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無価値のエドガー

 

 その屋敷は一級国民の居住区を囲む内壁の側にある。繁華街とは逆側だ。

 大きな建物が多い。人が住むための邸宅もあるが、大半は商会の倉庫だ。

 穀倉地帯にほど近く、昼間なら交易の馬車がよく通る。夜出歩く者など皆無だ。


 夜の十時を告げる鐘が聞こえる。後酉(あととり)の刻だったか。どうでもいい。


 問題はこんな雨の降る夜中に、その邸宅に人が溢れているということだ。

 後ろめたいことをするなら、夜がいい。


 所有地を囲むように杭が打たれ、荒縄が張られている。

 建屋は三つ。邸宅が一つと倉庫らしきものが二つ。これが持ち家の全てということはないだろう。

 ラシャがこのどれかにいるといいのだが。


 偵察に出ていたモーリーが戻ってきた。


「どうだ?」

「屋敷の中には人は少ないですよ。倉庫の方は随分と騒がしいですね」

「ラシャはいそうか」

「女の声は奥の倉庫から聞こえますが、ラシャではありませんね…」


「あの、社長…」

「なんだ」

 ベラが話に入ってくる。


「あの、私にはラシャねえさまの匂いが、分かります」

「…うむ。やはり犬の力があるのか」


 犬の嗅覚は人間の数億倍という話を聞く。

 それは血や肉のような、有機物の匂いにこそ働き、鉄や石などの無機物にはあまり働かない。獲物を捕らえるための力なのだから当然だ。

 犬の鼻腔は大きく長い。センサーの大きさが人間とはあまりにも違うのだ。

 ベラの頭部は多少体毛が多いが飽くまで人間の形をしているため、本物の犬ほどの嗅覚を持つことはないだろうが、それでも人間より優れているのではないだろうか。

 実のところ、非戦闘員のベラを連れてきたのはそこを期待していたからだ。


「雨が降っているが、どこにいるか分かるか?」

「…少なくとも、このお屋敷のどこかにいることは間違いありません。時々、上の方からふわりと匂いが来ます」

 駿馬はニヤリと笑った。

「十分だ。お前は最高だ、ベラ」


 雨の中、地面に落ちた匂いが捲き上ることはないだろう。ラシャは上の方にいる。

 倉庫は広いが平屋だ。屋敷の上の方にいるに違いない。

 襲撃してラシャがいないでは話にならない。いるのなら、生きていれば問題無い。


「モーリー。屋敷で、灯りがついているのは」

「三階、真ん中の部屋と右奥の二つ」

「よし、真ん中からゆく」


 駿馬はベラを抱えて小太郎から降りた。

 小太郎から防水布を外す。戦闘には邪魔だ。


「ツートップ。俺とトラ子が三階だ。威吹が斬り込んで道を開き、三階の窓に一発。そこから侵入、まずは俺から。ラミ子、頼めるか」

「はい。おとーさん」

「はっ!」

「ベラは十分な務めを果たした。隠れていろ」

「は、はい…」

「小太郎はかき回せ。屋敷に人を入れないよう陽動だ。戦闘は基本威吹に任せて、お前はいつ逃げてもいい」

「わかった」

「トラ子は俺のフォロー、最善を、自由に」

「いいだろう」

「モーリー、何人くらいだ」

「屋敷の中には、七人ほどですかね。倉庫の中に三十と、四十。囚われている人と、ここの人との割合は分かりませんね、外には十五です」

「手下はざっと、二十五から三十ってとこかな…威吹、足りるか?」

「少々不満ですな…その倍は欲しいところでしたが」

「全員殺れ。残すなよ」

「首魁はどのような」

「陸鮫のガトー。金髪の男だ。多分着流しだからすぐ分かる。和服だ」

「…二級ということですかな」

「いいや。まだ三級のくせに和服だ。殺れ」

「承知」


 今夜の駿馬に遊びは無い。

 そして容赦も無い。


 雨を避けるようにしてマッチを擦り、短筒の火縄に着火する。細く上がる煙は開戦の狼煙だ。


「状況開始だ。ゆくぞ六賢老、威吹に続け!」

『おおおおおーーー!!』



 各々が雨具を放り投げ、走り出す。

 先陣を切るのは威吹だ。

 斧槍を左手に持ち、装備帯にくくり付けた布袋を一つ外して右手に持つ。


 正門の前に威吹が辿り着いた時には五人のちんぴらが集まってきていた。

敵襲(かちこみ)だー!!人を集めろー!!」


 この雨の中屋外で見張りをさせられて、すっかり疲れ切っている哀れな三下だが、本当に哀れなのは、威吹の前に立ったことだ。


 威吹は斧槍の石突きを地面に刺し、布袋の中身を取り出して、大きな口に放り込んだ。

 それは拳大の球形の鉛の塊だ。


 威吹は両腕を目一杯広げ、首元のエラを全開にする。

 ひゅおぅぅぅぅ…という音と共に、威吹の上半身がまるで河豚のように膨らむ。

