あおきそらしたがえしもの-A
栗毛の馬の背に、少女が乗っていた。
凛とした顔立ちの少女で、可愛らしいと言うよりかは美しいと形容されるような美しい顔立ちの美少女だ。
淡いブロンドの髪は腰元まで伸び、少女から大人の女性に変わりつつある四肢は瑞々しく、それでいてすらりと伸びる。
男好きする顔立ちに体つきをしている少女だったが、その服装は少女と言う言葉には似合わぬ物々しさを醸し出していた。
色香を断つように鋼の鎧を身に纏っていたのだ。
麻の服を大きく突き上げる乳房を覆う鎧が鈍く銀色に光る。
「見えました。目的の村です」
「ん。……村に着いたら少し休みを取り、その後ゴブリンの討伐に出る。早馬を出し村の者に知らせよ」
「はっ」
騎士爵の少女、ミリアルティ=サー=フレンティアナは部下である男性騎士の言葉に小さく頷き、馬上から指示を出す。
部下が足早に去るのをチラと見た後、視線を前方に見える村へと向けると、ミリアルティは思わず小さくため息をついた。
「カハハハッ!……殿下はご不満のご様子ですな!」
ミリアルティの横に、同じく馬に乗った初老の男が並ぶ。
甲冑に身を包み、腰には剣を佩いたその初老の男は片手で馬の手綱を操りながら、もう片手に兜を抱えている。
愉快そうに笑う初老の男に、ミリアルティはふん、と鼻を鳴らして口を尖らせた。
「殿下と呼ぶのはやめてくださいと何度もお願いしたでしょう、サー=ファルハット。……それに、不満など抱いてはいません」
そう言う彼女ではあったが、その不満げな顔をされてはそう思えはしなかった。
「ははは。……やはり常に身に付けて《・・・・・》いないと不安ですかな?」
ファルハットと呼ばれた男は、少女の左腕を見た。
右腕は見事な白銀の甲冑が覆っているが、非対称にでも拘ったかのように、左腕にはなにも鎧を纏っていない。
「不安と言うわけでもないのですが……なんと言いますか、ここ数年外していた時間の方が短かったものですから」
左手の甲を撫でながら苦笑したミリアルティに、ファルハットが笑いながら頷く。
「ハウメニッツ家ご令嬢との一戦は凄まじいものだった、と伝え聞いております」
ファルハットが言うと、ミリアルティは苦笑する。
「お陰様で竜装機丸々一騎を分解点検しなければならないほど消耗させてしまいましたがね。学年末の御前試合から一月経ち、もう新学期を目の前にしていると言うのに、入学式に間に合いそうにありません」
「カハハハッ。殿下もハウメニッツ家のご令嬢も、熱が入ると激しくぶつかり合うのは昔から変わりませんなぁ。昔、庭先で人形を取り合った時を思い出しますぞ」
「むっ……また私を子供扱いするのですね、サー=ファルハット」
「カハハハッ!私にとって殿下はいつまでも可愛らしい姫君ですからな!」
頬を膨らます少女の隣を並び進みながら、ファルハットは朗らかに笑った。
「おおっ、騎士様方!御出頂き、まことに――」
「世辞はいらぬ。それより、あな――貴様が村長で良いのか?」
ミリアルティは語気を強くしながら、自分達を出迎えた村民達の中で、一歩前に出てきた男の言葉を遮って尋ねた。
「はい。私がこのリコット村の村長を任されております」
「そうか。……数刻の後、我々はオークの討伐にかかる。この村にも部隊を一つ置いて行くが、何かあってはいけない。我々が村を出たら村人を家から出さぬよう伝え言ってくれ」
ミリアルティが馬から降りてそう言うと、村長の回りにいた人たちは安心したように息を吐いたり、隣り合った村民達と視線を交わし、どちらともなく笑みを見せあった。
