大きなお家を離れ荷馬車に揺れられて。
外からベルの音が聞こえ家を出ると、家の前に一台の荷馬車が止まっていた。
荷台の前には30代ぐらいの男が座っていて周囲に群がる子供達の話し相手をしている。
元気にお喋りする子供の相手をするのは大変そうだ。
しかも複数人。疲れそう。
男の人はやや苦笑しながらも子供達の話に付き合っている。
「もう行くのね。」
シスターが声をかけてきた。
「ええ。」と私は振り返りシスターを見る。
彼女は少し寂しそうに笑っていた。
「忘れないで、ここもあなたの居場所よ。気が向いたらまた来てね。いつでも皆で歓迎するわ。」
「…はい。次はお土産か何か持ってきます。」
「子供達も喜ぶわ。楽しみにしているわね。」
シスターの微笑で私はセルマの日記に書いてあったことを思い出す。
シスターはとても優しい人だ。
こんなにもセルマのことを大切に想っている。
他人ではなく家族として。
私は頷いてから「いってきます。」と彼女に笑ってみせた。
今までで一番自然な笑みを作れた気がした。
少し名残惜しさを感じつつ、私はそのままシスターの傍を離れた。
荷馬車の元へ向かう。
荷馬車の前に群がる子供達の幾人か私に気付いて振り返える。
「あ、リリナおねーちゃんだ!」
そのうちの一人、リリナがパッと花が咲いたような笑顔で私の名を呼んだ。
「リリナのおねーちゃん。」「黒ねえーだ!」
「違うよ、セルマねえだよ。」「おねーちゃん、荷馬車に乗るの?」
他の子供達は私を見るなり口々に喋り出す。
もう言いたい放題だ。
勝手にあだ名まで付けられている…。
ちゃんと呼んでくれる子がひとりしかいないような…まあ、いいけどさ。
「なんだ、嬢ちゃん。荷馬車に乗るのかい?」
荷馬車の前に座っている男が陽気に声をかけてきた。
白い歯を見せてニカッと笑う。
人当たりの良さそうな人だと好感を持つ。
「はい。その…魔法学校までお願いします。」
と言いながらハッとする。
しまった。
学校の名前…知らない。調べてなかった…というか、調べるの忘れてた。
凄く重要な情報なのに見落とし過ぎだろ、私。
これじゃどの学校かわからない…。
だらだらと嫌な冷や汗が流れてくる。
もっと調べるんだった。
後悔先に立たず、私の馬鹿!…元から馬鹿だけど。
心の中で頭を抱えて叫ぶ。
もしかしてセルマの日記に書いてあるんじゃないか。
そんな希望的観測をしてみる。
だが、今この場ででスカートのポケットに手を突っ込んでノートを取り出し調べものをするわけにはいかない。
傍から見ればもの凄く怪しいの一言だ。
どうしよう…。
頭が痛くてこめかみに手を当てる私に男は何事もなく陽気に話しかけた。
「ああ、いつのも所ね。この辺りじゃ魔法学校はあそこしかないからなあ。駄賃、渡してくれりゃ乗せて行ってやるぜ。」
…お?
話が通じた?