 音が鳴り止んだと同時に両腕を畳むと、膨らんでいた上半身がもとのシルエットに戻る。

 威吹はまだ息を吐いてはいない。

 空気はまだ威吹の肺の中にある。

 大量の空気は圧縮され、放出の時を待っていた。


『パッ!!』


 破裂音と共に、威吹の口内の鉛球が打ち出され、三階の木窓に命中する。

 夜のしじまに、耳をつん裂くような轟音が響き渡り、木片が辺りに飛び散った。


 体内で圧縮した空気を用いて砲弾を高速射出する、威吹の得意技。《龍の威吹》だ。

 人間に当たれば鎧ごとひしゃげさせて吹き飛ばすほどの威力がある。


 だが、この大砲の如き遠距離攻撃は、威吹という竜人にとっては余興の伝統芸に過ぎない。

 威吹は鋼の竜巻だ。


 斧槍を両手でしっかと掴み、爆音に慄くちんぴらを標的に、横薙ぎに振り切る。


 ぴぅんっ、という空気を裂く音はまるで居合い斬りのよう。

 大質量の鉄塊がこんな澄んだ音を立てて振り切られた以上、その後には何も残らない。


 一薙ぎで三人の首が飛んで消え、二薙ぎで残り二人の上半身が飛んで消えた。


「よいぞ!ゆけラミ子!」

「おう!」


 普段のあどけなさがすっかり消えてしまったラミ子と共に駿馬は走り出す。

 集まってくる陸鮫の手下達を遮るように威吹が立つ。

 その威吹の先に出たところで、ラミ子が駿馬の腰に抱きついて抱えた。

 宙に浮く駿馬。

 これから起こる出来事に備え、目を固くつぶり、歯を食いしばり、落とさないよう短筒をしっかり抱えた。


 ラミ子が尻尾の筋肉を使って全力で伸び上がり、その勢いのまま飛び上がる。


「死ねーーーーー!!」


 そして、抱えた駿馬を灯りの漏れる半壊の木窓に思い切り良く叩き付けて、中に投げ入れた。

 必殺のラミ子ダンクだ。


(いや、死ねってキミ!!)

 心の中のツッコミは誰にも聞こえない。


 声にならないうめきをあげて、駿馬は三階中央の部屋の床を転がった。突き当たりの壁にぶつかり、ようやく勢いがとまった。


 身体の痛みを認識しないよう心掛けて、駿馬は素早く立ち上がり、標的を探す。

 半裸の男と毛布に包まる女がいたので、迷わず男に短筒を向け、火縄を落とした。

 パンッという炸裂音と共に撃ち出された弾丸が男の腹に命中したのを見て、すぐに短筒を手から落とす。

 右手で細剣を抜いて、腹を抱える男の心臓の辺りに横向きに突き刺す。

 十分刺さったのを確認し、剣を九十度捻り、なるべく傷周りをえぐるように抜く。

 どくり、どくりと血が溢れ出した。


「キャアーーーーーーッッ!!」

 一緒にいた女が悲鳴を上げる。耳にキンキン響く嫌な声だ。

「チッ、ハズレか」


 そこにいたのはラシャじゃない。

 娼婦だろうか。

 なら用は無い。


 駿馬は兜を脱いで地面に落とした。

 次いで頭巾を脱いで地面に落とした。

 もう要らない。


 駿馬の注意は扉の外にある。向かって右の方の部屋だ。


 半壊した木窓からの風の流れを感じた時、地面を転がってくる物に気付いた。

 女の頭だ。


「…?」

 なんで殺したのだろう。

 音も立てずにそこにいるトラ子を見やった。


「飼い主。油断したな」

「ん…?」


 女の身体の方を見ると、短剣を握っていた。

 身体には刺青があった。普通の娼婦には刺青は無い。商品価値が下がるからだ。

 つまり、この女は陸鮫の構成員だった。


「…チッ。なかなか百点満点が取れないんだよな、俺ってやつは…」

「いつだって次は無い。もう油断するな」

「悪い。…もう油断しない」


 ラミ子ダンクの衝撃で頭がボケていたということにしよう。

 右手の革手袋を脱いで顔面をゴシゴシとぬぐい、気持ちを入れ替える。


「さあ、久し振りに見せよ」

「…ああ」


 右手に意識を集中して、目に与えている価値を解除する。これで駿馬はただの中年男に戻る。

 懐から形状記憶合金の眼鏡を取り出して耳にかける。もう夜目は利かない。


「俺は、無価値だ」


 かつて、ここ猪の国以外のいくつもの国において。

 姿が見えども覚えられず。

 閉じ込められども捕まえられず。

 人外を従え、人理に従わず。

 数多の国宝を奪った流れの盗人がいた。

 いつしか人はその盗人を《価値の簒奪者》と呼んで親しんだ。

 神の怒りに触れ、その力を奪われ、彼は何処ぞの僻地に封印されたと、人は伝える。


「《価値の簒奪者》から価値あるものを奪おうとしたこと、まさに釈迦に説法するが如し。とくと後悔させよ」


 珍しく持ち上げるトラ子に駿馬はニヤッと笑顔で返す。


「今は《無価値のエドガー》さ」


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