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無価値のエドガー♯2

 

 通路には、威吹の攻撃による騒音に何事かと慌てる陸鮫の手下達が行き交っていた。

 駿馬のいる部屋に入ってこようとしなかったのは、中で情交に耽る二人がいたからだろう。

 ひょっとすると幹部クラスの男だったのかもしれない。今更どうでもいいことだが。


 駿馬は扉の鍵を外し、無造作に外へ出る。鍵は内蔵式の、引き戸だった。

 ラシャのいる部屋もこの形だと助かる。


 外には男が一人いた。

 その男が駿馬と入れ替わるように部屋に入ろうとする。

 駿馬が道を譲ると、明らかな侵入者である駿馬を一瞥しただけで、視線は中の惨状とトラ子に釘付けになっている。


「な、なっ!なんだテメエ…バケモノじゃ…!」

「無視すんなよ」


 細剣の根元を首の右側にそっと置いてやる。


「寂しいじゃねえか」


 首に細剣を押し付けて、一気に手前に引く。

 長さを活かして引き斬られた首は半ばまで口を開け、夥しい量の血液が溢れ出す。

 即死ではないが、すぐに死ぬ。声も上げられまい。

 ベット側に押してやると簡単に倒れこんだ。


「どうした!」

 もう一人男が駆けつけてきた。

 短剣すら抜かずに異常事態に臨むとは、使えない部下を持った陸鮫は憐れな男かもしれない。

 廊下を走ってくる勢いを利用して、駿馬は革手袋に包まれた左手の掌底を顎に叩きつけた。

 真正面からだ。

 綺麗に顎を打ち抜かれた男は脳震盪を起こしたのだろう。勢いよく前のめりに倒れた。

 自分が何をされたのかも分かっていない。気がついたらテンカウント後という寸法だ。

 だがカウントは無く、ここで試合終了だ。

 駿馬は背中を踏みつけ、体重をかけて細剣を心臓の辺りに差し込む。

 肋骨を削る嫌な感触があったが、構わず床まで剣先を差し込む。

 捻りながら細剣を抜く。

 廊下に血が広がっていく。

 駿馬はそれを踏まないように注意した。



「くくく。相変わらず面妖な力よな」

 心底嬉しそうなトラ子。

「お気に召したかい?」

「堪能した。だが、ここまでか?」

「…ま、ね」


 駿馬は武人ではない。戦士でもない。

 達人なわけがないし、剣士ですらない。

 ただの素人とそう変わらない駿馬が、この屋敷に侵入して既に三人を殺めている。傷一つ無く。


 人は、無価値なものを認識しない。

 道端に金が落ちていれば、誰でも気付き、拾うだろう。金とは価値の結晶だ。

 道端に動物の死骸が落ちていれば、誰でも気付き、避けるだろう。死骸は不潔不衛生という負の価値を持つ。

 ならば道端に石ころが落ちていればどうだろう。

 拾うか。避けるか。

 そもそも気付く事もなく通り過ぎるはずだ。

 そしてたまたま靴に当たり石ころがはねて、ああ、石ころがあったのだと気付くかもしれない。


 駿馬は石ころになれる。

 その程度の価値しかない存在になれるのだ。

 それが《価値の簒奪者》。

 それが《無価値のエドガー》。


 どんな達人でも、戦士でも。

 敵を敵と認識出来なければ戦いようが無い。


 道端の石ころは無価値に見えるが、本当に無価値な物質なんてこの世には存在しない。

 青カビからペニシリンが。灰から石鹸が。糞尿から火薬が生まれるのだ。

 駿馬は剣を振るえる石ころだ。


《価値の簒奪者》とは、価値を操作する能力。駿馬自身まだその全てを理解しているとは言い難い。

 だがそこは問題ではない。理解していないなら研究することで理解度を深めればいい。

 本当の問題は、既にこの能力は欠陥品となっている、ということだ。


「…気を抜くと、持っていかれそうになる。召されそうだ」

「ならば急ぎラシャの元へゆけ。そちらへは誰も行かせぬ」

「…頼む」


 トラ子が扉から出て、左手に出る。

 駿馬は右手に走った。


 生きている人間に価値が無いなんてことはあり得ない。それを無価値だと思わせる。この能力は何かを、あるいは何もかもを欺いているわけだ。

 多用すれば、何がしかのしっぺ返しは来て当たり前だ。

 本当の無価値になってしまう、などがありそうだ。

