商売人江戸川駿馬♯2
全ての営業を終えた駿馬は雑貨店に寄り、キセルを購入した。
この辺りではまず滅多に見かけない、和装の男がいた。
顔見知りではあったのだが、嫌いな男なので声をかけなかった。
ようやく今日初の一服だ。綿フィルターを固めに挿入して、心ゆくまで肺と脳を毒で満たした。
電子たばこを愛用していた駿馬は、本来の煙草が苦手なのだが、背に腹は代えられない。
小太郎の背中に火を落として、暴れる小太郎から落馬した際に禁煙を求められたが、今も辞められないでいる。
本人にその気が無いのが原因だ。
好きなものを食い、酔いつぶれるまで呑み、毒煙を吸い、娼婦を買い、ポックリと死ぬ。それでいい。
駿馬は長生きなど御免であった。
健康寿命100年など、想像するだけでおぞましい。
歳を重ねるごとに痛いところが増えるだけだ。
家庭など持ちたくない。
そんなものを持てる人間じゃない。
子供をつくるなんて、寒気がする。
こんな男の遺伝子など、残す価値が無い。
地球の酸素の無駄使いというものだ。
(ま、ここは地球じゃないけどな…)
ぷっかー、と煙を吐き出す。煙害を被る近隣の皆様ごめんなさい。
ふらふらと、素焼きの壺を抱えて向かうのは、駿馬所有の土地だ。
山から流れる清水の小川を中心に、ちょっとした屋敷と倉庫が三つある。
小川には水車を設置して、水を組み上げている。
その水は金属製のパイプを通り、倉庫の屋根へと流れて行く。
倉庫の内部、天井近くには何十本もパイプが通っており、そこを水が通り、また外へ出て行く。
原始的だが、手製の冷房システムだ。
空気を圧縮して冷まし、また広げるという、熱交換器の原理も知ってはいるのだが、とてもそこまでは駿馬には出来ないだろうと思った。
煉瓦作りだった壁の内側は、断熱材代わりに綿を詰めて木板で二重構造にしてある。床もそうだ。
夏でも山頂に雪が残るほど標高のある、山から流れるこの清水は、夏でも凍えるほどに冷たい。
雪解け水なのだろう。
この水が欲しくて、駿馬はこの土地と屋敷を購入したのだ。
最初は、クーラーの効いた部屋で夏を過ごしたい、という程度の考えだったのだが、この地域は夏でも過ごしやすかった。実に愚かなり江戸川駿馬。
だが再利用の方法はあった。
それがこの冷蔵倉庫だ。
「社長、お疲れ様です!」
「あい、おつかれさん!どう、やってる?」
「ええ、まあ」
「週何回?」
『だっはっはっは!』
駿馬が雇用している老人、ノワール氏が前室にいた。
極端な胴長短足、矮躯であり、髭が…つまり、一言で言うならドワーフだ。ドワーフなオッさんだ。
本人は普通の人間だと言い張るが、ドワーフ以外のなんだというのだろうか。
ノワール氏の前職は鍛治屋だ。
やっぱりドワーフじゃないか。
長い鍛治生活の末に、両眼の視力をほとんど無くしてしまい、それまで溜め込んだ貯蓄で親族と何不自由無く暮らしていたのだが、あまりにも退屈で仕方なかったらしい。
駿馬は酒場でノワール氏と意気投合し、駿馬専属鍛治師として雇用した。鍛治仕事が無い時は食肉の解体などもしてくれる。
彼の娘や孫も、たまに仕事を手伝いに来ている。
「明日の出荷の用意をするよ。あ、これお土産ね」
「肉煮ですかな?これはご馳走さまです」
「食える分だけ取り分けて持ってって。家族の分もね」
「ほっほっほ、全部くれるわけではないんですかな?」
「え、食える?けっこう量、あるよ?」
「ふむ。酒ならこの倍は入りますがな」
「おっと、俺ならその倍は軽い」
「中身が蒸留酒ならワシもそれぐらいで限界ですな!」
「いや絶対ドワーフだよね、ノワさん」
「聞いたことのない酒ですなぁ。美味いんですかの?」
「スッとぼけるんだよなあ…」
ノワール氏はこの倉庫を定期的にメンテナンスしてくれる。思い付きを形にしていったので、色々な問題が現れては直し、現れては直し、を繰り返しているのだ。
駿馬は今日の仕事の締めくくりをしに来た。
明日の出荷のために、伝票を書く。六件の宛名、地番、商品内訳だ。
そしてここからが駿馬の本当の仕事だ。
「ワシも、よく見せてもらってよいですかな?」
「いいよ。じゃちっとばかし顔面を失礼…」
駿馬はまず、書き損じた伝票を一枚くず入れから取り出して右手に握った。
右手の甲から、かすかに光の粒が生まれ出る。
紙は、灰のようにポロポロと崩れて落ちた。
