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陸鮫のガトー♯3

 

 ガトーはもう我慢の限界だった。

 狩を始めてからこっち、戦果がふるわない。

 ガトーの好みは子供なのに、何故か子供が全く手に入らない。幼児は手に入るが、そんなものは獣の餌にしかならない。

 情報にあった、器量良しの娘はどうしたかと問うと、分からないと答える度し難さに、ついガトーは手が出てしまった。

 死体を処分するのにも手間はかかる。

 実に不愉快だった。


 恐らく、獲物は誰か他の人喰いに喰われたのだろう。

 腹立たしいが、後手に回ったこちらが間抜けなのだ。

 だが供物は調達せねばならない。

 ガトーは自身が動くことにした。


 鮫は獲物を選ばない。




 自治会長に家屋建設の依頼をした。会長は職人達の元締めだ。

 マクラーレン商会に建材を一任し、あとは工事が始まるのを待つばかりだ。

 本格的な冬がやって来る前に、子供達の寝床を作ってやらねばならない。


 交渉が上手くいった駿馬は散歩がてら繁華街をぶらつき、雑貨屋に寄って煙草の草とマッチを買い求めた。

 煙草入れにしまう。革製の上等な品だ。

 そう言えばラシャには自分の仕事鞄を持たせているが、無骨なデザインでラシャには似合わない。

 得意先の一つである革製品の店へ寄ることにした。よく獣の革を卸す店だ。

 肩掛けの鞄と財布、小物入れを買う。

 この財布は二枚の厚い革を重ねて縫ったシンプルなもので、入れるのは簡単だが出すのは少し難しい。

 金を貯めるには良い作りだ。そこが気に入った。

 店主に次からは美人秘書が注文を取りに来る旨を告げると喜んでいた。

 駿馬も気分がいい。

 男は助平な方がいい。少し馬鹿なくらいが丁度いい。

 駿馬はそう思っている。


 何をするというわけでもなく、貧民街を通ってみる。誰も彼もが働いていないというわけではない。単に家を所有していない、賃貸の部屋を借りることが出来ないというだけで、物乞いは極々少数だ。

 真昼間にみんながみんな寝床にいるということは無いだろうが、それにしても随分と人気が無く、生活感が無いような気がした。

 この場所に活気があっても良いこともないか、と思い直し、駿馬は帰宅した。



 子供達の相手をしていたモーリーとベラを労って、駿馬は晩飯の用意を始めた。

 ベラは料理を手伝いたがったので、簡単な仕込みから教えることにする。

 兎にも角にも大切なのは手洗いだ。調理中に何度も洗う。

 野菜を洗ってから皮を剥く。そしてその皮も芋以外のものは大体料理に使う。

 今日は大根と南瓜と蓮根を使って、ほうとうのようなものを作ることにした。みな毎日肉料理では飽きるだろう。栄養バランスもある。もちろん猪肉もたっぷり入れるが。

 大根と蓮根の皮は千切りにして、ごま油で炒め、醤油と砂糖を絡める。きんぴらみたいなものだ。食感が素晴らしく酒が欲しくなる。

 味噌と醤油があるこの世界は素晴らしい。

 チーズやヨーグルトもある。発酵食品は粗方手に入る。

 見たことの無い調味料もあるが、これから試していこうと思っている。目下のところ気になっているのは、千鼻花という植物の肉厚の花弁を乾燥させて作られる、紫色の粉だ。唐辛子の辛さとも山椒の痺れとも違う、舌を捻るような刺激があるらしい。

