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新たな仕事

 

 全くなんて不愉快な日だ!

 俺は手元のリストに斜線を引きながら、目の前の処刑台で繰り広げられる惨劇に腹立たしく目を細めた。


 どこかの暇な騎士が、剣の試し斬りをしたいとお偉いさんに多額の賄賂を送ったらしい。そのせいで俺の今週の仕事は、下手くそな首切りの見届け役というわけだ。


 剣を振りかぶって下ろすのはいいが、狙いが振れてとんでもないところを切りつける。肉をえぐられた囚人は苦しみもがき、血を吹きながら台の上をのたうち回っていた。

 その血しぶきを浴びた群衆が、囃し立てたり恐怖の悲鳴をあげたり、阿鼻叫喚の渦といった模様だ。


 首切り役人にも矜持と言うものはある。

 なるべく早く囚人に死を与えるのが暗黙のルールだ。それを踏みにじるような真似を目の前でされて不愉快にならないわけが無い。


 仮にも騎士を賜る剣士がこんなに下手くそであってたまるか。

 要は娯楽なのだ。政変は治まりつつあり、戦場らしい戦場はもはや無くなった。そうした戦地で役立ってきた血を見る事に快楽を覚える輩は、金やコネに物言わせ合法的に人を切りにこうして監獄へやって来たりするのだ。

 平和な世には無用の長物だ。

 いつか完全に人の道を踏み外して、首を刈る方から、刈られる方にならなきゃいいな。


 返り血に赤鬼のようになりながら、狂気じみた笑を浮かべる剣士を見ながら、俺はたった今奴になぶり殺しにされた囚人の名前に線を引いた。


 まぁ、あの剣士がここに来て、違う形で処刑台上がる未来もそう遠くはなさそうだ。使いづらい刃物が、もっと使い易いものにとって代わられるのは世の常だからな。


 *


 そしてもう一つ、俺を苛立たせる原因がある。


「今週はサー・デデが剣の試し斬りをなさる。それでだ、お前はマリー・アン嬢のお相手を頼む」


 仕事の変更があったとの知らせを受け、俺は監獄長の部屋に確認しに行った。リストの変更とは珍しいこともあるものだ。てっきりそういう類の変更だと思っていた俺に言い渡されたのは思いもよらない新たな仕事だった。

 思わず固まったまま返事を出来ずにいる俺に、監獄長はチェック中の書類から顔をあげた。


「見届け役だけだ。時間はあるだろう?」

「ご冗談を」


 どう考えてもおかしいだろう。

 女性の監視役や牢番が相手をするのなら分からないでもないが、何処をどうすれば首切り役人がお姫様の話し相手になるんだ?

 滅多に感情を表に出さない俺が、困惑の色を浮かべているのを監獄長が面白そうに見守っている。

 満足するまで眺めたあと、ゆっくり命令を告げた。


「ゾルバ・コンスタンティン。お前はしばらくマリー・アン嬢のお話し相手だ。不服か?」

「いえ。ですが、そんな……」

「どこかで、迷える子羊の話し相手をした経験もあると聞いているぞ。慣れているだろう?」


 クソ。誰から聞いた? 教会のヤツらか?

 手助けなんかするもんじゃねえな。どこで不利に使われるかわかったもんじゃねぇ。


「囚人とはいえ相手はご令嬢だ。今まで通り教会の懺悔室を使うといい」


 撤回させたいが、教会で小銭を稼いだ事実を抑えられては立場が弱い。頼まれたと言ってもこの程度の事実、金を受け取った以上どのようにもねじ曲げられる。俺はお互いの信用のためと神父に言いくるめられてしまったが、あの酔っぱらい裏切りやがった。

 ガキの頃からの知り合いと油断したぜ。


「私は忙しい。分かったら仕事にもどれ」


 それで今週、俺は1日の半分をヘッタクソな公開処刑を見届けさせられ、あとの半分をお姫様のお喋りに付き合うという、何とも乗り気のしない仕事をする羽目になってしまった。


 その日の午後遅く、俺が約束通り教会を訪れると、お姫様は既に懺悔室で待っていた。


「ごきげんよう。ゾルバさん」


 俺はどう言葉を返していいか迷い。

 結局無言のまま椅子に座った。仕事以外で人と話すことなどない。用もないのに話をしなければならないという居心地の悪さに落ち着けずにいると親しげに名前を呼ばれた。


「またゾルバさんとお話ができて嬉しいです」

「それは光栄なことで。お姫様」


 疲れたように返事をする俺の態度が気に入らなかったのか、お姫様は眉をひそめた。そんな顔されてもねぇ。俺だってこの状況に納得しているわけじゃない。


「あの、お姫様じゃなくて《マリー》とお呼びください。ここではお友達としてお話したいんです」

「お友達……」


 先が思いやられる。しかし、仕事だ。

 これなら地下牢に行ってある人物の口を封じてこいと言われた方がまだ楽かも知れない。

 人生の大半をここで過ごしてきた俺に友人と呼べるものはいない。恐れられ、疎まれる仕事をしてきたのだから仕方が無い。たまに親切なやつが近づいてきたこともあるが、リストの誤魔化しをさせるのが目的だと知ってからはそういう奴も遠ざけてきた。

 その俺にお友達の役をやれと?


