第5話
軒の角を右へ曲がり、左へ曲がり、名も知らぬ少女の手を引っ張りながらトールはレイラアドリア市街地を逃げ回っていた。背中を追ってくる敵兵、それらが放つ波状攻撃をみっともない姿勢になりながらも辛うじて回避する。長年培った技量と言えば聞こえはいいが、半分以上の要因はただの悪運と言っていい。土地勘のない場所を右往左往すること五分、七回目の右折をもってそんな彼にもいよいよクライマックスが訪れた。
「行き止まり!?」
数十メートル先にあるのは背丈よりも高い壁面と、壁に沿って置かれた蓋つきのゴミ箱だけだった。しかし、引き返そうにも背後の敵数は突破するには多すぎる。道が狭いという地形を考えればなおさらだ。一人だけなら手負いを覚悟で突き抜けることもやぶさかではないが、少女も共にいる現状でその選択肢は選べない。
進退窮まったトールはゴミ箱にフォーカスした。なんの変哲もない据え置き型だが、材質はプラスチックではなく鉄製に見える。
「……ぇ!」
「しっかりつかまってろ!」
賭けるしかない。少女を一目入れたトールは引き連れていた手を放すと両手で少女を抱えて勢いをつけた。
「どっさーーーーらっ!」
地をホップし、ステップした後にゴミ箱を踏み台に彼の体は宙を舞った。可能な限り足を伸ばしてぎりぎり壁を乗り越えると、年甲斐もなく無茶な姿勢で着地する。少女を抱えた両腕はなんとか地面すれすれでとどまった。
「だーーーーっっ!」
三十路を過ぎた男の両足に日頃では想像もつかない電気が走り、歯を食いしばる。
「あ……だ…………で」
腕の中の少女が、心配そうな表情をしながらかすれ声でトールを見つめる。「だはは」と情けなく苦笑しながらトールは周辺を見渡した。レイラアドリアの壁を乗り越えて旧市街地に来たはいいが、こちらもメインストリート以外は十字路が際限なく続く街並みだ。
「くそ!飛び越えたぞ!」
「回り道はくどい!アンカーを出せ!」
壁伝いに猟兵団の怒声が聞こえてくる。躊躇することを許されない状況にまだ足のしびれも取れぬままトールは再び走り出した。メインストリートまで逃げ切れば都市の中心部まで三キロもないし、人通りの多い場所では猟兵団も好き勝手することは通常ならば考えにくい。もっとも、裏を返せば通常でない敵にとっては総力戦に持ち込める格好の舞台となる。
どちらの可能性を信じるべきか。背後の気配をけん制しつつ市街地の角を曲がると不意に民家の裏口が勢いよく開いた。
「こっちに!早く!」
足を止めたトールの腕から少女がひょいと降りて呼びかけた女性のもとへと走っていく。少女の頭を雑に撫でつつ、女性は眉間を狭めたままトールを見つめる。
今以上に悪い方に転ぶことはないだろう。手を差し伸べる女性の案に乗っかってトールは裏口から民家の中へと入ることにした。