第三十三話 草原が染まったのは、
刃物が足を貫く感覚と共に前方に倒れ込む。前を走っていた人物が慌てたように、心配するように勢い良く振り返った。そして、倒れ込んだ人物に駆け寄ろうとして後方に目を向けてしまった。後方には武器を振り上げる人間のようなものがいて。サァと血の気が引いていく。倒れていた人物は上体を起こすと自分に向かって手を差し出す人物に叫ぶ。その声は悲痛すぎて、その声を聞くと耳が痛かった。
「行って!」
「そんな…置いて行けるわけないでしょう!?」
その言葉にそんな場合じゃないのに、嬉しくて目尻が熱くなり、涙がたまってくる。人物は上体を起こした人物ーもう一人とするーの手を自分の方へ引っ張った。間一髪、だった。もう一人が倒れ込んでいた場所に武器が食い込む。地面を抉り、そこにあった命をも奪っていく。もしまだそこに倒れていたら、もう一人はこの世からいなくなっていただろう。立ち上がったもう一人は背中に背負っていた大振りの武器を手に取った。人物も武器に手を伸ばす。しかし、二人の手は震えていた。そんな手で武器を握って闘えるわけがない。それが理解できているからこそ、二人は目の前のものを射ぬかんばかりに睨みつける。その精一杯の睨みを目の前のものは煩わしそうに武器を横に振って払った。その動作で起きた風が二人を襲う。頬に浅い一線が刻まれる。二人を慣れているにも関わらず、震える手を抑え込むと柄を強く握りしめる。二人、視線を合わせ、頷き合う。目の前のものが口角を三日月のように、いや三日月ではなく横に歪めた。口が裂けているようにも見える。その歪みと云うか笑みは、明らかに二人を嘲笑っていた。いや、本当に嘲笑っているかは不明だ。だって、無感情だから。二人が跳躍する。が、大きく振りかぶった攻撃は意図も簡単に避けられ、逆に攻撃を食らった。
…*…
「草原…?」
「草原だな」
「草原ですね」
「草原だね」
紅葉達は薙の固有能力を使い、移動を完了させていた。着いた場所は一面草原。障害物なんか一つもなく、何処までも見渡せる。まぁ良く見れば、少し遠くの方に森らしき木が見え隠れしている。紅葉は草原を少し歩き回りたいのか、ちょこちょこと近場を歩き出す。草原は自分達が住んでいたところにもあったが、そこから離れてしまっているので、久しぶりに見たので歩きたくなった。雛丸も紅葉と同じようでその後ろに雛鳥の如くついていく。
「ふふ、親鳥と雛鳥のようで可愛らしい光景ですね」
「そうだな」
微笑ましそうに優しく笑って白桜が言うとそれに薙も笑いながら同意した。紅葉は何を思ったか、クルンと半回転して雛丸の方を向く。足元を見て歩いていた雛丸は紅葉に正面から衝突した。
「うわ?!」
「はは、雛丸捕まえたー雛鳥だけに」
「それ言いたかっただけだろ」
「えへ、バレた?」
ギューと雛丸を抱き締めて紅葉が言うと薙が言った。紅葉も雛丸もクスクス笑いながら互いをぎゅっぎゅっと抱き締め合う。可愛い×可愛い=可愛い。うん、可愛い。薙はうん、と一人納得したように頷き、二人を母親のような優しい眼差しで見つめた。それに気づいた白桜が小さく笑う。ん?と薙が彼を見上げた。
「なんだ?白桜」
「いえ。薙様のご様子がまるで母親のようだと思いまして」
その言葉に薙はぱちくりとする。それを戻って来ていた紅葉と雛丸も聞いていたらしく、雛丸が白桜に突然抱きついた。突然の事だったので受け身さえ取れなかったらしい白桜が軽く「う」と低い声をもらした。そして、自分よりも背の高い彼らを見上げながら言う。
「じゃあ白桜はお父さんだね!」
「その法則で行くと僕と雛丸は子供?」
「紅葉みたいな子供育てた覚えはない」
「例えだってば薙ちゃん!」
そう紅葉が叫ぶ。プッ、と誰かが笑った。それにつられて全員が笑い出す。楽しげに、愉快げに。楽しそうな声が草原に響き渡った。
「お兄さんはボクね!」
「いや僕でしょ?!」
「だって、精神年齢的にボクが上じゃん?」
「ええ?!同じくらいでしょ?!」
「はいはい、いい加減になさい」
唐突に雛丸がニヤァと意地の悪い笑みを紅葉に向けると紅葉が反撃する。そんな二人の頭をポンポン、と優しく叩いた。それが終わりの合図だったらしく、紅葉と雛丸はまだ不足そうだったが、雛丸は白桜に向かって手を差し出した。白桜が頷き、ー不思議なー懐に手を入れた。
