第百九話 紅い心に埋もれた、その想い
紅葉は薙と一瞬でも繋いだ手の感触に意識を浮上させられた。そして、ハッと我に返った。兄さんや雛丸はどうなったの?薙ちゃんは?みんな強いから大丈夫だろうけども。けれども、何処かで少し不安と心配がよぎった。そこまで考えて紅葉はようやっと辺りに視線を向ける事が出来た。そこは上下左右、曇った鏡だらけだった。足元にも左右にもうつりこんだ自分になにやら違和感を持ってしまう。此処は何処だろう?考えるだけですぐに分かるが、ノエの能力の影響か効果か。どうやって吸い込まれた鏡から出ようかと大鎌を出現させながら紅葉がクルン、と一回転する。カツン、と踵が鏡に当たって甲高い音を立てる。その時、紅葉の足元で誰かが笑い、揺らめいた。
「《傷ついたからって、無視をして良いってもんじゃないよね》」
「え?!」
自分にそっくりな声が響いた。その声は紅葉の古傷を容赦なく抉っていく。紅葉が周囲を警戒しながら声の主は何処だと探す。すると紅葉が立っていた場所から少し離れたところの鏡から誰かが出てきた。ヌゥと下の鏡から抜け出して来たのだ。その姿は紅葉だった。いや、紅葉であって紅葉ではない。もう一人の紅葉はね、と笑いながら首を傾げると紅葉に向かって大鎌の切っ先を向ける。そっくりであってそっくりではないもう一人の紅葉、紅とはまた違った雰囲気ーと云うよりも紅葉に良く似た雰囲気等を持ったもう一人の紅葉は瞳の白目のところと黒目のところが逆転し、中が黒、外が赤く、持っている大鎌は血のように真っ赤に染まっていた。もう一人の紅葉ー大鎌が真っ赤なのでアカとしようーの言葉に分かっていながら紅葉は首を傾げる。
「なんのこと?」
「《はは、とぼけちゃって、残酷だね。バカだね》」
「は?!バカってなんで?僕は、克服したもん!」
「《それは、誰に対して言ってるのかな?傷?意味?未来?それとも、過去?……ねぇ、どぉ~れ?》」
歪に笑ったアカ。その笑みに紅葉は相手の正体に気づいた。敵か。それに気づいた紅葉が大きく足を踏み出した。同時にアカも勢い良く駆け出した。紅葉は大きく跳躍し、頭上から大鎌を突き刺した。ガラ、と鏡に食い込んだ大鎌の切っ先を抜き放ち、前方から大鎌を振ってくるアカの一撃を間一髪防ぐ。真っ赤な大鎌が、まるで幾人をも死へ誘う死神の鎌のように見えて不気味に思えてしまう。交差した大鎌を足で弾くと懐に一気に攻め込んだ。大鎌の柄を強く突くがそれをアカは腕でガードすると紅葉の腹に向かって蹴りを放つ。それを真に受け、後方に一旦退避する。ステップを踏み、クルンと回りながら低い態勢でアカに再び迫る。ブンッと振られた大鎌の攻撃を上空へ跳躍してかわすとリーチの中に素早く滑り込み、大鎌を首筋狙って振り回す。が、途端、アカが後方へ一歩足を引いた。それに紅葉は慌てたように後方へ大きく後転した。ズバッと一拍遅れてアカが引いて、振ったであろう大鎌が通り過ぎる。紅葉は大鎌を構え直しながら少し躊躇するように、納得する。片手の袖口から微かに式神の準備をしながら、様子を窺う。
「《あ、気づいた?でもね、もう遅いよ!全部……殺っちゃって!》」
自分と同じだ。そう思った瞬間、アカがニヤリと笑いながら懐から紙を紅葉に向かって飛ばした。飛ぶ最中に紙、式神は凛々しい鷲へと変貌し、鋭い爪を紅葉に向けた。
「?!そういうこと?!同じじゃん!もー!」
紅葉は驚きながらも素早い鷲の攻撃をかわすと自身も式神を放った。色は違うが紅葉の方が本家だ。強いに決まっている。紅葉の指示を聞かず、彼の意を読み取り、鷲に攻撃を始める。そっくりな同士が殺るのは少し気が引けるが勝つためだ。そう考えているとアカが紅葉の懐へ迫り、大鎌を振った。辛うじて背後へ跳躍するが、胸元辺りに痛みが走り、顔を歪めた。しかしアカはそれを待ってはくれず、間髪いれずに紅葉へ接近すると大鎌を振った。その一撃を大鎌を立てて防ぐ。ギリギリと力の小競り合いになる。バッと片足をアカの首を狙って振り上げる。ガ、と首を傾げる要領で軽くかわされる。しかし、肩に置かれた足を自分の方へ紅葉が引いた事によってアカの態勢は大きく崩れた。アカの背後へ跳躍するついでに大鎌で攻撃を加えておく。アカがすぐさま紅葉に向かって後ろ向きに大鎌を振った。その大振りな一撃のリーチへ入り込み、悠々と紅葉はかわすと再び袖口に隠していた式神を放った。
