貧民街の姫♯2
「俺は…本当に馬鹿だなあ…」
「…え?」
駿馬は頭が痛くなる。
なんでこう、自分は頭が悪いのだろう。
若い頃、自分は誰よりも頭が良く、それに周りのレベルがついていっていないのだと信じていた。
経験を積み、少しは成長したころ。
ああ、レベルがついていっていないのは自分の方なのだ…と悟った。
やれやれ、と首をふる。
まあ別に今に始まった愚行でなし。今求められているのは駿馬の愚痴ではなく、行動だ。
状況を把握し、この後を予想し、最悪に備えて対策を打つ。初動は大切だ。
まずは、ラシャの確保だ。逃がさんよ。
駿馬はラシャの手を掴んだ。
強くは握らないが、離すつもりはない。
ラシャが驚いているが、気にしない。
そのままパン屋に連れて入る。
「俺に任せろ。何人いるんだ」
日持ちがする、ドライフルーツたっぷりの堅焼きパンを大量に購入し、ラシャと共に駿馬は外壁に向かった。
服は売らせなかった。どうせまた買うことになる。
売却すれば安く買われる。同じ値段で売れることなどない。商人の利益や税がそこに関わるのだから、当たり前だ。
要は、ラシャは金が欲しかったのだ。なら金を与えればいい。
食事も寝床も与えているのに、ラシャは何のために金が欲しかったのか。貧民出身のラシャが、遊びに使うとは考えられない。
理由なんて、一つしか無いではないか。
駿馬の元へ来なかった者の存在だ。
養っているのだろう。
ラシャは善良な娘だ。
思えば美人局や窃盗を働いたりもしていたが、それも働けない子供達を養うためだったのだろう。
この国に、孤児院や教会なんてものは無い。弱者は野垂れ死ぬのみだ。
女はみな、娼婦になる。街娼だ。それは需要さえあるならどんな幼い娘でも例外ではない。また男ですら例外ではない。
そんな中、ラシャは身体を売ったことがない。
それは、いつか現れるかもしれない大口のパトロンを捕まえるために、商品としての価値を保っていただけのことだ。娼婦は悪ではないし、ラシャも純潔がどうこうなんて考えたこともない。
ただ、安い娼婦は病気を持つ。安い女を買う男も病気を持つ。
売るなら、高く売りたい。それだけの話なのだ。
そんな娘に高い服を着せ、高い食事をさせ、横に侍らせて悦に入っていた駿馬の罪は重い。
さぞかし、苦痛であったことだろう。
またも自分の愚かさを露呈した駿馬だった。
大人としての責任をとろう。昔なりたかった格好いい大人なら、きっとそうする。
二度も拾った命だ。そんな余生も、いいじゃないか。
駿馬はもともとチョロい男だ。すぐ惚れる。
今も、既にラシャを愛し始めているのに気付いている。
ラシャにとって都合のいいパトロンになるのもいいのかもしれない。
こんな中年に、若く美しいラシャが惹かれるはずもないだろうが、まあ金だけはある。
破滅が駿馬にはありありと見えているのだが、ひょっとしたらそうはならないかもしれない。
賭けてみても、いいのかもしれない。
駿馬は、右手の甲にあるはずの、今は見えない古傷が痛むような気がして、少し眉をひそめた。
「ここだよ…」
思ったとおり、外壁のうち、月二度の魔嘯の被害に最も晒されやすい、果実園側だった。
外壁は主に煉瓦で作られている。煉瓦の隙間に枝を差し込み、そこにぼろ布を紐で結んで、テントのように風除けを作っている。
それでもまだマシな方だ。草を編んだものや、枝を束ねたものを立てかけただけの寝床も多い。
駿馬は仲間たちと野営を結構していたので、忌避感は無く、むしろ上等なものだと考えるが、街中の人からすれば不衛生で不気味なものに見えるだろう。
何人かの粗末な服を着た女が立っている。みな娼婦だろう。
駿馬とラシャの身なりを見て、客にはならないだろうとふみ、疎ましそうな目線を向けてくる。
布で出来たテントの前に立ち、ラシャは中に声をかけた。
「ベラ。いるよね?あたしだよ」
「…ラシャねえさま?」
「あのね、会ってほしい人がいるんだ。食べ物も持ってきたんだよ」
部屋というには狭すぎる、テントの中に駿馬とラシャは通された。
