった。


 だが、ラシャの遺体を弔わねば。

 あんな格好のまま一秒でも放置してはいけない。


 ふと思う。

 …蘇生、出来るだろうか?


 人間の死とは、結局は脳だ。

 心臓が無くても、血を脳に送って酸素を供給すれば死にはしない。

 酸素の価値を上げてやれば、あるいは…

 いや、どんな高圧高濃度の酸素だって、死後何分も経ってしまえば無意味だろう。


 死因はなんだ?

 血を吐いて突っ伏している。

 吐血か。なら内臓を痛めるほどに殴りつけられたか。あるいは斬られたか刺されたのか。毒ということはない。


 …なんで、殺されたのだろう。


 犯されたとしても、傷つけられたとしても。生きてさえいてくれれば。

 そう思っていたのに。


 …いや、待てよ。

 あの男は、やっていないと言っていた。

 出血で死ぬには、この程度では足りないハズだ。

 まだ、死んでいないのではないか?

 あるいは蘇生措置をすれば!!

 確認をしていないのに、何故死んだと決めつけた!!絶望するのは、確認してからだ!!


 駿馬は弾けるように立ち上がり、ラシャの元へ駆け寄った。


「ラシャ…ラシャ!目を覚ま…」

「おじさん!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお(ドカバン!)グハァ!!!?」


 突然顔を上げて存外元気よく返事をしたラシャに心底びっくりした駿馬は、猫のように飛び上がり、中年男にあるまじきスピードで後ろに飛び退った。

 その勢いで部屋備え付けの戸棚に後頭部と背中をしたたかに打ち付けた。

 跳ね返されて駿馬はうつ伏せに倒れこんだ。


「お、おじさん!?」


「ぐあぁ…いってえ…!おごっ!?」


 戸棚から落ちてきた酒の瓶が駿馬の後頭部を二連打で直撃した。

 のみならず、戸棚が傾いてきているのがラシャにだけ見えた。


「うひっ!なんでそんな丁度いいとこに…あ!おじさん上!上!」

「あがが…上?う、ええええええ!?ぎゃあああああああああす!!」


 ドッカーン!バリパキガシャゴトゴリグシャバサバサ!…ゴロゴロゴロゴロ…

 戸棚自体と、そこに収納されていた雑貨の全てが駿馬を襲った。


 あまりの惨事に目を瞑っていたラシャ。

 恐る恐る目を開けて、動かない駿馬に声をかける。


「…おじさん、生きてる?」

「…いや、なんで俺が…そのセリフ…言われとん…ねん…」


 どう考えても駿馬を愛してるとしか思えない関西圏の神に敬意を込めて、小江戸っ子の誇りを捨て、関西弁で一人ツッコミをする。

 そして駿馬は力尽きた。


 この部屋で動ける人間はラシャだけとなった。




 戸棚の下から駿馬を救出しながらラシャが経緯を語った。顔面から服の前面にかけて血塗れの様は、さながらハロウィンの仮装のようだった。


「でね。お湯と布を持ってきてくれたんだ。手下の人が」

「そのお湯で血糊の粉を飲んだの。持ってる分全部。飲んでからお腹の中で溶けると思って」

「その後、服をビリビリって。乱暴された感じにしてね」

「炭の粉を目の周りに塗ると、いいんだよ?不健康そうで」


「…血糊の粉?」


「溶かすと血っぽくなるんだよ?あの実を乾燥させたヤツなんだ!でね…」

「あたし、縄仕事得意だから、自分の腕を縛ったんだ!簡単に解けるんだよ!あと、水をかぶって、窓開けて…寒かった…」

「体が震えないように、あたしは死体、あたしは死体、って念じてね…」


「な、なんのために…」


「死んだフリ!上手いでしょ!死体って冷たいし!でね…」

「手下の人たち、思ったとおりケンカしだしたの。お前か!お前だろ!カシラになんて言うつもりだ!みたいにね!」

「一人だけ部屋から出てってくれなかったから、ちょっと辛かった…」

「朝まで頑張ったら、多分ホントに身体おかしくなってたと思うから、そしたら病気のフリをすればいいかなって!」

「病気持ちだと思われたら殺されるかもだけど、あの人もう、少しあたしのこと好きになってるから、多分何日かは生かされると思ったんだ!」

「きっとその間におじさんが助けてくれるもん!って!そしたら凄く早くて…えへへ、待ってるだけでよかったかも!美人秘書失敗しちゃった!」


「………そ、そうか」


 駿馬は空恐ろしい思いをしていた。

 駿馬が助けに来たことで(実際に救出されたのは駿馬だが)安心したのだろう。ヤケに饒舌で年頃の少女っぽいのだが、聞かされる内容が何というかもう…


(俺は、とんだ化け物(ふじこちゃん)を育てているのではないだろうか…)


 やれやれ、とこめかみを押さえた。


(しかし、死んだフリねえ…)

(信じこむもんだ。ありゃ迫真だ)

(確かにあれは抱く気も起こらんわな。もちろん殺す気も起こらん。完全に死体だし)

(俺の【無価値】といい勝負だ)

(よお、【価値の簒奪者(レトリバー)】、お前負けてるぜ…?持続性じゃあっちが上だ)

