新入社員研修
今日は十の月十二の日。
ここ亥の国においては、魔嘯の日だ。
この世界には十二の大国があり、全ての上に聖国がある。
聖国も含めて十三の国には一つずつの大都市と、二つずつの中規模都市がある。
他にも小規模の集落は無数にあるようだが、把握されていない。
中には独自の文化を持った集落もあるが、迫害の対象となる。通貨使用税すら納めない、まつろわぬ民だ。
大国は干支で数えられる。
子牛寅卯辰巳午未申酉戌亥。
日本人ならお馴染みのあれだ。
時間も暦も全てこの十二で表される。
共通言語は日本語だ。漢字も平仮名も片仮名もある。
なのに日本人はとんと見ない。
白人系、黒人系、駿馬には判別出来ないアラブ系とかスラブ系とか伊良部系とか、様々混ざっており、まさしく人種の坩堝だ。
モンゴロイドは限りなく少ない。
伊良部系はモンゴロイドか。いないかそんなの。
モーリーはこの世界のことを、カムイ・ミンタラと呼ぶ。神の遊び場という意味だ。
今日は月に二度の、神によるお遊びの日だ。
「ったく、人様が汗水流して毎日勤しんでいるってーのに、遊んでんじゃねーってんだよ、神」
「一人で遊べばいーのにね?」
「ホントだよ。ラミ子ちゃん。言ったって言ったって!」
「神さまのアホー!」
「アホー!」
「神さまのハゲー!」
「ハ…!いや、髪のことはほっといてあげて?」
「かみはほっとけ?」
「上手いこと言うねえ…」
「ういういー♫」
褒められて嬉しいラミ子ちゃんがクネクネ踊っていると、壮年の男が近づいてきた。
「いやアンタら、日の高いうちから…呑んできてんのかい?」
「自治会長、おはざゃーす!」
「ざやーす!」
「どこのなまりだい…あと、酒場でもないのに神仏批判とか、本当勘弁。怒られるの私なんだから…」
「ぬう…じゃあ、褒めますかね。神さまイカスー!」
「いかすー!」
「帰ってくれるかな?」
『あいあいさー!!』
「しまった!それが狙いか!!」
慌てて引き止めてくる自治会長。
「ちっ!もう少しだったのに…」
「頼むよ、エドガーさぁん…」
駿馬はキセルをくわえて草を詰め、マッチを擦る。
硫黄の匂いがフワッと香る。風でマッチが消えないよう手で覆い、草に火をつけて、すぱすぱと空気を吸う。
白い煙が上がり、毒の煙を吸い込む。
もう少しで正午、後子の鐘が鳴る。
外壁に襲撃者達はまだ現れない。
駿馬は心の中でほくそ笑んでいた。
朝八時、先未の時刻を知らせる鐘が鳴った時には、駿馬はもう朝食の支度を終えていた。
自分達と、子供達の分も全てだ。
駿馬には厨房の経験がある。自分の店を持っていたのだ。オーナー兼シェフ。まあラーメン屋だが。
大量の料理を素早く作ることは得手としていた。
バゲットサンド人数分。一人一本丸々の特大サイズだ。食べきれない分は昼に回してもらうのだ。
噛み切り易いよう切れ目を入れるのを忘れない。
真ん中を大きく割いて、オリーブオイルを塗り、塩と乾燥ニンニクの粉を振る。
そこに茹でたゴボウとニンジン、薄切りのローストビーフをこれでもかと詰めてやる。最後に辛子ソースを肉にかけてやる。ローストビーフも手製だ。
駿馬はそれをお弁当に持ってきている。
持ってきているのだ。
「会長…俺らの割り振り、ちぃと比重高すぎやしませんかねぇ…昼の弁当くらい、出るんでしょうねぇ」
「弁当かい?いや、今までそんなの用意したことないけど…」
「前回も、その前も、真正面の一番キツイとこばっか俺らに振ってさ…見なよ、段々参加者減ってきてない?俺らだけでこの国守るんだっけ…?」
「いや、悪ぃなあとは思ってるんだよ、エドガーさん…でもさ、エドガーさん達が頑張ってくれるから、最近全然街中に被害が出てないんだ。死人だって、ここんとこ一人も出てないんだよ」
「そりゃね、ウチのアスラ人は優秀だから」
「そうそう。ラミ子さんは特に凄いよ」
「そんな俺たちが頑張ってるのになあ…」
「あ、ああ…」
「なーんかもう、やる気出ないなあ…帰れって言われちゃったしなあ…帰ろっか、ラミ子ちゃん」
「かえるー?お仕事もどろっかー」
「ちょちょちょ!待っとくれよエドガーさん!」
事実、駿馬は仕事を放り出して来ている。
