囚われ姫再び
今日は三人の首をはねた。
処刑は組まれた台の上、公開処刑のことが多い。
斧を振り上げた時、群衆の中から飛び出してくる者がいた。泣き叫び命乞いをするその女に縋るような眼差しをむけられる。
俺が首をはねようとしていたのは、その女の夫と兄弟だったらしい。処刑台の足下で、服が泥に塗れるのも構わず、泥濘に跪き神に祈るがごとく両手をすり合わせ懇願していた。
だが、役人に取り押さえられた女の前で、俺が斧を振り下ろすと、赤く血走った眼で女は狂ったように叫んだ。
「人殺しっ! お前など永遠に呪われろっ! 人殺しぃっ!」
仕事を終え、自分の屋敷に戻ると、門前に教会の小僧が立っていた。今すぐ急いで教会に来いなどと言う。とうとう神父が酒毒で死んだのかと思い駆けつけてみれば。
「ごきげんよう」
来た早々懺悔室に押し込められ、待っていたのはお姫様だった。
俺は約束した覚えは全然ないんだが、お姫様の中ではすっかりそういうことになっていたようで、俺をご指名されたらしい。
「俺は教会の者じゃない。だから呼べばすぐ来るわけじゃねぇんだ。それに今日は神父がいただろ」
「でも、私は貴方とお約束したのです。貴方がいらっしゃるのが当然です」
これだからお貴族様は。
今まで自分の思う通りにならない事など無かったのだろう。
人に命令し慣れた者の態度が、この歳ですっかり染み付いているらしい。
「悪いがお姫様、俺も暇ってわけじゃねぇ。いつも来るなんて思われるのは迷惑だ」
明白な拒絶。そんなものを向けられたことは無かったに違いない。お姫様は少なからずショックを受けたようで、言葉の勢いが落ちる。
「私が……お嫌いですか?」
「好きでも嫌いでもない。一度話しただけの奴をどちらかに分けなきゃならないもんかね。はっきり言えば興味が無い。それだけだ」
今日は朝から少し気の滅入ることがあった。言い訳をするわけじゃないが、俺もどうやら人らしい。十何年、毎日薪割りのように人の首を刈りながら、感情などというものは消えてなくなったものだと思っていた。だが、まだあるらしい。
こんな小娘に八つ当たりしているんだからな。
せめて家でもう少し息を整えられる時間がもらえたなら、俺も多少は穏やかであったかもしれない。だが、ついさっき首をはねたばかりの血の匂いを纏ったままでは無理というものだ。
処刑場で女が上げていた、言葉にならない悲鳴が、まだ耳に残っているというのに。
格子の向こうの少女は、細い指を絡めては解くを繰返しながら俯いていている。今にも泣き出しそうな様子に俺はうんざりしていた。今日はもう、女の涙はたくさんだ。
「皆が腫れ物に触るように話すのです」
何を言い出すかと思えば、泣くまいと声を抑えながらそんなことを語り出す。俺はてっきりこの娘が泣き出すか、怒り出すかして帰ると思っていたのだが、予想外だった。
「貴方と話した時、そんな様子はちっともなくて。久しぶりに人とお話をしたような気持ちになりました。だからまた、貴方とお話がしたかったのです」
小さくしゃくり上げながらも言いたい事はいう。
お姫様にしては、まぁまぁガッツがある。黙って泣かれるよりはいい。だからと言って、俺がお姫様のお話にお付き合いしなければならない法はない。
「気の毒とは思うが、俺はあんたが言葉を交わすような人間じゃねぇよ」
「悪魔や死神だからですか?」
「よく覚えてるじゃないか」
「そうおっしゃいましたけど。貴方は人ではないですか。どうしてそんな事を仰るのです?」
食い下がるお姫様に、俺ははっきりと言ってやることにした。
俺を神父の代理に頼んでいた教会側のことを思えば避けたいところだが、これ以上のらりくらりとかわしていても時間の無駄に思えたからだ。
「俺はな、監獄の死刑執行人だ。もっとはっきり言うなら首切り役人だ。お貴族様の令嬢が口をきいて良い相手じゃねぇんだよ」
「嘘……」
「嘘じゃねぇ。首切り役人のゾルバと聞けば大体のやつは知っている。聞けば教えてくれるだろうよ」
お姫様の瞳が束の間恐怖に凍りついた。
仕切りの格子へ近づいて、俺をまじまじと見つめる。返り血の染みを誤魔化すため、黒装束を着て、血生臭い死の匂いを振り撒いている俺はさぞかしバケモノに見えることだろう。
何も言い返せずにショックを受けているお姫様に、俺はこれ以上話すことはないと判断し、開けるよう廊下側へノックの合図を送って席を立った。ドアの向こうで小僧が手間賃を差し出したが俺は受け取らなかった。
可愛らしい少女に怯えられて傷ついたかって?
