モーリーは見た
溜まりに溜まった営業を消化しなければならない。
朝も暗いうちから起き出し、出荷分の肉の魔素抜きをする駿馬。ここ数日の肉の減りが遅い。
単純に駿馬が営業をサボっているからだ。
社長は気まぐれなのだ。
通じるだろうか…駿馬は不安になった。
エドガー商会の得意先は二十軒余りだ。
昨日小間使いを寄越したところ以外は今日全て回らなければならない。
でないと、また美しき獣の被害者が出てしまうだろう。もしくは得意先を失う。
十一時、先亥の刻までに駿馬は十三件の営業を行った。明日の小太郎は大忙しだろう。
残りの数件は、ラシャを連れて回ろうと思っていた。
時刻を告げる鐘の音が聴こえる。
《プジョーズ》の店内からいい匂いがしてくる。
どうでもいいが、この世界に換気扇は無い。
ガス中毒はないとしても、一酸化炭素中毒者とかが出ないのだろうか、駿馬は気になって仕方ない。
大体衛生の観念が薄い。
料理人達はちゃんと手を洗っているのだろうか。
それを考えると、キチンと火を通した物しか頼みたくない。火を通しても貝類とかちょっと怖い。生野菜とかもう無理。やはり自分で料理するのが一番安心する。
冬が来る。ノロに注意せねば…もちろんカンピロバクターも怖い。
食中毒になったら、貧弱な子供達や駿馬は死ぬかもしれない。
そんなことを考えているうちに、ラシャが小走りにやってきた。大分慌ててきたらしく、顔が上気している。
初めて駿馬と出会った時の服を着ていた。軽く化粧もしているようだ。前回より随分薄めだが、かえってちょうどいい。上達したのかもしれない。
「お待たせ、して、ごめん、なさい!」
息が切れている。
「いや、来たばかりさ」
「そ、そう?」
「ああ。…ん?」
駿馬の頭の中で、何かがひっかかった。
デジャブのような感覚。
しかし駿馬のあまりよろしくない脳はその原因を特定するには至らなかった。
「どれ、喉が渇いたろう。まずはコイツだな」
青果店の前で串に刺さって切り売りされている、果物を二本購入した。
梨だ。一個の梨の四分の一程の量を、食べやすく切って刺してある。
瑞々しいが、甘みは少な目だ。食感は比較的滑らかな、ラフランスに似ていた。
なにやら茄子に似ている色合いの、奇天烈な形の妙な果物もあったので興味を惹かれたが、とりあえずやめておいた。龍骨菜の実、というらしい。なるほど龍と言えば龍の形に見えなくもない。
今度通ったら食べてみようと思った。
「制服を用意する。普段から着ているように」
「う、うん!うん!着る!」
えらい食いつきだった。
制服フェチなのだろうか。
制服といっても、秘書の制服だ。
秘書とは何か。
そう。社長のそばにいるベッピンさんのことだ。
美しければ美しい程良い。
セクシーならセクシーな程良い。
現にラミ子ちゃんは、上半身はチューブトップブラ的な布切れ一枚、下半身はスリット猛々しいタイトスカート的な物を身につけ、世の男どもを悩殺している。
チャイナ服を見つけたら仕入れてくれるよう、シュバルツ商会に頼んでいる駿馬だった。
だが、ラシャにラミ子ちゃんのエゲツない凹凸は無い。同じ物を着させるのは可哀想というものだ。
二級国民も利用している、《紫》という服飾関係全般を扱う店に入る。三級国民でここを利用出来るのは、そこそこ裕福な者だろう。あるいは助平心に支配された男達か。
駿馬はその両方だ。
店に入るのに気後れしているラシャだが、駿馬は手を取って強引に中に連れて行った。
これから試される。駿馬のセンスが。
一番偉そうな女性店員に声をかけ、銀貨のチップを渡して、こう告げる。
「彼女を、最高の淑女に仕立て上げてくれるかい。上から下まで、全てだ」
そう。丸投げだ。
駿馬は社長だ。社長は自分では働かない。働いてはいけないのだ。
優秀な社員に任せる。そして報酬を約束する。それが勝利の方程式なのだ。
自分にはそんなセンスは無いと知っている。それが駿馬のセンスだ。
そして、駿馬の言い訳のセンスこそ最高のものと言える。
ラシャが三人もの女性店員達に連れていかれる。