数刻後、準備を万全に整えた数十人の騎士達が整列し、己が主の言葉を待っていた。
その騎士達が、村長宅で歓迎されていたミリアルティが村長宅から現れると、サザッ、と音を鳴らして彼らは待機の状態を解き、胸に拳を当て敬礼の姿をとる。
その姿をみて、ミリアルティは小さく微笑むも直ぐ様表情を凛々しい物へと変えた。
整列する騎士達の前で馬に乗り、騎士達を見下ろすと一拍おいて、ミリアルティは腰に佩いた剣を抜き天に掲げた。
「これより我らは森へ進み、オークどもの討伐へ向かう!全騎士駆け足っ!!」
馬の腹を軽く二回蹴り、早歩きで進ませると、兵達は駆け足で彼女へ続く。否、彼女を追い越し、彼女を中心とした列となる。
「見事なものだ」
騎士達の素早く、それでいてよどみのない動きに感嘆したミリアルティは、鞘へ剣を納めると空を見上げた。
「……まさか新学期直前にオーク討伐とはな」
苦笑した彼女は、年相応の少女の表情だった。
森の中へ進み少し経つと、魔物と良く遭遇する事になった。
だが、数十人もいる騎士達にとって驚異でなく、もとより数匹程度の魔物など卓越した技量を持つ彼らの敵ではなく、早々に蹴散らされた。
「……妙だな」
「妙?」
ミリアルティと同じく森の中を馬に乗って進んでいたファルハットが思案するよう呟いた言葉をミリアルティの耳は聞き取った。
「あぁ、すみません。一人言のつもりだったのですが」
「構いません。……それで、サー=ファルハット。妙、とは?」
「はっ。……魔物とは確かに、他の動植物に比べ危険で凶暴な存在です。が、それ以上に臆病なのですよ」
ファルハットのその言葉が、何を意味するのをミリアルティは瞬時に理解した。
臆病な筈の魔物達が自分達より強く、そして数の多い敵に立ち向かって来ている。
……それはつまり、立ち向かって来なければならない理由が生じていると言うことだ。
「――……偵察を出しましょう」
「御意に。……行け」
恭しく頭を下げたファルハットが、何か手振りして呟くと数人の人影が森の中へ消えて言った。
それから数分後、行進速度を落としながら森を進んでいると、偵察に出ていた数人が戻ってきた。
その者達が告げたのは、複数のオークの巣を発見した事と、そのいくつかの巣が、何者かによって破壊された形跡があったと言うことだ。
「複数の巣……事態は深刻なようですね。……やはり、無茶を通してでも竜装機を持ってくるべきだったろうか?」
本来、オーク達は自分の巣の近くに他の種族の巣が作られるのを嫌う。いや、同種族であろうと同じ巣で産まれた者以外の者には酷く嫌がる。
そのオークの巣が、近い距離に複数作られている。
それはつまり一つのコミニティが、一つの巣では溢れかえってしまう程に繁殖し、近くに新たな巣を作っていたと言うことに他ならない。
「戦闘の形跡と言うのも気になりますな。オークと敵対する魔物、それともオーク退治に来た人間か……後者であって欲しいものですぞ」
「私も同感です。……付近で一番近い生きている巣は?」
「こちらです」
偵察に赴いた騎士が部隊の先頭に立ち、進む方向を示す。
「うむ」
オークとの戦闘を間近に、ミリアルティは腰に佩いた剣を撫でた。
オークの巣へと進んでいると、相対するオークの数が明らかに多くなる。
「ブヒゲゲギャッ!ゲギギ――」
「逃がすな!巣へと戻られては面倒になる!!」
騎士達が危なげなくオークに対処していた、その時だった。
――ドンッ!!