今更だ。首切り役人になる前でさえ、道端に捨てられたガキに暖かい視線が向けられることは無かったからな。
この程度で何か思うことはないさ。
もう、呼び出されることもないだろう。
*
しかし、そう思っていたのは俺だけだったようだ。
それから数日後。
監獄の門前に、教会の白い馬車が俺を迎えに来やがった。仕事も早々に連れ出され、もう来ることもないと思っていた懺悔の部屋に再び詰め込まれる。
俺はてっきり、この前、神父の代わりをしていたのが俺だと暴露したことに対して、お叱りがあるものだと覚悟していたのだが。連れ出された要件が、お姫様の呼び出しだと知って軽い困惑を覚えた。
「私、あれから考えたのです」
見かけによらずタフなお嬢さんだったんだな。
俺にあのように言われて、もう一度会おうと思う奴がいるとは思わなかった。ましてや女なら、端から会いたいとは思わないだろう。彼女らにとって俺は恐怖の対象でしかないのだから。
それをこの温室育ちのお姫様が? 全くもって謎だ。
「確かに私は前王の血筋ではあります。でも、避暑地で逢ったメイドとの間に生まれた娘です。それに、今は牢に入れられた身です。もはや世の中の言う立派な令嬢ではありませんわ」
なるほど、ただ大切に扱われていたお姫様ではなかったようだ。
前王が栄華を誇っていた頃は、その出生が一族の中で蔑まれる対象であったかもしれない。だが、前王の子はすべて、王都で群衆の見守るなか殺されたと聞いている。
彼女は出生がネックになり、立場をあまり公にされていなかったのかもしれない。そのことで殺害を免れたのだとしたら。
皮肉なものだ。
「ですから、今更 《死神ゾルバ》とお近づきになったところで構う人はいません」
するとこの姫は、前王の直結血筋として、最後の生き残りということになる。誰かが姫の存在を知っていて、保護しているのだろう。でなければ、このような監獄に無事に幽閉されているのはおかしい。
聞いた者の方が消されるのではないかと、身を危ぶむような秘密をあっさり聞かされて俺は内心驚いた。だが、顔に出すほどではない。こんな仕事に就いていると、揉み消したい問題の始末を付けさせられることもままある。
「お話の途中すまないんだが、お姫さんは今俺にした『思い出話』を監獄の他の誰かに話したことは?」
「ありませんわ」
「俺に首をはねられたくなかったら、その話は二度としない方がいい」
忠告のつもりで言ったのだが、お姫さまはとても嬉しそうな顔をした。
「お優しいのですね。私の心配をしてくださるのですか?」
「余計なトラブルに巻き込まれたくないだけだ」
まったく分からんお姫様だ。
その可愛らしいおつむは何でそんな答えを出したのやら。
「俺が告げ口しないとは限らねぇんだぞ?」
「貴方は大丈夫です」
「何でそんなことが言える?」
脳天気な物言いに俺の方が苛立ちを覚える。
人がいいにも程がある。このお姫様を保護している野郎の気苦労を思うと同情を禁じ得ない。自分から隠れ蓑にほころびを作っていくんだからな。
しかし、お姫様は俺の苛立ちなどお構い無しだ。
「目を見れば分かるのです。貴方はとても綺麗な目をしていらっしゃるわ」
いまや仕切りの格子へくっつかんばかりにこちらを覗いている青い目が、俺の視線を捉えた。その美しく澄んだ瞳に束の間吸い込まれる。
「止めてくれ」
俺は一瞬でも見惚れた自分を恥、顔を顰めて視線をそらした。
「それにたった今、ご自分でトラブルはごめんだって仰ったではないですか」
「あぁ、そうだ。だからもう俺を呼ぶのはやめてくれ」
「なぜですの? 今更身分が違うとか言わないでくださいね。私はただの囚人なんですから。今までだって、ここのお部屋で他の囚人からお話を聞くことはあったのでしょう?」
「それは、相手が俺だと知らない状況でだ」
こっちは少し苛立ち始めているというのに、お姫様は嬉しそうに笑ってやがる。何がそんなに楽しいんだか。俺が奇妙なものでも見ているような視線で眺める。
「やっぱり、お優しいのね」
「?」
「仲良くなった方の首をはねるのが悲しいのでしょう?」
何を言い出すかと思えば。
毎日人の首をはねる人間が優しいはずがないだろう?
「でも、心配はいりませんわ。私は死ぬまで幽閉されるだけで、あなたのお世話にはなりません。だから……出来れば私と……お友達になってはもらえないかしら」
ぐうの音も出ない。
俺が生きてきた中で出会ってきたどの人間とも違う未知の生き物と対峙している気分だ。絶望的なまでに言葉が通じていない気がする。
ここは監獄で、お姫様は先の王の御落胤だ。
政敵の多い身でなぜ安全だと言い切れる? 相手の気分一つで、いつでも俺のリストに載る身だぞ。
自分を殺す相手と仲良くなってどうするんだ?
俺は頭が痛くなってきて、無言のまま逃げるように部屋を出ていった。ドアをくぐる背に『返事は待つので考えてくださいね』というお姫様の声が聞こえた。
悪いが、もう2度と会うつもりは無い。
お友達が欲しいなら、丁度いい相手ならもっと他にいるだろう。
例えばこの小僧とか。すこぶる不機嫌な俺を見て縮み上がっている教会の小僧を見下ろした。生唾を飲み込み、震える手で手間賃の革袋を差し出している。
「おい。小僧」
「は……はいぃっ!」
「次は来ねぇ。お姫様の懺悔はお前が聞いてやれ」
俺はそれだけ言い残すと、いつもは門まで見送りに来る小僧を残したまま1人で教会を去った。