どうやら、男はセルマの通う魔法学校を知っているらしい。
というか話しぶりから結構有名どころの学校みたい。
とにかく、何とか切り抜けられそうで助かった。
ホッと胸をなで下ろす。
私は「お願いします。」と持っていた手提げのカバンから小さな布袋を取り出す。
中には硬貨が入っている巾着袋だ。
最初に森で目覚めた時に着ていたグレーのワンピースのポケットに入っていた。
着替えの時に気付いて中を調べてみたら出てきた。
銀や銅の硬貨が十数枚入っていて、どれにも月桂樹の冠を被った女の人の横顔が描かれている。
どちらにせよ、私はこのお金をどう使っていいのかわからない。
お金の単位や価値もきっと日本と違うだろうから。
考えて悩み込んでも面倒なので、適当に袋から数枚手に取って男に渡した。
我ながら大雑把だな。
まあいいけどさ。
「こんなにいらねえよ。」
男が数枚返してきたので慌てて私は受け取る。
「過払いしても何も出ないしサービスもなしだ。ただし、駄賃分はちゃんと働くぜ。」
「…う、うん。」
わりかしキッチリとしているんだな。
全部懐に入れる狡さもしなくて少し好感が持てた。
「ほら、乗りな。荷台の後ろに座るスペースがあるだろ。」
男が親指で荷台の後方を指示す。
言われた通りに行くと、荷台の後ろに木の板が突っ張り出ていて二人分座れるスペースがある。
屋根なしのオープンスペース。雨の日は最悪だな。
座り心地を確認してから私は腰を掛け膝の上に手提げかばんを置いた。
「いいなー、私も乗りたい!」
リリナが傍に寄ってきて好奇心旺盛に目を輝かせる。
他の子供達もリリナに続いて「俺も!」「私も!」と騒ぎ出した。
「えっと…それはちょっと…。」
どう返そうかと言いよどんでいると、男が手の平を軽く振りながらさせながら適当に子供達をあしらう。
「駄賃払わねえ奴は乗せられないな。さあ、危ないからどいたどいた。次来た時に面白い土産話をしてやるから。」
「ええー、けちー。」と言う子もいれば「うん!楽しみにしてる。」と素直に期待する子もいた。
子供達はまちまちに反応しつつも、荷馬車の周りから離れていく。
「セルマおねーちゃん!」
傍にいたリリナが後ろで手を組み上目づかいで私を見るてきた。
「また今度、遊びに来てね。待ってるから!」
その言葉と少し寂しそうな表情がさっきのシスターと重なる。
なんだかむず痒くて後ろ髪が引かれる感じがして、でもじんわりと胸が温かくなる。
また自然に笑みが零れた。
「…うん、また来るよ。」
ここはセルマにとって大切な居場所なのかもしれない。
男が馬に鞭を打ち荷馬車が出発する。
リリナ達が元気よく手を振る。
その向こうでシスターや見送っているのが見えた。
遠ざかっていく大きなお家と皆の姿を私は静かに眺めていた。
集落を出て続く一本道を荷馬車が走って行く。
車輪がガラガラと音を立てるたび荷馬車も不安定に揺れる。
感覚としては車より遅い気がする。
…馬車に乗ったのは初めてかも。
流れていく風景を眺めながら私はぼうっと呆けた。
「そういえば、ここ最近魔物や魔獣の出現が多くなっているらしいぜ。」
荷馬車の前に座っている男がふいに声をかけた。
目線はしっかり前を向いたままだ。
「魔物?」
動物じゃなくて魔獣、魔物。…ファンタジーかな?
既にもう、魔法やら色々と摩訶不思議なものを見せられたけどね。
驚くのもそろそろ慣れてきた…と思いたい。
「お嬢ちゃん、魔法学校の生徒だろ。いざという時は勇敢に追っ払ってくれるんだろ?」
なぜか勝手に頼られてしまった。
確かに、セルマは魔法学校の生徒らしいけど私は…。
「ええ…と。」と情けない声で恐る恐る男の背中に目を向ける。
全く使えません。
というか使い方知りません、なんて口が裂けてでも言えない。
魔法学校の生徒が魔法使えないなんて知られたら後々不味いし面倒事になりそうだ。
どう誤魔化そうか少し考え込もうとした時、
「…なんてな、冗談だ。」
男があははと陽気に笑い飛ばした。
「一応、これでも多少魔法が使える方でな。まあ、いざとなったら加勢よろしく頼むわ。」
私は胸に手を押さえて息をなで下ろす。
落ち着こう。
気持ちを切り替えてなるべく冷静さを保つ。
「おじさんはどんな魔法が使えるの?」
事は次いで、隙あらば情報収集も怠りない。
この男も魔法が使えるらしい。
「誰でも使える簡単な魔法だよ。初期魔法っていうの?炎を出したり氷漬けにしたり…あれ、護身用に結構使えるからさ。」
なんて事も無げに話しているが、私にとっては易々と魔法を使えること事態驚きで一杯だった。
初期魔法…。
ミルトスも言ってた言葉だ。魔法学校に入る前に覚えなきゃいけないとか言ってたっけ。
ショボイ魔法だと思っていたけどそうじゃないのかもしれない。
そもそも私、魔法の凄さ、普通とかの基準がわからないんだけど。
初期魔法云々以前の問題だよね…これ。