汗と垢の臭いがする。清潔とは言い難い部屋だ。
ベラと呼ばれた娘は、駿馬に会うのを嫌がっていた。
ラシャが時間をかけて説得し、ようやくこぎつけたのだ。
待っている間、駿馬は外でタバコを吸っていた。
もう、日が暮れる。夕食はどうしようかと考えていた。その前に注文の処理もしなければならないし、子供達にはまだ何も教えられていない。《岩鳥の巣亭》にもしばらく顔を出していない。そういえばあれから《ドーリーズ》の新商品はどうなったのだろうか。
忙しくなってきたものだな…と思った。
「ベラ、この人がエドガーさんだよ。あたしたちを全員雇ってくれるの。みんな、毎日すごく美味しいごはんを食べさせてもらって、お仕事のことも教えてくれてるんだよ」
「…はじめまして。ベラと申します。女で、十四才です」
「や、はじめまして。江戸川だ。食肉を主に扱ってるんでね。賄いは肉ばっかりでみんな飽きないかと心配しているよ」
ベラは頭からスッポリとボロ布をかぶって、顔も見せようとしない。
女だと自己紹介したのは、一切顔を見せる気が無いからか。
「ベラ。エドガーさんは、ベラも雇ってくれるって。お仕事をくれるよ。一緒に働こうよ」
駿馬の同意を求めて顔を見てくるラシャ。口調がとても優しいのは、このベラという娘はラシャにとって妹のような存在だからだろう。
子供達はみなラシャより年下だが、中でもこの娘には特別な気のかけかたをしているように感じた。
「………私はとても醜いので、エドガー様はきっと、私を疎んじます。どうかお引取りくださいませ」
駿馬はその口調に驚いた。
確かな教育のあとが見えるのだ。
本気を出した駿馬の敬語よりも、ひょっとしたら整っているかもしれない。
「ベラ。そんなことないよ。エドガーさんは、そんな人じゃないから、大丈夫だよ」
「…ラシャねえさまとは、違うもん。ラシャねえさまは綺麗だから」
「こ、これは…」
やはり、今のラシャの身なりは反発を招くか…
駿馬は予想できた反応に驚くことはなかった。
「ふむ。就労意欲はある、ということでいいのかな?」
「…え?」
「就労意欲はあるが、自分の見た目に自信が無いため、合格しないだろう、と。間違いないかな?」
「あ…はい。仰るとおりです、エドガー様…」
「おじさん…!!」
ラシャは駿馬がベラの外見へのコンプレックスに触れたことに注意したのだろう。
「ふむふむ。ウチには見た目の関係ない仕事もある。その職に就くのはどうだろうか。どうにも最近人手が足りなくて困っているのだよ。君は確かな教育を受けているように見受けるので、力になってくれると嬉しいのだがね」
「そ、そうだよ!それに、みんなもいるんだよ!ロクも、パーンも、レニだっているんだから!」
「…無理だよ、ラシャねえさま…」
駿馬は考えていた。
なにやら、知性を感じる娘だと思った。知性の高い者ほど、自分のルールやプライドに縛られて、救いを求められなくなったりする。
何故だろう?
孤児の中には、娼婦の捨てた私生児が割合が多い。
次いで、事故などで親が死んだ者。
この娘の身の上が駿馬は気になった。
「ならば、私の身体をお見せします。…それを見れば、エドガー様は嫌悪し、私を雇うなんて考えなくなるでしょう」
「…ふむ」
「ベラ…」
正直気になってはいた。
以前、ラシャはこう言った。身体が不自由な者がいる、と。
この娘がそうなのかもしれない。
生まれつきなのか、そうではないのか。身体の欠損とは、本人の自尊心を著しく傷つけるものだ。
ベラが後ろを向いて、もぞもぞと服を脱ぎ始めた。かぶった布はそのままに、器用なことだ。
とはいえ、何を見せられても駿馬は動じないだろう。どうせ雇用することに変わりはないのだし。
何も裸にならんでもよかろうに…と、駿馬は平気な顔で見守っていた。
「呪われた身体でお目汚しを。どうかお許しください、エドガー様…」
…呪いだと?
そのワードに惹かれるように見上げると、一糸纏わぬベラが立っていた。
「我が家の罪の現れ、アスラ病みにございます」
ベラは獣の毛皮を身に纏った少女だった。




