第百十九話 絶望と云う色と希望と云う色
「……でも、それでも、良いことと悪いことがあるでしょ」
紅の言い分にそう語りかけるように紅葉が言った。ギロリ、と紅の無感情な瞳が彼を、この世界の正反対の紅葉を写す。
「確かに君は家族も友人も兄弟も相棒も亡くして、絶望したかもしれない。全て要らないと望んだかもしれない。でも、そんなこと、君を愛し愛された人々は望むの!?」
「うるさい…」
「憶測だけで人の感情を理解なんてできやしないけれど、でも、君には彼らとの思い出をも要らないと思ってしまうほどの事だったの?!」
「…ウルサイ」
「そんな風に絶望したのは誰のせいでもない。世界のせいでも運命のせいでもない。出来損ないだって云う自分は、どうだったの?どう思ってたの?どうしたかったの?本当は、生きたいんじゃないの?!」
「ウルサイ!!!!」
紅葉の声に、言葉に、意思に、意志に、誓いに、強さに、紅は甲高い声をあげた。強い光が灯ったその瞳に目が眩む。嗚呼、でもね、でも、それさえ奪ったのは自分なんだよ!
ユラァと立った紅の表情は明らかに先程とは違っていた。その瞳に光は宿っていない。あるのは、絶望のみ。紅葉が大鎌を強く握り締めるとそれを支持するかのように三人も武器を構えた。
「…まだ抗うの?絶望は既に決定事項。今さら、変えられはしない」
スゥと片手を出した紅の手元に分離した鎌が集まり、大鎌を作り上げる。その大鎌は先程よりも紅く染まっているように見えた。一瞬、胸元で揺れ動いたアクアマリンのネックレス。中心に、まるで心臓を撃ち抜かれたかのようなそのヒビは紅の絶望を表しているように見えるのは彼の心のうちを聞いたからだろうか。何処かに思うことがあったのだろうか。嗚呼、でも
「抗う事をやめ、自らの感情に溺れた時点でお主は自分自身に敗北した。そんな奴に、負けてやるものか」
「そうだよ!強い弱いってね、自分自身の心も影響してるんだよ?そんなキミに、みんなを奪わせはしない!」
「絶望したのならば希望を、希望したのならば絶望を。そのような関係で世界さえも呪った貴方に、自分の足を放棄した貴方に敗けぬはずがないでしょう?もう二度と、同じ過ちは犯さない」
刀の美しい刃を撫で、ナイフと短刀を美しく奏で、二扇を舞の如く踊らせ、云う。同情と云う感情は何処かにあった。もしかすると、そうなっていたかもしれないと云う恐怖があった。しかし、紅はその域を、越えてはならない境界線を越えてしまった。既に敵と云う手段を取った紅に敗ける気はさらさない。
「君が絶望を盾に、正義を盾にするのなら、僕達は希望を、未来を、その意志を盾に抗ってみせる。君なんかに、屈しない!」
力強く言い放ったその言葉に紅は嫌そうに、憎らしそうに顔を歪ませた。けれども、勝負は結した。
両者、相手を睨み付ける。再戦か否や。薙と雛丸が強く足を踏み出し、跳躍した。その靴の裏を紅葉と白桜が武器で大きく弾き、紅がいる空中へと飛ばす。ほぼ一瞬にして目の前に現れた二人に向かって大鎌が振られる。それを武器で受け流し、薙が刀を振った。かと思うとクルリと一回転させ、柄の方を紅に向けると突き刺した。それを間一髪でかわし、紅が大鎌を短く持つとそれを振った。途端、薙はそれを見越していたかのように後方へ自ら倒れて行き、落下を始める。トン、と振った大鎌の上に雛丸が上手い具合に着地し、大鎌を足場に飛び上がる。そしてさらに頭上から紅に向かってナイフと短刀を振り下ろす。分離した鎌が雛丸を弾くと紅がその腹に向かって蹴りを落とす。落下していた薙にタイミング良く抱き留められ、二人して落下して行く。それを追うように紅が下を向いた。その時、紅葉と白桜の足元に広がっている陣に気づいた。今度は紅葉と白桜が彼女達と入れ替わるように跳躍し、紅に向かってくる。彼は滑るように兄弟達に接近すると攻撃が当たるタイミングで大鎌を振った。