「行ってらっしゃい!」
放たれたのは鷹と美しくも雄々しい、刃物のような角を持った鹿。二体は凄まじい勢いでアカに突進する。アカは驚いたように目を見開いたが次の瞬間には笑っていた。突進して来た二体を上空へ飛んでかわすと方向転換する前に大鎌でぶった切った。ズバッと切られた二体は紙へと姿を一瞬にして変える。驚くには今度は紅葉の番だった。よく見れば先程まで上空で戦っていた鷲は相討ちとなったのか、既に紙へと姿が戻っていた。大鎌を構えた紅葉にアカが頭上から大鎌の切っ先を突き刺す。刃と刃のところを交差させ、攻撃を防ぐ紅葉。防いでは弾く、交差させる、という攻防戦が繰り広げられる。クルン、と大鎌の柄の方で紅葉の強い一撃を防いだアカはクスクスと逆転した瞳を細めながら笑う。その笑みが不気味で紅葉は思わず、弾いてしまおうかと思ったが、アカの拳が紅葉の腹を狙う。横目で紅葉は気付き、片手で受け止めた。それでもアカはギリギリと力を籠めて拳を紅葉の手ごと押していく。
「《いつまでもいつまでも、傷を克服出来ないでいるのは、ただの弱虫かな?それとも、なにかな?弱いだけなら、体譲ってくれない?僕の方が、うまく使いこなせる》」
「っ、」
弱虫だなんて、そんなの、知ってた。悲しいくらい、分かってた。でも僕は…。アカの言葉が容赦なく紅葉の心臓を握り締め、痛みを伴う。バッと握っていた拳を離し、突然アカは片足を振り上げた。なにか来ると瞬時に思った紅葉は後方へ態勢を立て直すために跳躍しようとした。だが、それよりも早く飛んで来たのは大鎌の柄だった。防ぎ切れないと読んだ紅葉は両腕をクロスしてガードする。途端に後方へ吹っ飛ぶ紅葉。そこへ追い討ちをかけるようにアカが接近し、首筋狙って大鎌を振る。辛うじてそれを首を傾げるようにしてかわすが反撃する前に、アカが消えた。かと思うと大鎌を大きく引きながら紅葉の前へ現れた。何が起きたのか分からないまま、紅葉へ回し蹴りが飛ぶ。それを真に受け、鏡の壁へと激突する。ズルリ、とバウンドして落ちて行く紅葉を勢いよく捕まえるアカ。大鎌で動きを封じながら首を絞めるアカ。あまりの痛さに紅葉が呻いた。
「いっ…たぁ」
「《嗚呼、痛いよね。それが、忘れても忘れない痛みだよ。弱さの証だよ。ねぇ、気づいてる?》」
うん、そんなの気づいてる。でも
「弱くはない。痛かったよ、でもね、それがなにより今の自分になってるんだ」
「《ふふ、分かるわけないじゃん。強いも弱いも心しか知りえない。考えられない》」
アカは愉快そうに嗤いながら、紅葉の動きを封じている大鎌を操る。うん、そうだよ。最初はね、心には大きな傷が出来ていた。でも、それだとどうにもならないって気づいたんだ。絶望してても始まらないって。それに気づかせてくれたのは、薙ちゃんだった。僕の目標であり希望。愛しい存在であり唯一の家族の兄さん、笑い合える雛丸。僕は守るって決めたんだ。強くなるって、決めたんだ。弱いだなんて言われてもこれが、真実だ。
「僕は、もう過去の傷を癒したよ。全てを糧に僕は突き進む。例えそれが茨の道であろうとも」
「《へぇ?馬鹿な道を選ぶんだね。表面しか見えていないんじゃない?》」
「それは、君の事でしょう?」
大鎌の長さは全て同じ。ならば、抜け出す方法も全く同じ。まだ残ってる。勝機は、確実にある。
君が僕を取り込む鏡なら、うつっているのは、
「僕はあの時の幼い僕じゃない!意思がある、光も闇も経験して強くなる。ただそれだけなんだよ!全て全て、僕の糧であり、思い出なんだ!」
恐れていた僕自身!
ガッと紅葉は片手を突き上げた。途端にその袖口から式神が舞い降りる。攻撃される、と思い後方へ一瞬でも身を引いたアカ。その隙、逃さないから。式神に気を取られている瞬間にアカの大鎌から抜け出し、大鎌を振った。床に勢いよく叩きつけられたアカが大鎌を構えて跳躍しようとする。その前に紅葉は素早く駆けた。一気に懐に迫ると間髪いれずに大鎌を振った。前のめりなのか仰け反っているのかさえ分からない態勢のアカに向けてトドメだと云うように再び、力いっぱい、大鎌を振った。
パキン、と割れる音がして紅葉が見ると壁に鏡を蜘蛛の巣状に割ったアカが食い込んでいた。紅葉を嬉しそうに見て笑うと目を閉じた。紅葉は大きく息を吐きながら思わず、座り込んだ。