 つまり死ぬ。


 半年前は違った。なんの制限も無く、好き勝手に無価値を操り、価値を奪い、暴れ放題暴れた。

 きっと駿馬の右手に住んでいたものは、制御装置のようなものだったのだろう。

 この力はその残滓。絞りかすのような物だ。


 だが、文句を言っても始まらない。使えるものは使うし、使えないものは代用する。それだけだ。


 右奥の部屋の前に到達する。仄かな明かりが漏れている。ここに違いない。


 駿馬は自身の《無価値》を既に解除している。

 次に行使する能力(ペテン)は、《簒奪》だ。

 《無価値》と《簒奪》の二つが、かつての駿馬の得意技だった。


 右手を扉に当てて、扉を探る。

 探すのは鍵の価値。

 鍵の価値とは扉を開ける行為を遮ること。

 その価値を奪い、扉に移す。

 扉の価値とは、二つの空間の遮断だ。これできっと、断熱性とかその辺の価値が上がっているのではないだろうか。引き戸の滑りが良くなってたりしたら笑える。


 少しだけ力を入れてやると、大した手応えもなく鍵が外れる音が手に響いた。まったく役に立たない鍵だ。無価値な鍵だ。


 再び駿馬は《無価値》を発動する。

 長くは保たない。

 まずラシャ以外の人間を殺す。

 それから考えよう。


 手が震えているのにも構わず、ひと思いに扉を開き、中に滑り込む。


 男がいた。

 それはいるはずだ。いるに決まっている。

 散々ラシャを嬲りものにしたのだろう男が、そこにいるのだ。

 一人しかいない。

 一人しかいないのか?そんなわけがないだろう。この遅漏野郎が。

 俺になぶり殺しにされる男が、一人で足りると思っているのか。

 すぐには殺さねえ。

 トドメはラシャに刺させてやる。

 性器を切り取って口にねじ込み、クソを詰めてから肥溜めに逆さまに吊るして溺れさせてやる!!


 ぷちん、と。何かが切れた音が聞こえた。


「――――――!!!!」

「う…お…!」


 《無価値》など、部屋の中を一目見た時に消え去っていた。

 不安定な能力は、すぐ消える。


 細剣を力の限りに叩きつけた。

 刃物の使い方ではない。出鱈目に怒りをぶつけただけだ。

 斬るというのは、刃を引きながら滑らすことで、細胞の隙間に滑り込ませ、分ける作業だ。

 駿馬がしたのは、鉄の棒をぶつけただけた。

 それでも多少は切れる。

 何度も何度も叩きつけるうちに、男は血まみれになり、細剣はひしゃげていった。

 駿馬はまるで狂人だった。

 まるでではない。まるっきりの狂人だ。

 ここまで我慢していた。抑えてくれる仲間がいたから、我慢していた。

 今は一人だ。

 思う存分に狂える。最高に愉快だった。


「お、おれじゃない!!」

「死ね…!まだ死ぬな…!」

「まて!まってくれ!おれはやってねえ!!」

「まだ死なねえのか!死ぬんじゃねえぞ!!」

「や、やめ…カシラ!カシラに殺すなって、おれはやってねえんだ!やめろ!!」

「もう死ねええええ!!!」


 半ばから折れ曲がった細剣を捨て、男に馬乗りになり、親指を目に突き立てた。

 腕を掴んで捻り、膝を乗せて折り砕いた。

 悲鳴がうるさいので顎に鉄槌を何度も叩きつけて脳を揺らし、黙らせた。

 拳がどうなろうと構わないので、顔面の中心に何度も何度も叩きつけて陥没させた。

 拳が男の体液と脂で滑るので、肘を叩きつけた。

 ベットがたわんで、思うように頭を砕けない。

 最後には自身の額を男の顔面に叩きつけてやった。

 もう、誰がどう見ても、男は死んでいた。


「ぜえ…ひゅー…ぜえ…ひゅー…」


 息もまともに出来ない。声も出ない。

 視界がおかしい。眼鏡が外れてしまっていた。

 ラシャを助けにきたはずだ。でも、今はラシャを見たくない。


 ラシャは縄で両腕を縛られ、床に座った態勢で、力なく前のめりに倒れこんでいる。

 その顔の臥した辺りの床が、赤黒い液体で濡れているのが、駿馬には分かっていた。

 夥しい量だ。


 あれは、血だ。


 この部屋に、動く人間はもう、駿馬一人しかいなかった。






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