監獄
監獄長の部屋に呼び出され、来週のリストを渡される。
もちろん処刑リストだ。人の名が書き連ねられ、罪状が綴られている。ここに載っている人間は、再来週には俺の手によって全員教会の中庭に埋まっているはずだ。
残念ながら、俺の手に渡った時点でもう変更はありえない。
賄賂やコネが通用するのはその前の段階までだ。俺自身はそういったものを貰わないようにしている。『死を前にして人は平等になれる』富める者もそうでない者も、愛されている者も憎まれている者も、首切り役人の前では同じ。俺はそのリストの順に仕事を遂行するだけ。
帰り際、皿と鍋を担ぐ牢番とすれ違う。食事の時間か。
だが、鍋の中身はどれも冷えきって、美味そうな匂いが漂うことは無い。それどころか、蓋を開ければ目を疑うような代物が入ってる事だろう。
この監獄は湖に浮かぶバベルの塔のような姿をしている。
上の階には位の高い者や中流階級でも比較的裕福な者が収容され、地下へ向かうほど罪が重い、もしくは牢番に金を払えない貧しい者が押し込められている。地下へ潜るほど環境は酷いものとなり、悲惨さを増していく。変死や病死なんかが出るのもそんな場所だ。
牢に入るにも金がいる。
いい食事、いい寝床を得るには、上の人間に握らせるものがなけりゃお話にならない。もちろん、俺のリストに載らないよう掛け合う時にも。
地獄の沙汰も金次第とはよく言ったものだ。
俺の立つホールの上は最上階まで吹き抜けになっていて、螺旋状に伸びる塔の内部を一望できる。
最上階に近い牢は別として、一方通行の階段を下りる他出入り口のある一階へ降りるすべはない。飛び降りようものなら即あの世行きだ。たまに、ホールへ血の染みをつける奴がいる。そういう奴は対外俺のリストに名が載せられている。手間が省けていいが、牢番は嫌がっている。
壁沿いに設けられた牢獄は脱獄し安いだろうって?
まぁ、そうかもしれない。外壁を爆破すればいいんだからな。だが、この塔は表面を覆う華奢な石レンガで造られているわけじゃない。内部は巨大な石を組んで建てられていて恐ろしく頑丈だ。もし万が一崩すことができたとしても、塔が瓦解して中のヤツは一人も生きちゃいないだろう。
外に出たところで三重の高い塀に囲まれている。
その日の飯代さえ払えない大人しい罪人は、その塀の内側にある畑で仕事をさせられたりするんだが、 逃げようなんて思わない方がいい。逃げれば島の輪郭をなぞるように建てられた塀の上から的にされる。見張りの弓兵のいい練習台だ。囚人が諦めるか、射殺されて動けなくなるまでレッスンは続く。
逃げ切って湖に飛びこみゃいいだろうって?
この湖に浮かぶ船のほとんどが鋼鉄製だってこと知ってるか?
湖には人を食らう生き物が多く棲んでいて、木船はかじられて沈むからさ。もちろん、泳いで逃げるのはお勧めしない。牢番の賭け事に使われるだけだ。何メートル泳ぎ切ることが出来るかってな。
どう足掻いてもここから出られるルートは、陸地と繋がった橋一つだけ。
囚人がそこから出るのは、首をはねられるために広場へ向かう時だけだ。
まさに地獄の塔とでもいうのだろう。
けれど、位の高いものが収容される頂きに近い部屋なら、美しい風景が眺められるかもしれない。下界の惨状など、見えやしねぇさ。
空の上から湖に日が昇ったり降りたりするさまを眺めて暮らす。
お姫様にはお似合いだ。
この間教会で会ったような少女なら特に。
「ゾルバ」
「なんだ?」
「お前忙しくなるかもしれないぞ」
「?」
「都から囚人が送られてくる。大きな声じゃ言えないが、何でも王様がすげ変わって邪魔になった貴族共を処分するらしい」
俺は好かれるたちではないが、この牢番のように話しかけてくる奴もいる。仕事関連の噂話を振ってくることがほとんどだが。
「昨日まで椅子にふんぞり返っていた奴が、今日は囚人に落ちるんだから敵は作りたくねぇな」