 身体の悪いものを排出する作用があるということで薬扱いなのだが、これは間違いなく香辛料になると駿馬は踏んでいる。

 カレー界に新たな一石を投じられること間違い無しだ。


 ラシャが帰ってきた。彼女の寝床は《岩鳥の巣亭》なのだが、仕事の報告があるのだ。

 翌日の注文を受け取る。問題は無いようだ。

 そのわりに、何となく元気がないように見えた。

 喜ぶと思って、駿馬は今日買い求めた肩掛け鞄と財布と小物入れを渡した。初仕事のお祝いだと言い含めた。

 ラシャはそれを受け取ると、小さな声で礼を言って、慌てた様子で宿へと帰っていってしまった。

 またも駿馬は失敗したようだ。


「よく考えたら、仕事初日に間に合ってなかったか…気が利かない男丸出しだった…それともデザインかな?ブランドもんとか、あんのかな…」


 モーリーとベラがこちらを見ながら何かを話している。


「あの、社長って…鈍感な方なんですか?どう見ても今のラシャねえさまは…」

「象並みですよ…かと思えば、やたらと敏感なところもあるのですが…総じてお馬鹿です………ホウ」


 失敗したくなければブランドの力を借りろ。駿馬はそう学習した。


 小太郎達が帰って来る頃には大分暗くなっていた。

 ほうとうもどきの下拵えは済んでいる。

 冷えた身体を早く温めてやろう。トラ子ちゃんは熱いものが苦手だからつけ麺形式がいいかもしれない。

 みな箸は使えないだろうから、フォークと木匙で巻いて食べればいい。

 宿の三人にも後で届けてやらねばならない。亭主に食事代は渡しているが、あそこの食事には野菜が足りない。


 雲が出ている。

 遅くなると雨が降るかもしれない。




 部屋に戻ったラシャはレニに詰め寄っていた。


「レニ…この服の洗い方教えてよ…」

「あ、あたいもこんなの着たことないし!」

「着替えはあるんだけど、このままじゃ…水で洗っていいのかな?それとも、手を洗う石鹸でやった方がいい?」

「多分やばいよ!色とか落ちるかも…」

「どーしよー…」


 ラシャの服の袖がガビガビに強張っていた。

 明日仕事に出た時には必ずどこかで手拭いなりハンカチなりを購入しようと思っているが、やってしまったことはしょうがない。


「…業者さんに頼めば?」

「え、そんな人いるの?」

「上級の人達御用達の、高い服を洗う人達、いるらしいよ」

「どこ!?」

「…分かんないけど、服屋さんなら知ってるんじゃないかな…」

「聞いてみる!!」


 ラシャは大急ぎで自前の質素な貫頭衣に着替えると、部屋を飛び出した。


「おいラシャ、どこ行くんだよ」

「あ、ディン!ちょっと服屋さんまで!」

「もう暗くなるぞ?」

「でも、急ぐの!」

「そっか。あ、じゃあ、これ持ってけよ」


 ディンがラシャに渡したのは、かつての美人局の際にエドガーに突きつけた短剣だった。


「あ、これ…」

「さっき女将さんと旦那さんから返されたんだ。社長に渡せってさ」

「あたし、こんなの使えないよ?」

「持ってるだけでもいいんじゃないか?護身用にさ」

「そっか…」


 ラシャも、愛用の護身具を持っている。だがそれは人を傷つける類のものではない。

 生半に反撃すれば、かえって手痛い思いをすると、経験で知っているからだ。

 弱者に必要なものは牙ではない。逃げて生き残るための知恵なのだ。

 だが、今のラシャは今までのラシャとは違う。奪われたくないものを持っている。

 その短剣を、ラシャは腰の後ろに刺しておくことにした。



 夜の街は暗い。

 飲食店は獣脂を燃やして灯りをとっているが、一般家庭ではそうはいかない。薪も油も金がかかる。

 馬や牛などの糞を乾燥させた燃料もあるが、臭いが酷く、余程のことがなければ使われない。

 街灯なんてものも当然無い。暗くなったら出歩かないのが当たり前だ。

 ラシャは急いでいた。

 《紫》は閉店時間ギリギリだったが、間に合った。

 いつぞやの女性店員に聞くと、確かに洗濯専門の業者はいるという。

 ラシャの貰った小遣いでもどうにか依頼出来るが、次回からは自分でやった方がいいと言われた。明日にでも洗い方を教えるので、また店にくるように言われた。

 ラシャは女性店員に礼を告げ、店を後にした。



 逢魔が刻、という言葉がある。

 夕暮れ、黄昏。昼が終わる時間。

 まだ灯りをつけるほどでもなく、かといって視界が良くはない。

 そんな時に人はよく事故を起こすものだ。怪我をするものだ。

 弱き者がこんな時間に出歩くものではない。

 魔に逢いたくないのならば。



 路上育ちのラシャはこんな薄暗闇の中も慣れっこで、帰りの道を歩いていた。

 遠回りして、前の寝ぐらの近くを通ってみる。

 夜鷹が客を誘ういつもの光景は、何故だか今日は見られなかった。

 みんなで金を出し合ってする炊き出しも見られない。

 衛兵の不定期な視察があったのかもしれない。街の風紀のため、また火災防止のためと、たまに彼らは貧民の生活に口を出してくる。


 ここでの生活はとても長かったのに、それもほんの数日前のことなのに、今のラシャにはとても遠い昔のことのように感じられた。

 ラシャはなんて幸運なのだろう。

 それとも、ここにいた頃が不運だったのだろうか。

 なら、今もここにいる人はどうなのだろう。

 自分たちはもう、ここに戻らなくていいのだろうか。

 とても不安になってくる。


 エドガーへの思慕の情が湧き上がってくるのを感じた。

 決して純真な恋心ではない。

 強い損得勘定から始まったものだ。

 だが求めている。

 狂おしい程に求めている。

 今すぐに駆けだして、あのお人好しで、言葉遣いがころころ変わって、自分の手下の人たちに馬鹿馬鹿言われてるくせに楽しそうに笑ってる、料理好きのおじさんに逢いたい。


「…でも、迷惑だよね…」


 それが、とても哀しかった。



「泣いているのかい、おじょうちゃん?」


 それは薄暗闇の中から染み出すように現れた。

 美青年という言葉がしっくりくる、着流しという名称の和装に身を包んだ男だった。

 金髪碧眼。長身で細身。

 ラシャは和装の人間を初めて目にした。

 上級の、それも二級以上の人間しか着ることを許されない、特別な人間の証明なのだから、ラシャが見たことが無いのは当たり前だった。

 どこかチグハグな印象を受けるのは、男がこの服を着慣れていないからなのかもしれない。

 エドガーが着たら似合いそうだな…と思った。


 男はにっこりと笑顔を浮かべた。


「その腰の短剣は、どこで拾ったのかな」


 その男の笑顔がまるで、漁師の引網にかかっていた鮫のようだと思ったのは、何故だろうか。

 笑顔の形に口を作っているのに、目がちっとも笑っていなかったからかもしれない。




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