その素早い攻撃を二扇を持って防御する白桜。そのまま大きく弾き、一気に懐に潜り込むと片足を振り上げた。後方に仰け反るようにしてかわし、空中で一回転しながら後方に下がった紅の背後にいつの間にか紅葉が回り込んでいた。驚きつつも分離させた鎌を振り返り様に振り抜く。首筋に添えられていた刃物が横へと軽く飛ぶ。後方に白桜が再び迫ったのに気付き、紅は片手に持った鎌の片割れで攻撃を防ぎ、勢いをつけて回転する。両手に持った鎌の勢いに二人が弾かれ、落下を開始する。紅は先程、陣が地面に広がっていたのを思い出し、落下する兄弟達を追いかけて落下した。再び、薙と雛丸が落下してくる紅に向かって跳躍する。それを見抜き、瞬間移動でかわし、地面に爪先をつきながら着地した。薙と雛丸も慌てたように追いかけ、ニヤリと口角をあげた。紅が顔をあげると片腕を伸ばした紅葉と地面にまるで刻まれたかのように見える陣に片手を当てた白桜がいた。白桜がクルリと舞を踊るかのように二扇を美しく優雅に揺らしながら立ち上がると、片腕を伸ばす紅葉のように扇を伸ばした。あ、と思った瞬間、紅は三つの鎌を自身の周りに展開させる。薙と雛丸がチャンスでありながらも紅に向かって来ないのは、先程の事を警戒し、兄弟達二人の意図を恐らく紅よりもよく知っているからだろう。仄かに五色に光る陣の上で、白桜の扇から桜の花びらが舞い踊りながら出現する。紅葉が伸ばす手にある式神からも紅い葉が舞い踊りながら現れる。クルクルと紅が一回転し、片腕を伸ばした。それと同時だった。
「〈秘術・五色神〉!」
「おいで!神龍!」
花びらと葉が仄かに光った陣の中で絡み合い、それらは五色の光を伴いながら五つの球体を周囲に浮かばせた龍を浮かび上がらせた。だがしかしそれは現物ではなかった。兄弟二人の力を持って召喚された龍はガラス玉の瞳を紅に向けた。そして紅に向かって虹色の吐息を吐いた。それは炎であり氷であり風であり土であり水であり雷であり、光と闇であった。その大きな一撃を見て紅はニヤリと笑い、先程と同じように放つ。途端に凄まじい光と風圧が吐息とぶつかる。衝突する凄まじい攻撃。見ているこっちにもその緊迫した、鋭い殺気や勢いが伝わってくる。
「っ!」
あまりの相手の勢いに紅葉は苦痛の声をあげた。衝突で吹き上がる風が体中に出来た傷を容赦なく撫でていく。紅は痛くも痒くもないと云った感じでニヤニヤと笑っている。これは、一発勝負だ。勝つか負けるかの。自分達が持つ最大限の実力を放つ。此処で折れてたまるか!ギュッと紅に向けて伸ばした手を握り締める。途端、龍の吐息が勢いを増した。紅がそれに少し驚いたようだった。少しずつだが、押してきてるのは紅葉でも分かった。スッと握り締めた紅葉の拳に隣に立っていた白桜が手を重ねる。それを皮切りに薙と雛丸も紅葉の手に自身の手を重ねる。
「一人じゃねぇぞ」
「分かってるよねー?」
「合わせましょう」
「……うん!」
薙、雛丸、白桜の笑みが大丈夫だと安心感をくれる。大丈夫、全員いる。僕達なら、勝てる。そう信じてしまうほどの絆。真剣な、凛々しくも決意に満ち溢れた瞳と意志が召喚された龍に力を与える。勝てると思っていた紅の顔がだんだんと歪んでいく。聞いてない、これは予想外だったとでも云うように目を見開いている。しかし、彼も負けてはいなかった。スゥと瞳を細める。途端、紅からの攻撃も勢いを増した。緊迫し、大きく衝突する攻撃が強い決意を持つ彼らを包んだ。そして、爆風が襲った。




