第六十一話 正体の見極め
薄暗い、空間の中。何処かも分からない、ただただ暗闇で誰かの絶叫が響いている。その声は悲しくて、怒りで、哀れで、尊くて、憎しみに溢れていた。そして、それはもう二度と名前を呼んではくれないと云うことに他ならなくて。もう、いないと云うことに他ならなくて。絶叫の主は自分の腕の中で真っ赤に染まった人物へ名前を叫ぶ。起きて、ねぇ起きてよ。けれど、その願いは一生叶わない。冷たくなった骸。その上に止まることのない涙と何を言っているのかさえ不明な声を漏らす。届かなかった。自分の手が、後少しのところで途切れた。あと、少し、あと少しだったのに。その手を自分が…自分が!届かなかったのに、美しいまでに穏やかだったあの顔が脳裏に甦ったのを最後に、意識は闇へと葬られた。
絶叫の主は茫然とした様子で薄暗い空を仰ぐ。いや、これは空なのか?それすらも絶叫の主にとってはどうでも良かった。瞳から消えていく光。虚ろな瞳になったその視線は自らの腕に注がれる。その時、背後で声がした。悪魔の囁き、それ以上の表現などあり得なかった。ドサリと腕の中にあった亡骸を無造作に落とすと声がした方向へ虚ろな瞳を向ける。嗚呼、あそこに。その心中を埋めるのは、一体なんなのか?それを知ることは決して出来ないのだろう。絶叫の主がゆっくりとした、それでもしっかりとした足取りで声がした方向へと歩いて行く。打ち落とされた亡骸の手からなにかが転げ落ちた。それに絶叫の主が気づいた。けれど、視線をすぐに前方に戻してしまった。そうして、そこに残ったのは、大切な人の亡骸。そしてーーー
「…………ハハハッ」
…*…
翌朝、薙と雛丸は得た情報を紅葉と白桜に提供していた。夜弥達は部屋の中で焚き火の後処理をしており、紅葉達は部屋の外の廊下にいた。
「と、云うわけで此処もヤバい」
「薙ちゃんの言う通りだね。なんでこうも異変は…」
そう最後にまとめた薙に紅葉が苦笑を漏らしながら同意する。昨日の稽古の後遺症は残ってはいないが、万が一を考えて紅葉はストレッチをしながら言う。
「じゃあ、すぐ出るの?」
「うーん…手伝いたいのは山々だし、白桜たちが稽古したいのも分かるけど…うーん…」
「悩みどころですねぇ」
雛丸が両腕を組んでうんうんと悩むと白桜が助け船を出すように付け足した。そう、既に帝の任を遂行するための情報は手に入っているのだ。行方不明の『勇使』もー恐らくーいないし、異変の原因も不明のまま。夜弥が『勇使』であるために燈梨達も彼らの事情を察している。つまり、紅葉と白桜が頼んだ稽古以外にやることがないのだ。雛丸の言う通り、夜弥の最終手段等を手伝っても良いのだが、それはそれで色々とまた事情が変わってくる。パン、と考えがまとまったかのように雛丸が手を叩き、薙を見上げた。その真剣な瞳が何を告げているのか、分からないほど二人の相棒をやっているわけではない。
「白桜、紅葉、稽古は中断して、次に行こう。ごめんね」
「大丈夫です雛様。基本は全て昨日、燈梨様より教え込まれましたから」
「嗚呼うん、そうだった…」
「おいどうした二人共?目が死んでるぞ?」
雛丸が兄弟二人に謝罪をすると、白桜が遠くに思いを馳せた。紅葉も大変だったなぁ…と軽く苦笑し、悟りを開いたような表情になる。多分、薙曰く、目は死んでる。昨日の稽古で兄弟二人は燈梨から自分達でも出来る稽古の方法を教わっていた。だがもはや、あれが出来るのは燈梨ぐらいなものじゃないだろうかと云うほどの過酷なものでしたええ。あれが稽古とか……紅葉と白桜が顔を見合せて「ねぇ」と互いを労るように頷き合う。薙と雛丸は夜弥と雨近の話を思い出し、苦笑した。雛丸が白桜に何気なく抱きつきながら、そういえばと声を上げる。