今日の分の納品は、午前中に小太郎の働きで終えているのだが、営業も、昨日威吹達が仕入れてきた分の解体も手付かずなのだ。
まして今日から子供達の社員研修もあるというのに。まだ具体的になにをするかは決めていないわけだが。
そして、ここへはラシャとレニを連れて来ている。駿馬の言動をよく観察させているのだ。
この二人には営業を任せようと考えている。
これが研修と言えば研修だろう。
「だってさあ…俺仕事放り出してきてるんだよ?みんな同じなのは分かるけどさあ。商売敵のマクラーレンさんとこ、今日来てないじゃん…」
朝繁華街で会った時に駿馬は、マクラーレンに言っておいたのだ。
余所者の自分が商売を出来ているのは、ひとえに懐の深いマクラーレン商会がお目こぼししてくれてるからです。今日の防衛はウチが責任持ちますんで、どうか皆さんは仕事に専念してください、と。
エドガー六賢老の持つ戦力を承知しているマクラーレンは喜んで話を受けたのだ。
マクラーレンは老舗の卸業。まさに駿馬にとっては商売敵だ。
「ああ、どうしたことか、昼前になって急に不参加を言い出したんだよ」
「ウチ、人手不足なんだよね…営業行けないと、どんどんマクラーレンさんにやり込められちゃうなあ」
「し、新人さんとか、雇わないのかい?」
「それだよ、会長…」
外壁側には必ずと言っていいほど貧民街がある。というより、発生するのは必ずそこだ。
理由は簡単。今日これから起こる、魔嘯だ。
一級国民は街の中心部、堅牢な大壁の中に住む。
二級国民と三級国民は外壁の中。
四級国民はというと、基本的に住居を持たない。
衛兵は街中を警備するが、外壁は防衛施設であり、街中と言えない、という建前がある。
四級国民は、外壁に住むのだ。
つまり、ラシャ達のねぐらは外壁のどこかにある。ひょっとしたらこの近くかもしれない。
何せ、一番被害を受ける、魔嘯最前線のこの辺りが、一番立場の弱い者達が追いやられるところだからだ。
「俺さ…この辺りの連中、まとめて雇おうと思ってるんだ」
「この辺りって…え、難民達かい?」
「ああ、特に若い連中の集まりがあってさ。ちょうど人手も足りないし」
「あんまり…お勧めはできないけどねえ…」
「おや、なんでだい?」
「素行が悪いだろう?」
「ふむふむ」
「仕事に就くにゃ、それなりの教育ってもんが必要さ。読み書き計算、常識ってもんもいるよ」
「ふむふむ」
「エドガーさんはそのへんしっかりしてるし、小太郎ちゃん達への教育は大したもんだ」
「ふむふむ」
「何人くらい入れるんだい?」
「ざっと二十人かな」
「そんなにかい!そりゃ無茶だよ!元が六人の店にそんなに入れたら、滅茶苦茶になっちまう!」
「だけど、子供ばっかりでさ。三人でようやく大人一人分の力があるかどうかってところでね」
「難儀だねえ…」
「難儀なわけよー…」
ぷっかー、と煙を吐く駿馬。
「じゃ、帰るわ」
「待った!待ったーー!!」
慌てる会長。
澄ました顔の駿馬。
「あーあ、俺達が本気になれば、こんな魔嘯くらい、俺達だけでどうにか出来ちゃうのになー」
「…それは、本当かい?」
「お釣りがくるくらいさ。でもなー、子供の世話があるしなー」
「…シュバルツさんとこも今日来てないんだよね…」
シュバルツ商会にも、駿馬は朝会っている。
彼らは水産物が主な取り扱い品目なので、駿馬と結構仲がいい。今頃港は賑わっているだろう。
「…エドガーさん、はかったね?」
「いやいや、会長にも得のある話よ?これ」
ゴーン…ゴーン…と、国の中央から鐘の音が聞こえてきた。
外壁の向こう、草原の彼方から黒みがかった土煙が上がる。
魔嘯が始まった。
「さて、どうよ会長。俺らのやる気は会長にかかってるぜぇ…?」
大きく、深くため息をつく壮年の男。
「やれやれ…分かったよ。あまり無茶は言わないでおくれよ?」
「多少の無茶は通ると踏んでるんだけどね。ま、下がって観てておくれな…」
駿馬の中の悪魔が、ケケケ…と笑っている。
後は、どこまで引き出せるかだ。
それはこの働きいかんにかかっている。
「さあ、暴れろ六賢老!!」
『オオオオオオーーーー!!!!』
最高級品の戦力をとくとご覧あれ。




