不穏な朝
駿馬が男に絡まれたのは、朝イチで《岩鳥の巣亭》に向かい、テントを撤去し、納品がないため手すきの小太郎と美蛇秘書の二人と共に、子供達を引き連れ引越しのため自宅へ戻る途中だった。
男はちんぴらだった。
駿馬が大勢の子供達を連れているのを見て、人買いとでも思ったのだろうか。
荷車を引く小太郎とラミ子ちゃんを見て、物珍しそうな、少し羨ましそうな目をしていた。つまり、二人のアスラ人を駿馬の所有物だと考えたのだろう。
駿馬はいい気がしなかったが、むしろこの世界においては常識的な考えであり、自然な発想ではあった。
「よー、オッサン。どこのモンだい?」
「…これで結構有名人のつもりだがね?」
このデカい馬と美しき蛇が目に入らぬか。
「聞いてんだろーが、答えろよ」
「…大したとこじゃない。エドガー商会だよ」
「あー、聞いたことねーや!」
「どこの世話になってんだい、にいさん」
「オメーにゃ関係ねーな!」
駿馬達を知らないということは流れ者のようだ。
大分程度が低い。上のタカが知れるようだ。
だが実際のところはそういう輩の方が厄介だ。
ヤクザと半グレの違いとでも言えばいいだろうか。ヤクザはスジを通せば話になる。
話が通じない者は、獣と変わらない。
「余所者だったら、まずはマクラーレン商会に顔を出すべきだ」
「ああん?」
「なんなら、顔を繋いでやってもいい」
「…なんだ、やっぱご同業かい」
駿馬が商会の会頭であることが理解できたようだが、同業というのはどういうことか。
「オメーも人喰いだろ?」
「…も、と言ったか」
「そのガキども、俺にも分けてくれよ。ずるいぜ、いいとこばっかり独り占めはよ」
駿馬の胸に、ドス暗い感情が生まれた。
この男は、自分が人喰いだと白状したのだ。
人喰いとは、何も食人嗜好の意味ではない。馬を取引する者を馬喰と呼ぶ。その人間版と思えばいい。
この男は、人身売買組織の一員だ。
駿馬はその善悪をどうこう言うつもりはない。人間も獣の一種であり、死ねば同じ肉に違いない。
獣の肉を取引する駿馬は、それを肯定も否定もする気は無い。
だが、嫌いなものは嫌いだ。
けんかをするのに、善悪は関係ない。
「一緒にすんなよ…うす汚ない人喰い風情が、真っ当な商売人に臭え息吹きかけやがって。せめてドブネズミくらい美しい生き物に生まれ変わってから近づけや」
「…ああ?」
何か気に障ったのだろうか。目をギョロリと剥き出して怒りの面相を浮かばせている。
「オメーも、同じ穴の貉じゃねえのか」
「意外に難しい言葉を知ってるんだな。でも間違いだ。俺らは貉。お前はその穴に潜り込んだ寄生虫だろうが」
駿馬はキセルを取り出して火をつける。
せめて子供達の前では喫煙しないつもりだったが、こんな臭い空気を吸うくらいなら、毒煙の方がまだマシだろう。
「殺菌、消毒だ」
思い切り煙を吹きかけてやる。これで少しは衛生的になっただろう。
だが駿馬の親切を踏みにじるように、汚物は腰の後ろに手をやる。
右手には、短剣が握られていた。
「ぶっ殺してやらぁ!!」
駿馬はニヤリと笑った。
その短剣が振りかぶられるよりも早く、小太郎の右前足の蹄が汚物の顔面にぶち当たり、吹き飛ばしていた。
パキャッ!!という甲高い音がした。完全に芯をとらえた音だ。
「こいつ、抜いたよね、兄貴」
「ああ、抜いたな」
「…しゃちょーを、殺そうとした。…おとーさんの、敵…」
「っと、ヤバいヤバい」
愛娘の普段被っている秘書の仮面が取れていた。
普段の金色の双眸が興奮で赫赫とした危険色に染まっている。尻尾の先っちょの飾り鱗がカラカラと振動し、豊満なバストの上に浅黒い三眼の模様が浮き出ている。
珍しく怒り心頭のようだ。
「殺す…殺す…」
駿馬はラミ子ちゃんをギューっと抱きしめてあげた。
「大丈夫。小太郎にーちゃんがぶっ飛ばしてくれたから、俺は平気だよ」
「う…トドメ、ささないと…」
「バッチィから、触っちゃダメ。食べられないモノはなるべく殺しちゃダメだ」
ポンポンと頭に手を置いてあやしてやる。
ラミ子ちゃんはまだ生まれて一年も経っていないので、感情に身体が追いついていない。
「大丈夫。だいじょーぶ」
「う…うう…グス…うえええ…おとーさん…」
行き場を無くした怒りが、悲しみに変換されていっている。もう心配はないだろう。
両目の色はまだ少し赤みが残るが、元の綺麗な金色に戻りつつある。胸の三眼は三日くらいは消えてくれない。
駿馬はハンカチでラミ子ちゃんの目元を拭いてあげた。
(よくもラミ子ちゃんを泣かせやがったな、蛆虫が…楽に死ねると思うなよ…)
ピクリとも動かない男に近づいて見ると、顔面が頭蓋骨ごと陥没しているのが分かった。心臓が動いていても、ほぼ即死の状態だ。
「ちっ」
つまらん。
だが…いや、これでいい。
思い直すことにする。
知らずに駿馬の頭にも血が上っていたようだ。
「くだらない仕事が増えたな。衛兵に報告して、死体を処理しないと」
人身売買は違法ではないが、上級の国民を害することは違法だ。
駿馬はそれに則ったに過ぎない。こんなちんぴらが三級以上なはずがなかった。
四級国民は獣よりはマシ、という扱いだ。
だが駿馬は思うのだ。
獣は、飢えれば共喰いすることもあろう。だが、まずは違う獲物を狩るはずだ。
そして、明らかに己より強い、勝ち目もない存在に噛み付くことはない。
こんなクズの、どこが獣よりマシだというのか。
商売人は、お互いに争う時がある。危険からは自らの身を守らねばならない。その武力をもって、傘下の人々を庇護し、庇護される者は金を払う。
大きな商会の会頭はみなヤクザだ。
駿馬もまたヤクザであらねばならない。護るべきものがあるのならば。
幸いにして、駿馬の中には鬼がいてくれた。敵対する者を容赦しない、冷酷な鬼が。
地面に落ちた短剣を拾った駿馬はふと思う。
何故あの時、ラシャ達を殺さなかったのだろう、と。
多分、それは…
駿馬には分からない何かが理由なのだということに、もう駿馬は気付いていた。
煙草がひどく苦く感じたので、早々に地面に葉を投げ捨てて、その場を後にした。