「ねぇ、そういえばさ、紅葉って稽古中に使ったの?」
「使った、とは式神の事でしょうか?」
「うん!侑氷さんたちのところで鷲出してたけど、練習とかでも出したのかなーって気になって!」
雛丸が白桜に抱きつきながら紅葉を振り返る。白桜は疲れ切って眠ってしまった記憶の中からその事実を探そうと、空を見つめており、薙はどうなんだと紅葉を見上げている。そうだ、と白桜が思い出したと同時だった。紅葉がニヒルに、口角を上げて笑ったのは。懐からバッと勢い良く、あの時と同じ、白い表面に赤色でなにやら紋章のようなものが書かれた長方形の紙を出すとフッと息を吹き掛けた。すると紙が紅葉の吐息に吹かれて宙を舞い、その場で一回転する。そしてそこに現れたのは『隻眼の双璧』の片割れとの対戦時、紅葉と薙を少しばかりサポートした美しくも凛々しい鷲だった。紅葉が片腕を鷲に向かって差し出すと鷲は彼の腕に止まった。紅葉は自慢げに胸を張りながら言う。
「うん!ちょっとは練習したよ!兄さんにも手伝ってもらって強化したんだ!」
「紅葉はもともとそういうのが得意でしたしね。他のもちゃんと練習したんでしょうね?」
白桜が雛丸にお礼とでも云うように軽く抱きしめつつ紅葉に言うと、彼はプクゥと頬を膨らませた。
「したもん!兄さん見てたくせにイジワルー!」
「ふふ」
もうー!と怒った様子で紅葉が片腕を上げると鷲が「危ない危ない」と羽をはためかせた。クスクスと笑う白桜に薙と雛丸もつられて笑う。白桜が自分をたまにからかう事は分かっているし、今がそれと云うことも理解している紅葉も、楽しそうに笑った。
「ま、まだ紅葉は陰陽師の見習いだもんなぁ」
「ねー!白桜と一緒で一人前!」
「雛様も薙様も良いところをつきますね」
「もー!」
三人が紅葉をからかうように言う。紅葉が両腕を上げて怒りのポーズを露にすると三人が楽しそうに笑う。紅葉の腕に止まっていた鷲はバサバサと羽を広げて空を舞い、同意を示すように回転した。薙や雛丸の言う通り、紅葉は陰陽師の力を持つ。紅葉の母親がそういう血筋であった関係で子供である紅葉も使える。まぁ薙の云うように見習いだが。白桜も一応習ってみたものの、ものの見事に使えなかった。白桜の母親の血筋の影響もあるらしい。まぁ少なからず使えたのもあったのだが、指導者がいない限り正確なものはほぼ無理である。
「……異変って、全部同じなのかもな」
「?どうしてそう思うの薙ちゃん」
薙の唐突の台詞に紅葉はそう聞いた。けれど薙は「証拠はないんだがな」と前置きした。
「んー同じだったら、こうも原因が分かんない理由に説明がつくと思ってな」
「あーそっか。そうだね」
「まぁ、その原因が分からなければ意味はありませんがね」
「そうだね」
とりあえず、彼らの中ではそうなった。と云うか、此処まで異変の原因が不明だと、個々で違う可能性はもはやない。大きな原因が何処かにあり、それが影響しているのではないかと考えてしまう。証拠はないが。移動して原因を追求するしかない。今後の進路が決定したところで彼らは部屋の中へ戻って行った。その時、紅葉はまたあの気配を感じて振り返りかけた。以前、その気配は『隻眼の双璧』だと思っていた。今回もいるのだろうか?紅葉は自身の肩に「大丈夫」と云うように止まった鷲の羽音を聞きながら彼らの後を追った。その際、鷲を紙に戻し、懐にしまった。
気づき始めます…(フラグ)