「お友達になるなら、まずお互いのことをよく知らなくては! ゾルバさんは好きなものはありますか? 場所とか食べ物とか、何でもいいんです」


 好きなもの? なんだそりゃ?

 そんなものを聞いてどうするんだ?

 ますます困惑する俺をよそに、お姫様は期待を込めた眼差しで俺の言葉を待っている。何か言わないわけにはいかなそうだ。

 俺は腕を組み、何を言うべきか悩んだ。外は晴れてきたのか明り取りの窓から入る光の筋が強くなり、お姫様の髪を輝かせる。


「そうだな。晴れた日はいい。だが、仕事をするなら雨の日の方が片付けが楽だ」


 広場の血を洗い流す手間が省ける。

 ただそれだけの事だ。


「空は見ていて飽きませんわよね。私の部屋から朝日が見えるのです。朝焼けに染まる空はとても綺麗ですよ。でも、雨音に耳を傾けるのも好きですわ。止んだあとに虹の橋がかかるのもとても好きです。虹の橋の袂にはレプラコーンが宝の壷を埋めているというお話を思い出しますわ」


 楽しそうに笑顔を輝かせ、取り留めの無いおしゃべりをする。

 おとぎ話や詩など、ガキの頃から人を殺すことしか教わらなかった俺には、そのお話の半分も分からなかったが。まぁ、どうやら俺は話し相手にはなれているようだ。


 殆どはお姫様が喋り、たまに俺が答えるくらいの割合だが、それに不満はないらしい。俺にはわからない繋がりで次々と話を進めていく。何かの本に出てくる一節が、母親が持っていたという金の指貫の話に繋がるのだからわからない。

 それでも、ひとまず俺は『話を聞く』という仕事を全うした。


「今日はとても楽しかったですわ」

「それは良かった」


 時間が迫った頃、俺の頭の中はいつ使うか分からないような雑学でいっぱいになった。ひとつ言える事は、なるべく速くサー・デデにはお帰り頂き、通常の仕事に戻れるようにして貰えなければ、週末には俺の頭はいらない情報でパンクするだろうということだ。


「上の方に掛け合ってみたかいがありました」

「掛け合った?」


 どんなに疲れていてもこの一言を俺は聞き逃さなかった。


「えぇ、監獄長さんに、これまで通りゾルバさんに教会でお話を聞いて貰えるようにお願いしたのです。お金さえ払えば叶えられると牢番の方に教えて頂いたものですから」


 そうか、それでイレギュラーなことが起こったんだな。

 こいつは俺を呼び出すのにいったい幾らの賄賂を払ったんだ? お姫様の後ろ盾がどんな奴かは知らないが、財が無尽蔵というわけではないだろう。金でどうにでもなる監獄の中は、囚人に金がなくなればどんな地獄にもなりうるんだ。ここでは常識のようなものだ。それをこの温室育ちは知らない。


「二度と賄賂を使うな。いいな。一度味を占められると次からは高額になっていく。あんたの事だ、相手の言い値で払ったろ? 次はもっと跳ね上がる。搾り取られる前にそういうことはやめたほうが身のためだ」


「でも、そうでもしないと会って下さらなかったでしょう?」


 俺は、このお姫様と初めて言葉を交わした日から募り続けているいらだちの原因を、ようやく見つけた気がした。この娘と俺の世界は違い過ぎる。

 お姫様の住む世界は、陽の当たる、それこそ彼女が話していたおとぎ話のような世界で。俺の住む世界は、少しでも選択を誤れば惨たらしく簡単に人が死ぬ世界だ。

 俺の住む暗闇には、アンタの知らねぇ残酷な事が山ほどあるんだろうな。


「金が払えないばかりに。最下層の地下牢でゴキブリとネズミに食われる恐怖に怯えながら夜も眠れず、腐った水の染み込んだ藁の上で餓死か病死したく無かったら無駄金を払うな!」


 お姫様はショックを受けて黙り込む。

 世の中にそんな恐ろしいことがあるのかと、俺が嘘をついて怖がらせようとしているのではないかと、確かめるようにマジマジと見つめている。目をそらさない俺を見て真実を悟ったのだろう。『ごめんなさい』と囁くような声で言った。


 入ってきたばかりの裕福な奴は、少し不便な宿泊施設といった上階の様子から勘違いを起こす。監獄にいるというのに自分は安全だなんて確信もない思い込みをするのだ。そういう奴は、タチの悪い連中に言われるがまま金を搾り取られて、最後に地下牢へ移ってから目を覚ますんだ。

 そういう奴らは俺のリストにすら乗らない。

 地下牢の闇に呑まれて、湖の藻屑と消えちまう。


 目の前で不安げに俺を見つめる少女が、酷く儚げに見えた。


「ゾルバ・コンスタンティンに用があると言え。食事を持ってくる牢番に言えば、金の要求はされねぇはずだ」


 ほんの少しだけ、俺の世界の常識を教えるだけだ。

 自分で身を守れるように、少しだけ手を貸してやるだけだ。

 嬉しそうに笑うお姫様の陽光を受けて輝く姿を見ながら、俺は俺に言い訳を重ねていた。

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