その時だった。突然、薙に向かって武器の切っ先が向けられた。それにいち早く気づき、動いたのは当の本人である薙だった。薙は抜刀し、振り返り様に向けられた武器を弾いた。その武器は太刀だったようで薙に弾かれ、頭上に大きく飛んでいくと円を描くようにして彼女の足元に落ち、突き刺さった。そのまま薙が振り返り、刀を向けた。
「っ!え?」
息を呑んだのは誰だったか。いや全員か。薙の目の前、彼らの目の前に現れたのは全身傷だらけの青年達だった。青年は自身の肩を使い、もう一人の青年を担いでおり、その青年も傷だらけだ。二人の体にも顔にも傷があり、真っ赤に染まり、無事な肌色を探す方が困難な状態だった。彼らに一体何があったと云うのだろうか?此処での化け物に襲われた?紅葉が何気なく青年達の足元に目をやった。そこで紅葉は驚愕の声を出しそうになって、唇を噛み締めてそれを押し止めた。担いがれた青年の手には傷を負ってもなお握りしめている武器があった。所々、欠けているように見えるのは目の錯覚か、それとも青年が彼を引き摺るように担いで来たからか、どちらかは紅葉にはわからない。武器を握ったその腕からは紅い血が渦を巻くように垂れ、草原を紅く染め上げている。そういえば、青年達の気配に気づかなかった。それほどまでに自分達が話に夢中だったのか、はたまた彼らにそのような技術があったのか。
「だ、大丈夫?!」
雛丸がそう叫びながら紅葉に視線を送るが、紅葉は彼らの大怪我に驚いているのか動きが止まっている。薙に至っては刀を納めようかどうか迷っているし、白桜も白桜でとりあえず状況を見ようと云うことなのか静かに様子を窺っている。担いでいる青年が雛丸の問いに虚ろな瞳で無感情に答える。今まさにもう一人を担いでいる時点で限界なのだろう。そんな印象だった。
「……え、え…すみません…敵だと、おもっ」
「!?おい、嘘だろ!?」
「大丈夫ですか?!」
言葉を全て紡ぐ事なく、青年は限界だったようで倒れ込んだ。倒れ込んだ拍子に青年の首にあるアクセサリーが大きく、彼の状態を示すように揺れた。薙が慌てて青年を受け止め、青年が担いでいた彼が青年の肩から滑り落ちる前に白桜が駆け寄り、受け止めた。そこで目の当たりにしたのは、
「っ、なにこれ…」
「ヒドイ…」
「これら全て、化け物のせいとでも言うのですか?」
「……やべぇとこに来ちまったなぁこりゃあ」
青年達に刻まれた深くも大きな傷の数々だった。中には変色しているものもあり、いまだに流血している傷もある。酷すぎる傷に彼らは驚きを隠せない。そして、此処の凄まじい現状に不安を煽られる。この傷を治せる者は、この傷をどうにか出来るのは
「紅葉!」
「な、薙ちゃん、僕…此処まで大きな傷治した事ないよ!」
紅葉が悲鳴をあげるかのように甲高い声で叫ぶ。その顔は治せなかったらどうしよう、と云う恐怖とそれこそやったことがない、と云う不安に覆われていた。紅葉は自分の手を片手で震えを抑え込むように握る。手が、震える。止まらないような、震え。そんな紅葉の背中を雛丸が勢い良く、拳をぶつける勢いで叩く。
「なに言ってんの紅葉!紅葉なら出来るよ!」
「そうです。私の弟である紅葉ができないはずがありません」
雛丸と白桜が出来る、と紅葉を応援する。怪我人を支える薙が居ても立っていられないとばかりに、片手で紅葉の胸ぐらを掴み上げると叫んだ。
「治した事ない治せないんじゃねぇ。治せ!お主ならできんだろっ!」
薙の鬼気迫るその勢いに紅葉の脳裏にある出来事が甦る。嗚呼、あの時も、薙ちゃんはそう言って紅葉を叱咤した。紅葉の心中にあの時の感情が甦る。紅葉は我知らずのうちに口角をあげて微笑した。その笑みに薙はニッと男のように笑い、手を離すと軽く彼に手を掲げた。その手を強く叩きながら紅葉は彼らの前に躍り出た。牡丹色の瞳が薙と白桜に寄りかかる青年達を見据える。怪我が重傷なのは白桜の方に寄りかかっている青年だ。カラン、と彼の手から武器が零れ落ちた。それを雛丸が邪魔にならないように拾い、また薙の足元に突き刺さった太刀も回収する。紅葉は両手を青年達に向けて突き出し、軽く深呼吸をすると自らの固有能力を言う。
「〈陰陽魔杯・陽〉!」
草原がそよそよと固有能力によって吹いた風に揺られる。暖かくも優しい光が傷だらけの青年達を包み、薙達をも包み込んだ。
少しペースを落とそうかと思います。ですので、一つずつ投稿です!




