目を覚ますと森の中。
暗くて深い闇の中。
私はただ一人迷い人のように彷徨い漂っていた。
どれぐらい彷徨っていたのかわからないが、ふと上を見上げると光が見えた。
常夜の闇を照らし眩く光る一点の光だ。
呼ばれているような気がして私はその光に手を差し伸ばした。
体がゆっくり浮上する。
深い深い場所から上へと上がっていくのを感じる。
眩い光まで来た時、余りの眩しさに腕で両目を覆った。
すると背中から誰かが私の背中を押した。
「行っておいで。私の代わりに」
優しい声で、タッチとも触れるだけともいえるような手の押し方をしたのは―
まだ若い少女の声だった。
深い眠りから目を覚ます。
まず目に見えてきたものは地面に生える草むら。
重い瞼をこじ開け上を見ると青い空…とそれを覆う木々と木の葉。
ここは…どこだ?
どうやら私は横倒れで伏せていたらしい。
服についた草や土の汚れを払い落としながら立ち上がる。
私、どうしていたっけ…?
腕を組みながら今までのことを思い出しみる。
学校の教室で授業を受けていて…確か漢文だっけ。
いつも通りの平坦で退屈な授業。
教師がチョークで黒板に綴っていく文字をノートに書き写すだけの作業。
教師は背を向けて黒板と睨めっこしているか教科書に目を向けていることが多いため、教室の後方の隅にいる一生徒である私が眠っていても気付くこともない。
というか今まで気付かれたことはなかった。
おまけに不真面目な生徒は私だけじゃない。
現に斜め前の席にいる女子生徒は机の下でスマホを弄っている。
何やってんだろ。SNSかゲームかな?
その他数名は寝てたり駄弁ったり他の作業していたり…。
皆自由ね。自由っていいね。
そんなくだらない馬鹿事を考えつつ、私はいつも通り机の上に顔を突っ伏し睡眠タイムに入ることにした。
そして今現在に至る。
もう一度言おう。
ここはどこだ。
教室で寝ていた筈なのに、気が付いたら森っぽいところにいた。
傍から見ればちょっと言っている意味わかんないの状態だ。
辺り見渡せば至る所に木々が生え、地面には雑草の群れが広がっている。
今はまだ日が昇っているお陰で森の中はそれ程暗くない。
ふと首に変な違和感を感じた。ちょっとした圧迫感。
手で触れてみると…ざらざらで太くてガッシリ、形は輪っか状…首輪?
恐る恐る目をやると…
「何これ…縄?!」
思わず声が出た。
なんで縄の首輪なんてしてんのさ?!
慌てて外そうと試みる。
結び目を解こうとしたが固く結んでいた為、頭上から引っこ抜くことにした。
輪の幅は頭の幅より大きかったため案外すっぽりと抜けた。
外した縄の首輪を見る。
輪っかの先には一本の縄が飛び出ている。
その先は途切れていて、断面は『刃物か何かで切った』というより『重みで引きちぎれました』という様な荒々しい断面だった。
……ん?
ちょっと嫌な予感がする。
自然に眉をしかめる。口の筋肉が引っ張られる。
多分、鏡で見ると凄い顔になっていると思う。
というか、これしか思いつかないんだけど?
恐る恐る直ぐ傍の木を見上げる。
数本ある枝のうちの一本、一番下に生えている枝に縄が結び付けられていた。
しかもその縄の先に一本の縄が垂れ下がっている。
断面は勿論引きちぎれりましたの様な荒々しいもの。
え―と……これは……つまり、その
「……自殺、ですか?」
…あるいは自殺未遂?
数秒頭が真っ白になり身体が凝り固まる。
え?自殺?私が?!
寝ていたら見知らぬ森で自殺or自殺未遂してました?
ホント、意味わかんないよ!!
叫びたい。
けど、いらぬ労働力を使いたくないので心内で止めることにした。
…とスマートなことを言いつつ、手に持っていた縄はその辺に投げ捨てる。
勿論、力任せに。
前の『私』にさようなら!…なんてね。
おふざけ半分でニヤリと笑い、投げた方向を一瞥してから背を向ける。
顔を向くのは前の方向。
そして私はその場を立ち去った。
まだ日は登っているため、森の中はそれ程暗くはなかった。
けど辺りは木と草で森緑の一色。しかも遠く先まで同じ風景で少しげんなりする。
出口のない迷路にでもいるような感覚に陥りそう。
いや、陥ってるか。
そんなこんな考えながら、森を彷徨うこと数時間。
多分、感覚的に数時間経ったと思う。
野原からやっと人の手入れがあるような道を見つけることができた。
適当に歩いて見つけたのだから私は非常に運がいい。
馬鹿な慢心を抱きつつ道を辿って行くと、傍の草原からガサリと音が聞こえた。
ん? なに?
音のした方向を見る。というか真横からだ。
もう一度ガサリと音がして草を掻き分け出てきたのは黒い獣だった。
全身の毛が黒い狼の姿をした獣。
手足の黒い爪と口からはみ出る白い牙は鋭くて…。
…てか口から涎が出てるんだけど。
しかもウーだのグーだの唸っているし。
よく見れば毛が逆立っているし。
犬とか猫とか動物のことはよく知らないけど、でもこれ…多分怒っているよね…?
ど、どうしよう…
身の危険が迫っているのに逆に焦りが無い冷静な思考回路になる。
一周回って恐怖も何もかも吹き飛んだというか、むしろ思考がオーバーヒットしてショートしているのかな…?
身体は震えるどころか石のように硬くなって動けない。
頭では逃げろと叫んでいるのに動けない。
でも目線は獣の方向。
獣も赤色の目で私の方を見てる…睨みつけている。
見つめ合うなんてロマンの欠片もない。
さて、どうしよう…
逃げるか…逃げるのか?
むしろ逃げられるのか?この状態で。
犬は確か走る人の後を追いかけてくると聞いた。
この獣も私が走れば追いかけてくる可能性がある。
というか、多分私を狙っている…と思われる。
犬なら逃げ切れるかもしれないが、この獣の場合はわからない。
チーター並みの速さなら追いつかれる。
とはいえ、このまま見つめ合っていても埒が明かない。
動かないままだと向こうから先制攻撃、と襲い掛かってくるかもしれない。
それは嫌だ。
黒い獣が唸りながら一歩前へ足を踏み出す。
ビクリと私の体が震えた。
おまけに「ひっ」と情けない声が零れてしまう。
やっぱり怖がっているじゃん、私。
これはじりじり近づいて来る系か。
ならば……選択肢は一択。
本能の行くままに強張っていた体を強引に動かす。
ぐるりと獣から背を向け足で思いっきり地を蹴って駆け出す。
手を振りやや前屈みになりながらも足を止めることは一切せずに。
私は逃げることにした。