次にノワール氏の顔面に右手を置くと、光の粒は両眼に吸い込まれていった。
「おお…やはり見えますな。なんなのですかな、これは…」
「俺も実際のところはよく分かんないんだけどねえ…ま、価値の移譲って呼んでるよ。多分明日の朝くらいまでは見えてるべ」
「ずっとこれだけ見えてればワシももっと活躍出来るんですがのう」
「ま、ぼちぼち透明なガラスで眼鏡を作ろうじゃない。こんな変な特技、いつ使えなくなるかも分かんないし、妙な副作用で完全に失明したら、それこそ目も当てられないさ」
「ふむ。命を預けるものは自分で作れ、ということですな」
「その金言、まさにドワーフ」
手と顔を石鹸で洗い、清潔な服に着替え、靴をスリッパに履き替え、清潔な布を頭と口に巻きつける。
頑丈な扉で密閉された冷蔵室は、気温の低下に伴い気圧も下がるので、開ける時に力がいる。
大小種類様々な食肉が並ぶ。
駿馬は天井からフックで吊り下げられた肉の塊に、拳を打ち付けてボクシングの練習なんてしない。しないったらしない。
…たまにしか。
メモを確認してから、両手に高濃度のアルコールを吹き付ける。
右手を肉の塊にソッと添えて、意識を集中させる。
駿馬の意識に、肉塊の価値が浮かぶ。生命の糧となる、栄養の価値だ。
それを覆うように黒い靄がかかっている。
その靄の価値を、駿馬は奪う。
右手の甲に靄が集まる。
肉塊の見た目が柔らかくなったのを目視で確認する。
「オペを終了する…」
「面妖な…なにかこう、ハリが無くなったように見えますな」
「あ、ごめん、なんか無い?」
「なんかとは、なんですかな?」
「あ、この価値捨てる先。用意するの忘れた…」
「…はあ?」
バッチぃものを捨てるように、駿馬はそれを、ノワール氏に持ってきてもらったモツになすりつけた。
とたん、モツはハリを取り戻し、まるで生きているかのように脈打った。
駿馬の目には、黒々とした靄が渦巻いて見えている。
本日のご注文、猪十二頭の処理完了だ。油紙を巻いて、目印をつけておく。
野鳥の方は処理する必要が無い。
寒いので、モツの入ったバケツを持って二人は冷蔵室を出た。
「ワシに、教えても良いものでしたら、教えてもらえませんかな」
「一応、他言無用で頼むよ?」
服を着替えて手を洗う。
温かいお茶でも飲みたいが、ここは酒で身体を温めるのがハードボイルドだろうと思い、酒瓶を探す。
ノワール氏が先に用意していた。
木製のタンブラーに注いでくれる。
駿馬にはちょっと多い…
「あの肉ね、全部魔猪なんよ」
「な、なんと!?」
愕然とするノワール氏。
驚くのも無理は無い。魔が付く生物は食すと呪われるというのが定説だ。
「俺は、この特技で、それを食えるようにしてんのさ。多分さっきの肉煮も、この魔猪だと思うよ」
「なんと…大丈夫なのですかな」
「散々自分達で食ってきたからね。でもヤツラは処理してない肉の方が好みらしい」
ヤツラとはアスラ人五人衆のことだ。
「黒い靄みたいのがあってさ。それを抜いてやると単なる猪に戻るんだ。で、その靄みたいのが普通の人間にとっちゃ毒なんだね。で、アスラ人はその毒がむしろ栄養になる。多分取りすぎると普通の人間もアスラ人になるんじゃないかな」
「いやいやいや!ちょっと待ってくだされ!」
「俺はこの靄を、アスラ素と呼ぼうと思っている」
「…魔素、の方が収まりが良いのでは?」
「…うん、みんなそう呼ぶよね」
ちょっとショボンとする駿馬。
「大体、魔猪と言えば、並の弓矢では貫けぬ毛皮と、一匹で馬車をひっくり返す剛力の、まさに魔物でありましょうに」
「ああ、だからいっぱいいてさ、もー取り放題!うちの連中にかかればあんなん雑魚雑魚!」
「…なんとまあ…」
「しかもこのアスラ素纏った状態だと、雑菌が繁殖しないみたいでさ、腐敗しないんだ。あとは出荷する前に毒抜きしてやれば新鮮な状態でお届けって寸法さ」
「魔素、ですな」
「あ、うん。魔素ね。魔素魔素…」
メソメソしそう。
「ま、そんなわけで元手要らずでボロ儲け、ってわけよ。デカい奴はバラバラに解体して部位で売るからわかりゃあしないってことさ」
「むう…魔獣の数が減れば狩人の安全も確保出来ますしのう…」
「あんまし狩り過ぎて魔猪いなくなったら困るけどね」
「魔獣の絶滅を心配なさるか!」
「養殖も視野に入れた方がいいかね?」
「やめてくだされ…」




