貧民街の姫♯3
ベラの家は三級国民ながら、裕福だった。
野山に罠を張り巡らし、獣を捕まえる代々の狩人の家で、とても腕がよく、解体と輸送のための従業員を何人も雇っていたという。
幼いベラは、あまり身体が強いとは言えなかったため、嫁に行かせるために行儀作法を習いに、ある商会へと出向させてもらっていた。
そこで教育を受けたのだという。
魔獣の跋扈する野山に、通常の野生動物は希少だ。
殺さないよう慎重に捕獲して、繁殖させれば良い儲けになる。
ベラの父親も、そうしていた。
狩人にはナワバリがある。
希少な野生動物を乱獲してはいけないので、狩人は持ち山でしか狩りを行ってはいけない。また、養殖もその山の中でしか行ってはいけない。
猪の繁殖、家畜化がもう少しで形になりそうだった。
そんな時だ。
ベラは突然倒れ、一月以上意識を失った。
目を覚ました時には、ほとんど今の身体になっていたという。
全身の皮膚が硬くなり、毛に覆われていた。
耳も獣の毛に覆われ、段々と形が変わり、まるで狼のようになっていた。
腰に尻尾が生えてきた。
明らかに、人間とは違う姿へと変貌を遂げていた。
この世界において、時たま起る現象だ。
中には蛇のごとき鱗が現れる者がいる。
中には腕や足が増える者がいる。
中には鳥のような羽毛を生やす者がいる。
これを、アスラ病みという。
生まれつき何がしかの獣の特徴を持ち、それが安定した者のことを、アスラ人という。
ベラは後天性で、まだ定まっていない。
ベラの家は獣の肉や毛皮を売ることで生計を立てていた。その家にアスラ病みが出た。
人は、ベラの家が魔獣を扱っていたのだと決めつけた。
ベラの家は山を奪われた。
魚を採って暮らしていたが、世間の風当たりは強く、故郷を出た。
戌の国から逃げて、亥の国を目指す途中で両親と兄が魔獣に殺された。年老いた祖父と共にこの亥の国へたどり着いたが、祖父も間もなく死んだ。
そのころラシャに出会い、一緒に暮らしだしたのだという。
ラシャは壁外の川岸に穴を掘ってくれ、そこに二人で祖父を埋めた。木切れで掘ったラシャの手は豆が潰れて血だらけになっていたそうだ。
両親と兄の亡骸は野ざらしで魔獣達の餌になっているだろうが、狩人はそれでもよいのだという。
駿馬はその話を聞きながら、ずっとベラの身体を見ていた。
裸の身体をではない。
毛皮や、耳や、尻尾の部分だ。
「私は、この身体です。人よりも死ににくい身体なのです。ですから、どうか、お捨て置きくださいませ」
「ベラ!そんなこと言わないでよ!」
「ラシャねえさまをどうかよろしくお願いします、エドガー様…ご覧のとおり、器量も性格もよい女性です。貴方様に失礼を働いたとは伺いました。しかしそれは全て私共のために行ったこと」
ベラが駿馬の足元に近づいて、ひざまづいた。
そして何を思ったか、まるで土下座のように顔を下げ、駿馬の靴に口をつけた。
「………っ!!ベラ!なんてことを!」
「汚らしい獣の口でお靴を汚しましたこと、謝罪いたします。どうか、これでラシャねえさまに寛大なるお心添えをお願いいたします、エドガー様…」
駿馬はスックと立ち上がった。
そしてベラの正面にくると、屈んでその左足を掴んだ。
そして…
「お、おじさん!?」
「べろーん」
ベラの足の裏を舐めた。
ボテッと、外壁の外に、大型の鳥類が落ちたような音が聞こえたような気がした。
「ひゃあっ!?」
「ベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロ…」
あろうことか駿馬は土踏まずから踵、つま先から足の甲まで執拗に舐めまわしたのだ。
「ああ!イヤ!ちょっ!やめ!ひゃああああ!?」
「お、おおおおお、お、おじさん!?」
哀れベラの左足は中年男性の涎でベタベタにされてしまった。
駿馬の手から解放されたベラはへたり込んでしまった。
「…え、おじさん、正気?」
酷いことを言う。
まるっきり暴漢に襲われたような顔をしたベラの前に、駿馬は座り、ドヤ顔で言った。
「これで、おあいこな?」
「…お、おあいこ、ですか?」
おあいこどころの話ではなく、酷いハラスメントだった気もするが、そこは置いておく。
「すげー根性だな、ベラ。最高の逸材だ。お前が欲しい。俺の家族になってくれ」
「………え………?」
「ベラの配属部署を伝える。エドガー商会幹部、エドガー六賢老だ。ちょうど一人欠番して五人になっちゃっててな。いずれは俺の後を継いで会頭を任す。精進するように」
「…へ…?はい…」
「おし、決まり!んじゃこれから歓迎会な。ヘイ!美人秘書!」
指をパキンと鳴らしてラシャに申付ける。
「あ、はい!社長!あ、会頭?」
「どっちでもよし!これからこのお姫様拉致るから、なんか荷物とかあったら持ってきて。さっきのパンはご近所さんにでも分けちゃってな!」
「は、はい!」
「返事はアイアイサー!だ!」
「あ、アイアイサー!」
駿馬はベラをお姫様抱っこに抱える。
見た目はいいがこの持ち方は腕が辛いので、駿馬は特別な力をまた無駄使いして腕を強化する。
「え、え?何をなさるんですの?エドガー様…」
ベラは状況を掴めず、困惑したままだ。
当然だ。駿馬についてこれる者などいはしない。
「お姫様を攫って城にお連れするんだよ。へへ、俺はまるで魔王だな。まいふぁーた、まいふぁーた、ってな」
「でも、私は醜く、それに、汚れております!私に触れれば、アスラの呪いが貴方様にも…」
「俺はアスラ人が好きなんだよ」
黒いコートを翻してテントを出る。
駿馬の足取りに迷いは無かった。
「…いや、おじさん…」
一人置いて行かれた青と金の装いの姫。
「…あ!ベラ、はだか!!お、おじさん!おじさーーーん!!服ーーー!!」
駿馬の足取りに迷いは無かった。つまりもう追いつけない。
自身の容姿にコンプレックスを持つ年若い娘を、素っ裸で街中を連れ回す中年男がここに爆誕した。
「ホウ…全くあの男は…本当にもう、魔王とかでよいのかもしれませんね…」
「あ、モーリーさん!?」
もふもふの巨大梟がいた。
「なんか、いつもより頭、もっこりしてません?」
「たんこぶです」
「…?」
「それよりも、あの娘の服を私に。いくらなんでもあのままというのは酷でしょう」
ラシャは慌ててテントの中からベラの服を持ってきた。
「確かに。では私は急ぎますね」
「あの、モーリーさん!…ありがとうございました」
「…その分なら、仲直りはできたようですね」
「はい!」
「ホウ、ホウ、ホウ。その服、よく似合っていますよ。ラシャも早くうちに帰っておいで」
音もなく梟は飛び立った。すっかり日が落ちた街の、宵の闇の中へと溶けていった。
ラシャはモーリーが見えなくなるまで見送った。
「アスラ人って、いいなあ…」