その姿が見えなくなったところで、もう一度最初の女性店員に告げる。
「年相応より、少し大人っぽく。動きやすさも重視して欲しい。それでいて、艶というものを出せるだろうか」
「はい。それは正に私共の得手とするところでございます。ちなみにご予算はいかほどに」
「最高級より少し下くらいを。三着ずつは欲しい。下着は多く欲しい。靴なども全て頼む。これで足りるだろうか」
駿馬は懐から金貨を五枚出して渡す。駿馬の感覚ではこれで五十万円程の価値と見込んでいる。
店員は眼をギラリと光らせた。
「もう一枚頂ければ、必ずやご満足いただけると考えます」
「なら三枚出そう」
「全て仰せのままに…」
有能そうな女性だ。彼女をエドガー商会の会頭に推薦したくなった。
案内された椅子に座り、入れてもらった暖かい飲み物をすする。
砂糖の入った焙じ茶だった。
紅茶ではないところがミソだが、なら砂糖は無くていい。
この国では砂糖は他国に比べれば比較的安価だが、それでも高級な部類に入る。
飲み物に入れてくれるのは、それだけ大事にされているということなので、駿馬は有難く頂戴する。
駿馬の金遣いは荒い。
エドガー商会の総利益より、使う金の方が多い。
理由がある。
駿馬達が亥の国に来る前に手に入れた金は汚い金であり、使い切ってしまいたいのだ。
悪銭身につかずという言葉を、自ら体現している。
一方で、商売で手に入れた利益は一切使わず、貯蓄している。
本当に価値がある金はどっちか、言うまでもないことだろう。
「お客様」
「ん」
「どうぞご覧くださいませ」
用意が出来たようだ。
駿馬が振り向いたそこには…
「…どう?」
「………」
「あ、やっぱ、似合わないかな」
「………」
「店員さん…他の、他の服は…」
「お嬢様、ご安心くださいませ。このあつらえは全てお買い上げいただきますので、今暫しこのままお待ちを」
「え、な、なんで?」
「少し時間を差し上げてくださいませ。まだお声をいただいておりません。我々の、作品に」
「………」
「おじさん?」
「………これが、金貨八枚の価値、か…」
「はぁ!?は、は、八枚!?」
やれやれと首を振る駿馬。
クスクスと笑う女性店員。
「金額を教えてしまうなんて、不粋でございますよ、お客様」
「あ、ああ…しまったな。その通りだ。言葉も無い」
「お気に召していただけたようで、嬉しく思います」
「もう二枚出すと、どうなる?」
「いいえ、それには及びません。これが当店の限界。過ぎた報酬はかえって結果を曇らせるのみでございます。それに、これで四枚ほどでございます」
「ウチに転職しないか?貴女となら世界を狙える」
「口説く相手をお間違えになられているうちは、貴方様にお仕えすることは出来かねます」
「これは手厳しい」
「ラシャ」
「…はい」
「似合ってる」
「………ありがとう!」
「何よりのお言葉です」
駿馬はもう、降参だった。
これがドレスなら納得もいく。
だが明らかに普段着なのだ。
駿馬の貧弱な知識では、その装いの説明が出来ない。
ペルシャ風の装いと言えばいいのだろうか。
飾り気が少ないながら、シルクのようにつややかな生地。見事な深青色が、金色の縁取りで映えている上着。胸のあたりには金色の刺繍が際立っている。
下も同じ深青色のシンプルなパンツで、膝下までのブーツには細かい意匠が施されている。
上着をまとめる腰の赤い飾り布がくびれを強調している。
全体的に青色。少しの金色。そしてそれはラシャの赤髪を引き立たせるためだけに用意されたかのよう。
シンプル。スリム。そしてたおやかさと、若さと、快活さ。それらがまとまって上品な色気を匂わせる。
駿馬の眼には、夜の砂漠で焚き火を囲み、黄金の剣をふるって馬と一緒に踊る、遠い異国の姫君のように映った。
悪くない気分だった。
これではまるで…
「あ」
ようやく、駿馬は先ほどのデジャブの正体が分かった。
「これ、デートか!?」
ボスッと。
近くの建物の屋根から、まるで大型の鳥類が墜落したような音が聞こえた気がした。