地面に走る僅かな揺れと、大気を揺らす爆音が森に響いた。
きっかり10秒。一拍とは言えない長い時間、思考を停止させてしまっていたミリアルティが口を開いた。
「な……なんだ、今の音はっ!」
「わかりませぬ……しかし、あまり良い予感はしませぬな」
ミリアルティの問いかけに苦虫を噛み潰したように表情を歪めるファルハット。
彼は腰に佩いた剣を抜きつつ、音のした方へ意識を向ける。
「……どうやら、悪い予感は、当たりそうですな」
意識を向けた方向から、何かが重たい物が音を立てて迫って来ている。
木々をなぎ倒し、ドスドスと足を踏み鳴らしながら駆けて来るのが、容易に理解できた。
そして、次の瞬間……ソレは文字通り森の木々とオークの群を吹き飛ばしながら現れた。
「なっ……!オーガ!?」
浅黒い肌に、丸太のように隆々とした四肢を持ち、額に角と下顎から突き上げるように生えた長く大きな牙。
人型の魔物の中で、もっとも凶暴でもっとも強い魔物、それがオーガだ。
しかし、本来オーガは通常3m前後で、大きくても4mほどの大きさのはずだった。
「こいつは、オーガ……なのか!?」
現れたのは、8mはあろうかと言う巨大なオーガだった。
「ガアアアアァァッッ!!」
咆哮と共に振るわれた腕が木々に当たると、木っ端微塵に吹き飛んだ。
その光景を見た瞬間、ミリアルティやファルハット、それに付き従う騎士達が青ざめる。
あの豪腕による一撃をその身に受けた姿を幻視したのだ。
「っ……殿下!」
「!?――撤退する!魔術障壁を展開しつつ後退せよ!!」
いち早く硬直が解けたファルハットが叫ぶと、ミリアルティは騎士達へ向けて指示を飛ばした。
「口や身体のあちこちに不着している血……なるほど、いくつかの巣が死んでいたのは奴のせいだな」
「随分と大食漢ですな。……まぁ、あの図体を維持するには必要なのでしょう」
鋭い目付きでオーガを睨みながらファルハットが言うと、ミリアルティは頷いた。
騎士達が隊列を整え、大楯を持った数人の騎士が隊列の前に立つ。
「密集防御陣形!」
「「「密集防御陣形!!」」」
大楯に刻まれた紋章文字に魔力が注がれ、魔法障壁が展開される。防御に特化した紋章魔術だ。
個々の防御力も去ることながら、このファランクスの真髄は複数人が同時に使用する事でその堅牢が増し、四、五人集うだけで破城槌の一撃すら防きる。
その防御壁に向かって、巨体が迫る。
「グガァァァァァァッッ!!」
――突貫。
「「「――――ッッ!!??」」」
激突。その瞬間、ズシンと鈍い音が響いた。
そして、騎士達には凄まじい衝撃が襲いかかった。
破城槌の一撃を受けてさえ、不動の守りを貫いた防御陣形が、
「ぎっ――――ッッ」
「耐え、ろぉぉッッ!!」
押される。
「グオオオオォォォッ!!」
薄く伸びる光の壁にその拳を殴り付け、その脚で蹴りあげ、その巨駆を叩きつけ、意地でも突破しようと試みるオーガ。
「化け、物めぇっ!!」
「く、くそおおおぉぉっっ!!」
騎士達が呻く。どれだけ力を込めても、声を張り上げても、オーガの勢いを止められない。
駄目だ、もう無理だ。
そんな思いで覆い尽くされようとした時、颯爽と動く影があった。
「――『爆裂閃光弾』!!」
凛とした声が響くと、それに呼応するように世界が一瞬シン、と静まりかえった。化け物の雄叫びも、騎士達のうめき声も消え、
そして―――目を焼く程の閃光が、辺りを包み込んだ。
「――――ッッ!!」
声にならない悲鳴がオーガから漏れる。奴の眼前で炸裂した光の爆発は奴の視力を奪い、激痛を与えたのだ。
「今ですファルハット卿!」
「殿下!!……各員抜剣!四方より攻め立てよ!!」
馬上から魔法を放ったミリアルティが次なる魔法を唱えようとしながら叫ぶと、ファルハットは抜剣し、その切っ先をオーガへ向け指示を飛ばした。
「「「応ッ! 」」」
恐慌状態にあった騎士達は回復し、それぞれ抜剣して散開する。
ガチャガチャと鎧を鳴らしながら部隊が四方に分かれオーガを囲むと、オーガもまた視力が回復したらしく怒気も露に咆哮した。
「――……」
一瞬の静寂の後、騎士達が、オーガが動き出そうとした時、
「―――ぅぅぅうあああああぁぁっっ!!??……」
人の叫び声が、上から聞こえて来たのだ。