第百二十話 希望の罪
両者の最大限の攻撃の衝突によって出来た爆風をもろに受け、紅葉はゴロゴロとコンクリートの上を転がった。ガン、と背中に壊れて落ちたであろう瓦礫が当たって動きが止まった。が背中に尋常じゃない痛みが広がる。背中の痛みを我慢しながら、上半身を起こした。そして、目を疑った。先程まで紅がいた場所はまるでほうきでゴミを払ったかのようになにもなかったのだ。いや、自分達のように地面が凹んでいるがそこに紅はいなかった。勝ったのか?一瞬にして勝利したと云う達成感と高揚感が紅葉の中に巻き起こった。思わず、先程まで重なっていた、力を合わせていた手を見つめる。
だがそれは、一瞬にして奈落へと叩き落とされた。紅葉の視界にうつった自分と同じ髪の色。そうだ。相手も最大限の攻撃だったのだ。そんな簡単に倒せたら最初からやっている。紅葉達が束になっても余裕綽々としていた紅だ。無傷と云う可能性が、まだ戦えると云う可能性がないわけではなかったのに。なんで、忘れていたんだろう?現実は、酷く残酷だった。紅葉が慌てて瓦礫を使って立ち上がる。が体中に響く痛みに顔を歪め、すぐに動けなかった。大鎌を杖に紅が向かった先を見る。自分の背後近くには白桜、自分の少し前方には雛丸がいる。じゃあ、紅が向かっているのは。
「っっ!薙ちゃん!」
悲鳴にも似た声が響き渡った。傷だらけの体を無理矢理動かして立ち上がった雛丸と白桜が驚愕したように我に返る。うつ伏せに倒れ、今にも起き上がろうとしていた薙の前方にゆっくりとした足取りで紅が現れる。頭を強くぶつけたらしく、ふらふらとしている薙。だがすぐにハッと我に返ると紅の接近に気付き、手元から離れた刀に手を伸ばす。が、その瞬間、痛みで呻いた。片腕を負傷したらしい。嗚呼、それでも懸命に腕を伸ばした。
「抗う事なんて、馬鹿らしいのに」
「っが!」
その抵抗を嘲笑うように紅は薙の負傷した片腕を蹴った。痺れるような痛みに思わず腕を引っ込めた薙を残酷なまでに無表情で見下ろし、紅はその髪を強引に掴んだ。髪と云うよりも頭と云った方が正しいかもしれない。頭にも加わる凄まじい痛みに薙の顔が歪んでいく。その表情に紅は嬉しいのか悲しいのか分からない、複雑な表情を浮かべて口角をあげる。紅葉が薙のもとへ向かおうと足を踏み出すが、先程の攻撃が体に響き、上手い具合に足が動かない。それは雛丸や白桜もそうだった。白桜に至っては共通能力を使おうと云うのか、懸命に爆風で閉じてしまった扇を開こうとしている。紅はそんな彼らを見て、嘲笑う。紅の体もよく見ればボロボロだった。出血量は多いが、傷は少ない。
「僕を、倒すだっけ?こんな体で?もう無理でしょう?あの時から、勝負は結していた。そんなことも分からないなんて、過去の僕は、あんなに大切だった君達はバカになってしまったんだね」
クスクスと、クスクスと嘲笑う紅。だが、
「……それは、どうかな?」
「え…」
紅に頭を掴まれていた薙の利き腕ではない左手が素早く動き、紅の腹を一突き。その凄まじい勢いと痛みに紅は茫然としていた。一回回され、グチャと云う骨と肉を食いちぎる不気味な音が響いた。グサッ、と容赦なく紅から抜かれたのは本来であれば雛丸が持つ短刀だった。紅く、丸い穴があいた腹を困惑した表情で撫でる。その傷痕を触っても、状況を理解できていないようだった。だが、思わず薙から離してしまったその手としてやったりと笑う薙を見て、理解してきたようだ。まさか、これを見越していたとでも?最期の一撃を加えれば、勝てると踏んで罠?まさか…まさか。その表情はどんどん、怒りと絶望に歪んでいく。今だ、と紅葉と白桜が感じた瞬間だった。紅が腕を振り払った。途端、カランカラン、と甲高い音を奏でて短刀がコンクリート上でボールのように跳ねた。紅が短刀を素手で払ったのだとすぐに理解できた。驚く薙の目に、紅く染まった紅の甲がうつる。そして紅は、今度は薙の首を絞めるかのように掴んだ。突然の事に誰もが動けなかった。
「っっ、薙ちゃん!」
「〈瞬発力上昇〉!」
紅葉が我に返るのが早かったか白桜が叫んだのが早かったか。白桜の扇から放たれた花びらが紅葉の足元を舞う。痛かった、重かった足が軽くなった。大急ぎで痛む足を動かして駆ける。その様子を紅はクスクスと、嘲笑う。急ぐ紅葉を横目に、苦しみを表しつつ自身の手を引っ掻く薙にまるで語るかのように告げる。
「ねぇ薙。僕はね、こうやって彼女を失った。だから、此処の僕にも同じ絶望を味わってもらうのは、当然だろう?」
「…っ……ま、さ……か…」
「アハハ、そう、そのまさかだ。ねぇ……これが罪だよ」
紅葉が手を伸ばした。その手に向けて薙がなにかを悟ったような表情をした。そして、手を同じように伸ばして
「えっ?」
心の底から微笑んだ。その笑みに紅葉は意味が分からなくて、いや、わかりたくなくて面食らった。そうして、なにもかも諦めたかのように伸ばしていた手を下ろした。どうしたの?手を伸ばして。そんな彼の思いを感じてか、薙は再び笑った。紅はそれに、口裂け女のように口角を歪めた。紅葉の手が、足が届くと云う時だった。
「〈陰陽魔杯・陰陽倒来〉」
その固有能力であって違う言葉は、よく紅葉が口にするものとよく似ていた。しかし、効果が違うことははっきりと分かった。紅に掴まれた薙の首元から赤黒いような、紅いような、もはや色さえ不明な色をした靄が突然、二人を包み込んだ。かと思うと紅の姿がだんだんと薄れて行った。薄れて行く紅の姿はそのまま目の前で呻く薙に凄まじい勢いで吸収されていく。目の前で何が起きているのかさえ、分からない。茫然としながら紅葉は手を伸ばした。が、その気配に伸ばした手が躊躇した。そうこうしているうちに目の前でゆっくりと、まるで操り人形のように薙が立ち上がる。ブワァと靄が晴れ、風圧となって紅葉達を襲った。紅葉の心中には、嫌な予感が渦巻いていた。
「薙、ちゃん…?」
喋るな、声を出すな。何処かでそんな自分が警報を鳴らしていた。




