エドガー六賢老♯2
事の成り行きを見守っていたラシャだったが、エドガーなる男の意味不明な行動に耐えかね、彼の仲間達に話しかけようと思っていた。
五人のアスラ人。
人間の生息圏においてはまず稀な存在。
対峙すれば分かるその圧倒的な存在感。
決して敵対してはならない、絶対的強者。
しかし、社会という人間の集まりの中では彼らはその希少さから絶対的弱者であり、むしろラシャ側の存在とも言える。
ラシャの如き小娘など、アスラ人ならずも成人男性であれば片手で組みし得る存在であり、彼らはラシャに性的価値を見出す可能性の少ない分、むしろ安全な相手と言えた。
朝方の印象から、恐怖心はどうしても出てきてしまうが、実の所彼らがラシャを害することなどないのだと、ラシャはそう確信していた。
「あ、あの、ちょっと、いいですか?」
(ボクらは門。物言わぬ門。感情など無い門。門、門、門…)
「あたし、ラシャです…あの、コタローさん…ですよね…」
「もん?あ、ああ?」
「…何を、しているんですか?」
「聞くか、それを…!」
苦虫を噛み潰した顔をする小太郎。
ラシャからすれば一番理性的だと思えた人馬だが、随分と印象が違って見えた。
「小太郎よ、共に帰るか…ソラへな…」
「羽根が生えたら付き合うよ。もう少しだから頑張れ…!」
「紅の牛、翼を授ける…か」
遠い目をした竜人。
苦労しているのかもしれない。
「エ、エドガーさん、は…みんなを助けてくれるんです、よね?」
「あー、それは違う。というか、結果的にそうなるように仕向けていくだろうけどね」
孤児達をここへ連れてきたのはラシャだ。
お人好しに見えるエドガーなら、彼らを養い、導いてくれるだろう。そのために自分を差し出す覚悟はとうに出来ている。手は打った。
必要ならば孤児の中にも更に年の若い娘はいる。見目の良い者を説得して供する役割も吝かではない。
「彼は人のために何かをしたりはしない。そう普段言っているよ」
「え…そんな…」
「うむ。お屋形様が嫌うところではあるな。結果は一緒としても、施しは悪徳であると捉えている節がある」
「言いながらやるのが兄貴だけどね」
「この度の一件は驚いたな。予想出来たことではあるが、まさかな…」
「この国は貧困率特に高いみたいだしね…子の国は隣国なのに、貧民街が無いとは驚いたよ」
「だが選民率は低いと聞く。国主からすればどちらが良いのやらな」
「兄貴は子の国の方が好みそうだけど」
「行ったら行ったで、また文句も出てくるであろうよ」
「違いない」
ククク…と笑い合うアスラ人二人。
話をしたいのに口を挟むことが出来ないラシャ。
「威吹、小太郎、あまりいじめてやるな。ラシャは困っている」
ラシャは全身が総毛立つのを感じた。
最も恐怖を覚える存在。
ラシャの三倍はありそうな質量が、音も気配も感じさせず、気づけばラシャの背中にぬらりと寄り添っていたのだ。
アスラ人というよりは、純粋な獣の方がしっくりくる。あるいは人間の知性を持って、より獣として完成されたかのような存在。
トラ子だ。
なにその名前。
「尋ねられたら答える。それが知能有る者の務め」
ラシャの味方をしてくれるのだろうか。
「あー、なんだっけ」
「男共はこれだから使えぬ。よかろう、ラシャよ。トラ子を頼るがよい。女の子同士の方が話しやすいこともあろう」
『女の子…!?』
驚愕のフレーズに固まる面々。
「未成熟とはいえ、至るべきがそこであれば、そう扱い、そう振る舞うべき。トラ子が導こう」
「ぬ、ぬむう…では、トラ子よ、任せよう」
フフン、と得意げなトラ子がラシャに向き直る。
四本足の獣然とした体制から、二本足に立ち直し、近くの椅子を引いてそこに座る。
長い脚を組んで背をテーブルに預ける姿は、女の目から見ても実に蠱惑的だ。毛皮のボディスーツに身を包んだ淑女のように見える。
虎然とした隈取りをした毛皮の顔は、意外な程人間の顔立ちをしており、ラシャの美的感覚にして驚く程の美しさに映った。
(すごく、綺麗…)
ラシャは暫し目を奪われた。
「ラシャは、不安か」
「う…はい。不安です。おじさんが…エドガーさんが、今、何をしているのかが、わかりません」
「敬語は不要」
「は、はい!…うん」
「よい。ラシャは賢い」
見ると、小太郎と威吹もこちらに耳を傾けているようだった。
「ふむ。あれは、儀式」
「…儀式?」
「何がしかの儀式を受けた経験は?」
「ありま…えと、ない、けど」
「威吹はどうか」
「帯刀の儀、というものがあったな。我が家系において、戦士として一人前であると認めるものだ」
「何をした」
「まず、素手にて獣を一匹殺す。そして炎を浴びる。その炎で獣を焼いて喰らう。最後に剣を賜る。我の腰の曲剣がそれだ」
「ふむ。恐らくそれは転生を模した儀式」
「…転生とな」
「竜、蛇は脱皮を行う。それは不死に通ずる。転生、或いは蘇りを連想させる。実態は体表の代謝に過ぎないとしてもだ」
「ほほう」
「獲物は焼かれて糧となり、貴様は同じ火に焼かれて戦士となる。これは特別な存在への生まれ変わりを意味する」
「…そのような意味が」
「今、飼い主が行なっているのも同じ。転生という意味ではないが、ある意味生まれ変わりと言える」
ラシャは目が回りそうだった。
内容が無学なラシャには難解であるのもさることながら、目の前の毛むくじゃら美女が、学者然とした内容の話をしていることへの違和感が凄い。
「非日常の空間を演出し、そこに招く。そして特別な存在が場を仕切る。難解な、或いは聞きなれない言葉を多用する」
「ねくすと!ってあれかい?」
「うむ。そして、質問をして、答えさせているな。問答だ。あれで試している」
「試しているの?じゃあ…ダメな子は?」
「誰も落とす気はなかろう。だが試す。そして必ず褒める」
「うむ…その流れのようだな」
「あれがいい。あれで、子供達は自分で勝ち取ったことになる。これまでの人生で培ったものが無駄でなく、実ったのだと」
ラシャは半分も理解出来ていない自覚があった。
「今ぞ結実の時。これから変わるのだと、今から良いことがあるのだと、それは今日この時なのだと、そう楔を打っている」
「…ボク達の門は?」
「非日常への入り口。大切な祭具ゆえ、頑張って務めるといい」
「…マジかー…」
ラシャには理解出来ていない。
エドガーとはどういう人物なのか。
儀式と、トラ子は言った。
祭祀を行えるような、学のある人物には見えていなかった。
有り体に言えば愚物であると。
親の残した遺産などを浪費しているだけの、苦労知らずの男ではないのだろうか。
「…トラ子、エドガーさんって、どういう人なの?」
「愚物」
ブフッ!
ラシャは吹き出した。
剣を持たない方の手で眉間を抑える小太郎と威吹。
異論は無いようだ。
「ええ…そんな…」
「ふむ。賢き者の方が好みか、ラシャよ」
「こ、好みとか…そういうんじゃなくて…」
「人に絶対の秤など無い。己が秤にて、相対的に判断せよ。ただ…」
「…ただ?」
「あれは、トラ子の飼い主」
「あ…なんか、凄そう」
ニィっと笑うトラ子。
毛むくじゃらで、とても魅力的な笑顔。
ラシャはトラ子が大好きになる予感がした。