単調な仕事の疲れを誤魔化したいのかもしれない。一方通行気味であっても話をやめる気は無いようだ。
なるほど、王都は血の惨劇に飽きてきたのだろう。こちらに残りの仕事を押し付けるつもりだ。確かに、さっき渡されたリストはいつもより長かったように思う。
「それは上に持っていく食事か?」
「あぁ、上に1人気の毒なお嬢ちゃんが押し込められているのさ。その子の分だよ」
「マリー・アンか?」
「あんた知ってんのか? まさかリストに……」
「ない」
牢番は見るからにホッとした顔をした。
つまらない噂話は思わぬ情報をもたらすこともある。彼ら牢番はそうやって役に立つ話を探していたりする。俺に話しかけるのも来週のリストに上がっている名前が知りたいだけだろう。
木製のトレーには、この監獄では豪華とも言えるパンやスープなどの人の食事が乗せられていた。
「血筋ってだけで監獄行きだ。俺の娘と同じくらいの歳かと思うとなぁ」
囚人に情を移すなど牢番として先は短いな。
子供のような歳の者が牢獄にやってきて、処刑されたりすると、たまに牢番が監獄から姿を消すことがある。この男もそうならなけりゃいいが。
「善人が好きな神様って奴はせっかちだからな。天国にはよほど人がいないと見える。早死したくなけりゃ、余計なことを考えずに仕事することだ」
「はっ、あんたほど割り切れたら楽なんだがな」
皮肉とも取れる言葉を残し牢番は去っていった。
俺から言わせれば、監獄で苦しみ以外の何かを望む方がおかしな話だ。ここはそういう場所なのだから。
漆黒の葬儀車にも似た二頭立ての馬車に乗り込み屋敷へ帰る。
忌み嫌われる存在であっても特別な仕事を与えられた役人だ。多少の優遇はある。
華やかな表通りから外れた脇道の一つ。
スラムと呼ばれる得体の知れない住人が集まる通りがある。
道は細く入り組み、知らずに迷い込むと無事に出られるか分からない魔窟だ。その一角に、俺の屋敷は建っている。
庭は荒れ果て、傷んだ外壁は所々斑に剥落し、見栄えは良くない。町でも有名な幽霊屋敷だ。誰も買い手がつかないのをいいことに俺が買い取った。
そうでも無けりゃあ首切り役人に家を売ろうという奴などいない。処刑執行人とは、屋敷に取り付く怨霊と同じくらい忌み嫌われるもんだからな。
家を持つ以前は監獄の一部屋を借りて暮らしていたが、冷えきった食事も常に聴こえるうめき声も好きになれなかった。
家をもてた今は静かなもんだ。快適に暮らせている。
行き倒れ寸前だった老夫妻を一組住まわせており、身の回りのことは事足りている。何より食事が温かいのはいい。
幽霊屋敷と聞いていたが、俺は未だにそいつと会っていない。
毎日のように人の首を刈っているが、それら囚人達も俺の前に化けて出ることはなかった。死んでまで拝みたい面ではなかったんだろう。
仕事を始めた頃は、悪夢にうなされたかだって?
残念ながらそんな暇はなかった。適性がないと見放されて殺されないように必死だったし、仕事のヘマで殴られた傷や切り落とされた足の古傷が疼いて眠れぬことはあったがね。
俺が初めて斧を振り下ろしたのは12の歳だ。
人の首に斧を叩き込めと言われ、尻込みするガキの俺に前任の首切り役人はこう聞きやがった。
『てめぇの足を切り落とされるのと、こいつの首をてめぇがはねるのとどっちが良い?』
それでこのざまだ。
だが、足と引換にその囚人が助かったわけじゃねぇ。二本目の足を切られる前に、俺は最初の仕事を終えなければならなかった。
全く、切られ損だな。
その時俺は、俺ひとりがどう足掻こうと、ここに来る人間を救うことは出来ないと叩き込まれた。
今はその年齢の倍以上生き、仕事を続けてきた。多分この先もそうなるだろう。引退するのは斧を持てないくらい耄碌した時だ。多分その時は、前任者のように人生もリタイアさせられるに違いない。
自由になるには知りすぎた。
余計なことを喋っちまったな。