 右手をペシペシ、と叩いてやるが、返事などない。


「ん…じゃあ、その血は…」

「う、うん…これは…」


 ちょっと言いにくそうなラシャ。


「げろ」


「…そっかぁ…げろかぁ…」


 なんだろう。この気持ち。

 全然いいんだけど。怪我一つ無いって分かったし。

 血なんか流していいことないんだけど。

 うん…

 げろかぁ…

 さっき、俺すごい絶望したんだけどなあ…

 げろかぁ…


 言葉に出来ないもやもやに、駿馬は、その…

 もやもやした。


 駿馬は己の知能が急速に低下していくのを感じた。

 シリアスはもう限界だった。

 散々怒って、何人か殺して、絶望に浸って、死んだフリに脅かされて、最後はげろで…

 なんて夜だよ、全く…

 駿馬は一刻も早く酒が呑みたくなった。

 戸棚から落ちてきて割れた酒瓶の中身が、タップリと戦装束を濡らしている。

 ブランデーかなにか、蒸留酒の匂いが身体に染み付いている。


 ふと、何かを思い出しそうになった。

 血糊。縄。自縄自縛。

 まさに駿馬のためにある言葉だ。別にマゾっ気があるわけではない。

 じゃなくて、えーと…

 まあいいや。


「ま、ともかく、ボチボチ帰るべぇ…外はもう片付いたろうし、今日はもうおじさん疲れたよ。と、その前に…」


 駿馬は死体が乗ったベットの端の方から、綺麗な部分のシーツを切り取った。

 持ってて良かったククリマチェットだ。


「美人秘書が台無しだぜ。コイツで顔拭いてからな」

「はい!」


 ラシャが布を水で濡らして顔を拭っている。

 それを見ながら、眼鏡を拾ってかけ、折れ曲がった細剣を回収する。

 膝に当てて逆方向に曲げてやり、どうにか真っ直ぐに近いS字に戻す。鞘には入らない。

 帰りがけに兜も回収せねば。ノワール氏に怒られてしまう。


「美人秘書復活!」

「どれ」

 よく見てみると、顎の左側がまだ少し赤かった。

「そら、動くなよ…?」

「ん…」


 布を手にして、顎を拭いてやる。

 だが、取れない。


「…なんだよ、怪我は無いなんて言って…殴られてんじゃねえか」

「…うん…でも、もういいの」


 ラシャが駿馬の右手に自分の手を添えてくる。

 ギュッと握られた。

 意外なほどにしっかりした手のひらだった。

 タコがいくつもある。工業高校にだってこれだけの手をした生徒はいないだろう。


「…手、ゴツゴツなんだな」

「あっ!」


 手を離そうとするラシャ。

 今度は駿馬が離さない。


「良い手だ。働き者の手だ。有能な手だ。俺はこういう手が好きだ」


「………だよね!えへへ…自慢なんだ!」


「…無事で良かった」


「…うん」


 ラシャが駿馬の胸に額を寄せてくる。

 駿馬は遠慮がちにラシャの背中に腕を…


「ん!ゔゔん!」

「うほぉいっ!!」

 突然背後から聞こえた咳払いに駿馬はまたも飛び上がる。

 振り返ると居心地悪そうなトラ子ちゃんがいた。


「あー、まあ、なんだ。トラ子とて木石にあらじ。決して無粋な真似を好むわけではない。いい雰囲気を壊すのは主義に反するのだ。そこは分かってくれ」

「べ、別に!?いい雰囲気とかじゃないし!?」

「トラ子ぉ!!…きて、くれたのぉ…!?」

「無論だラシャ。無事で良かった、うぉ!」

 トラ子ちゃんの胸に飛びつくラシャ。頭をよしよしと撫でているトラ子ちゃん。二人は随分仲良くなったもんだ。


「さて、少々惜しいが用件に入る。飼い主に助力を願いたい。端的に言って窮地だ」

「…な、なに!?」

「飼い主の力が要る。あるいは撤退すべき。判断を頼む」

「…大魔王でも出やがったか?お前らが持て余すなんて…いや、まさか…」

「多分、そのまさかだ」

「…嘘だろ?」

「…まずは見よ。こっちだ」


 三人は屋敷の真ん中の部屋に向かった。途中、駿馬の殺した男の死体とトラ子の殺したらしき男の死体があったので、ラシャになるべく見えないよう注意した。


 トラ子が部屋の木窓の残骸を蹴り破り、駿馬を誘った。


 やけに明るい。照明など存在しない世界だというのに。今夜は雨で、月明かりすらないのに。

 灯りをつけたにしても色がおかしい。松明や焚き火の色じゃない。

 銀白色の、まるでLEDのような、温かみのない薄っぺらい光。

 その光源が動いている。場所を、角度を変える度に、照らされる物体の背後に伸びる影が目まぐるしく形を変える。


 時に光源にまとわりつくように、時に光源から逃れるように。歪な人影が立ち回っている。

 あれは威吹だ。

 戦闘中なのか。

 見れば斧槍ではなく、もっと短い曲剣を手に持っている。

 わざわざ持ち替えた理由が分からない。あれは主武器ではないはずだ。


 あの威吹が苦戦しているのだろうか。

 そんな馬鹿なことはあり得ない。

 あり得たならば、馬鹿なことが起こっている。


 駿馬は両目に価値を集中して、眩い光源の正体を見定めようとした。


「…陸鮫のガトー…あんにゃろう、なんであんなもん持ってやがんだ」

「飼い主、アレはなんだ?ヤツは三級国民のはずだ。何故威吹が押される?あの光はまるで…」


 金髪着流しの若い男が、その光源を手に持って振り回している。それは刃物武器の形をしている。

 威吹の攻撃は明らかにその男を遥かに上回る精度で繰り出されているのに、当たる直前で逸らされているのがここからでも分かる。

 酷い能力(ペテン)だ。


「…あれは日本刀(ポンとう)だな…」

「やはり」

「ああ」


「クソッタレ神供の御加護賜りし、選ばれた者だけがなれる一級国民、貴族【日本人】。その御威光ってやつだ」







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