第四十八話 撤退、退避、
「申し訳ありませんが、宜しいでしょうか?」
「どうしたのじゃ?白桜」
良い具合のタイミングを見計らって白桜が言った。それに侑氷が素直に疑問をぶつける。雛丸が白桜の言いたい事に気付き、声をあげた。
「あ、そっか。早く出なきゃ!!」
「?どういうこと?あいつら逃げたんじゃないの?」
雛丸の悲鳴にも似た叫びに大和が怪訝そうに首を傾げた。雛丸が痛む片足をぴょんぴょんと上げながら、紅葉、薙、そして白桜を見上げ、真剣な表情と声で言う。
「あの二人は狙った獲物は逃がさないよ。つまり、ボクたちがずっと此処にいたら、みんなが危ない」
「…逃げたわけ、じゃ、ないの?」
「あの二人にとっては、妾達に猶予を与えたに過ぎねぇだろうな」
千の問いに薙が神妙な顔つきで答える。その表情が今がどんなに安全で、この後に起こる展開を物語っている。所詮、彼らは京と千を助けた旅人だ。だが、少女と男性の正体を告げた事によって本性が浮かび上がっていた。その名を口にするように京が言う。その名を口にすれば、彼らと一線が刻まれる。そんな感覚に一瞬でも陥った。けれど、そんな事はない。
「『勇使』…帝の部下…」
「……ええ、仰る通りです。帝の任を遂行するためにも、そして貴方達のためにも私達は此処を離れた方が良いと判断致しました」
呟くような京の言葉に白桜が肯定する。正体を明かしても彼らならば大丈夫、信頼できる。この数日で分かった事だった。千がえ、と紅葉を振り返り、その真剣な表情に背筋が伸びるのを感じた。それは兄である京も同じだった。嗚呼、彼らは本気だ。危険と隣合わせ。薙の言葉が脳裏を鐘を鳴らすかの如く響き渡る。紅葉達の言葉を尊重するように侑氷がカラコロと笑った。
「ハハ、ハハハッ!さすがじゃなぁ。おまえらのその意義、意志、ぼくは嫌いじゃない。さっさと行き、全うすれば良い。それがぼくたちがおまえらに望む唯一の事じゃ。友人として。なぁ、おまえらもそう思うじゃろう?」
「……く、くく。嗚呼、そうだね侑氷。俺の目的のためにもおめーらには生きてて貰わなくちゃね」
侑氷の言葉に大和が同意するように笑った。そういえば、白桜は大和に「利用しろ」と言った。その話を京も千も聞いた可能性は低いに等しい。まぁ白桜の場合は仲間である薙達に告げた可能性ー詳しくは不明ーもある。だとしても自分と同じ事を一瞬でも考えたと云う事を考えれば、なんとも染まっている。いや、染まった、のか。そんな事、分からないけれど、わかるのは兄弟達も自分達も変わったと云う事だ。
紅葉の手を握り、千が言う。
「オレには、なにも言えないけど、頑張ってね!」
「!うん!きっと、見つかるよ!」
にっこりと笑って言った千に紅葉も笑い返した。京が薙を見下ろし、言う。
「一言だけ。ありがとうございます」
薙はクスリと京の動作に微笑んだ。雛丸が侑氷の元に駆け寄るとバッと頭を下げた。その突然の行動に侑氷が驚愕し、軽く目を見開いた。
「…雛丸?」
「ありがと、侑氷さん。楽しかった!」
「ハハハッ!ぼくもじゃよ。今度は、共に酒でも飲めたら良いのぉ」
そう言って侑氷は雛丸の頭を少々乱暴に、ぐしゃぐしゃと撫で回す。雛丸が笑いながらそれを受け止める。侑氷の両手首を繋ぐ紐に目が行った。それに雛丸は軽く目を伏せ、「ボクも、だよ。きっと」と呟いた。その言葉は侑氷には聞こえなかった。白桜は無事な方の手にあるものを持って大和に近づくと片手を掴み、手に持っていたものを押し込んだ。
「?白桜?」
「大和様、色々ありがとうございました。『勇使』の覚悟が、目的のために実りますようお祈りしております」
「…うん。こっちこそありがとう。ところで「嗚呼、これ、私が雛様に教わって以前作ったものです。所謂、御守りですかね。不要と思いましたら捨てても構いませんので……」……っぷ、ハハ」
早口で言ってのけた白桜。大和が愉快そうに口元を押さえて笑った。きっと、恥ずかしいのだ。その証拠に彼の耳の先が少し紅い。それに気づいた雛丸が白桜のもとに片足だけでやって来ると手をギュッと握った。紅葉もやって来て背中を擦る。なんだこれ。薙に至ってはその光景に悟りを開いていた。可愛いからいいや。白桜が大和の手から自身の手を離す。大和は友人からの御守りが手中にあるのを確かめながら嬉しそうに笑った。
「大事にさせてもらうな?……めっちゃ効果ありそう」
「だよねー!白桜優しいからめっちゃ効果ありそう!」
「僕よりは絶対効果あるよ!」
「君たちやめてさしあげろ」
雛丸と紅葉がノッて言うと白桜が片手で顔を覆った。あまりにも楽しいけれど見ていられなかった千が止めに入った。猶予だと云うのにこれほどまでに愉快とは。なんだが嬉しかった。その後、紅葉の固有能力で一気に治療ー力を加減してーし、別れた。緊張した面持ちで最後まで手を振っている紅葉と雛丸。それに振り返す千。彼らが近くの木々に大急ぎで身を隠す。その瞬間に大和が固有能力を発動させ、屋敷全体を透明な結界で囲む。何処からか少し不穏な風が吹き、残った彼らの髪を揺らした。千が不安そうに紅葉達が消えた方向を見やる。彼らが言った事を信じていないわけじゃない。けれど、相手が本当に撤退したと云う可能性だって。
「……っさてとーこれからどうっすかな」
「やっくん、やっぱり行っても「駄目じゃ」」
大和が背伸びをしながら言ったその背に千が不安そうな声で言いかけ、侑氷に阻まれた。クイッと顎を向けられた木々の向こう側でなにかが動いた気がした。その方向を指差し、侑氷が言う。
「あそこから先はあやつらの領分じゃ。友人の無事くらい、信じとれ」
「あ、侑氷の野生の勘ですね。それなら安心です!」
「おめーは侑氷の野生の勘になにを求めてんの!?」
京が安心したー!と言わんばかりに云うと大和がいやいや?!とツッコミした。この雰囲気なら、絶対大丈夫な気がして来た。さっきもそうだったし。千が少し不安もあるが安心しかけた、その時だった。
「ったく。少し見ない間に立派になりやがって…どう思います?お兄様や?」
「からかわないで。うん…嬉しいよそりゃあ」
「「?!」」
この声は。勢いよく声がした方向を振り返る。裏口の入り口を懐かしそうに開けて入ってくる人物。その姿に京と千の瞳がみるみるうちに大きく見開かれ、千に至っては先程流し尽くしたはずの涙が溢れて来た。大和も侑氷もまさか?!と驚愕していた。一歩、京が人物達に向かって足を踏み出した。嗚呼、これは現実か?都合の良い白昼夢でも見ているのではないか?そう思ってしまう。けれど、無意識に伸ばしたその手を掴んだ人物の手は明らかに本物で、全然変わっていなくて。
「あ……に、い…」
「うん、ただいま、京、千」
現実なんだ。脳も目も目の前の事を認識し始める。そう理解した途端、兄弟二人は人物達に、兄と親友に向かって抱き付いた。彼らが運んできてくれた、呼んで来てくれたとしか言い様がなかった。嬉しそうに安心を噛み締める兄弟達を優しい眼差しで見つめ、大和は屋敷を一瞬見上げた。
「行くか」
いつの間にか隣にいた侑氷が大和に訊く。訊かなくてもわかっているくせに訊いてくる。そんな意地悪が今はとても愉快だった。大和はギュッと握りしめていた手をゆっくりと開いていく。
「…本当はあいつら、願いを叶える神様かなんかじゃないの?」
「はは、そうかもしれんのぉ。それか、奇跡か」
「奇跡、ねぇ」
半信半疑と云った感じの声色で大和が呟く。その手の中にあったのは御守りと云うよりもイヤリングだった。小さな球体の中に細かく刻まれた美しくも優しく、暖かな輝きを持つ模様達。薙を表しているであろうみずみずしい草花、その草花の近くで舞い踊る紅葉を表しているであろう紅い葉。今にも動き出しそうな雛鳥は雛丸で、その横にある桜の花は白桜。その細かさと気遣いに大和は前世を思い出した。自分も兄弟に……大和はそのイヤリングを左耳につける。そして、いまだに嬉しそうに笑い合う家の主を見て、頷く。
「あいつらはもう大丈夫かな」
「嗚呼、大丈夫であろう。心強い味方がおる。ぼくたち以上の」
「そうだね。じゃあ、俺達の目的を果たしに行こう侑氷」
「嗚呼、そうじゃの、大和」
二人はゆっくりと彼らに背を向けた。新たな旅立ちを祝福するように先程とは違う風が大和の耳元の御守りを揺らしていった。
奇跡を起こしたかったのです…




