第九話 ハジマリのオワリ
一連の事後処理をしてくれたのは、オリンピアが呼んだ外部の人間達だった。
万が一に備えて予め待機させていたそうで、合図の狼煙を上げてから数時間のうちに駆けつけて、村長の死体の処理とエクシポディアの輸送準備に速やかに取り掛かってくれた。
エクシポディアを他の場所へ輸送すると聞いたときは驚いたが、野生の個体なのか、それとも何者かに育てられたのかを判別する必要があり、そのためには適切な施設のある場所へ運ばなければならないらしい。
なんにせよ、俺がその顛末を見届けることはないのだが。
「狭くてごめんね。誰かを乗せる予定なんてなかったから」
俺達を乗せた小さな馬車は、街道を北に向かって進んでいる。フィオナが村に来たときに使ったものだそうで、オリンピアが御者席で馬――に似た生き物を操り、俺とフィオナはただでさえ狭い座席を二人で分け合って座っていた。
一頭立てだからか座席は一つきりで、おまけに幅もかなり狭い。互いの身体が触れ合わないように座ると、窓に頬が付きそうになってしまう。
試練の書に浮かび上がった新たな課題は【アスプロ市にたどり着け】というものだった。街の場所をフィオナに聞いたところ、これからアスプロ市に戻るところだから一緒に行こうと言ってくれたので、お言葉に甘えて馬車に相乗りさせてもらうことにしたのだ。
窓の外に広がる果てのない平原というのは、日本ではなかなかお目にかかれない光景である。北海道にでも行かなければ見る機会はないだろう。
反対側の窓に目をやれば、今度は森林と背の低い山々が並んでいる。こちらは日本だとよく見る光景かもしれない。どうやらこの街道は、平原地帯と森林地帯の境界に沿って整備されているようだ。
「あれがアスプロ市か?」
平原側の地平線に都市の輪郭がぼんやりと浮かんでいる。目測だが相当大きな規模の街のようだ。そういえば、ノルンにこちらへ送り込まれた直後にも同じものを見た記憶がある。
「ううん、あれは廃墟ね」
「廃墟? そうなのか……あんなに大きいのに」
そんな話をしていると、御者席のオリンピアが唐突に話に混ざってきた。
「世にも珍しいガラスの廃墟ですよ。あそこから切り出したガラスを溶かして加工するのが、アスプロ市の主要産業なんです。ちなみに溶解炉の燃料の木材はヒューレ村やその周りから切ってきたものだったりします」
「……何か今凄いこと言わなかったか?」
「溶解炉の燃料ですか?」
「そっちじゃなくて。ガラスの廃墟って何なんだよ」
ヒューレ村の家屋に窓ガラスが使われていた謎は解けた。産地に近くて大量生産もされているなら、比較的安価にガラスを利用できてもおかしくない。
だが、ガラスの廃墟という言葉は脳が理解を拒むレベルで意味不明だ。
「遠い遠い昔、あの街の人々は女神ノルンを裏切って、他の国の神を信じたそうです。女神ノルンは当然大激怒。神罰の光を降らせて街を滅ぼしてしまったといいます。あまりに光が熱かったので、建物も動物も人間も、みんなどろどろに溶けてガラスになってしまいました――っていう伝説がある廃墟です」
「……本当のところは?」
「誰にも分かりません。だけど、建物の形をしたガラスの塊や、人間くらいの大きさのガラスの塊がごろごろ転がってるのは本当です。それこそ街全体が一瞬で溶けかけのガラスに変わっちゃったくらいに」
恐ろしい話を聞いてしまった気がする。
前にも想像したように、女神ノルンとやらが俺の知るノルンのことだとしたら、あんなふざけた態度の裏に街一つを住民ごと滅ぼすような本性を隠していることになる。もちろん、昔話が本当ならという前提ではあるが。
「半端ねぇな、神様」
「ユーリ殿は忘れてしまったかもしれませんけど、この大陸の国々はそれぞれ違う神様を信奉していて、しかも何百年も対立状態にあるんです」
それと同じ情報は、村人達から話を聞いたときにも仕入れている。
「例えばこの国の守護神は運命の女神ノルン様。隣の国の守護神は正義の神ミトラス様。蜥蜴族は人間と少し違って、下層階級は恨み深き魔獣ボクルグを、上層階級は絶滅したはずの真竜を崇めているそうです」
「信じる神様が違うから、いつまでたっても争いが絶えないってことか?」
「宗教だけが原因じゃありませんけどね。土地の奪い合いだとか、政治的な対立だとか……。私は一介の従者なのでよく知りませんが、どこに戦争の火種があるか分かったものじゃないと聞いています」
この世界も色々と大変なようだ。そんなご時世なら領主も気苦労が絶えないことだろう。俺は横目でフィオナを見やった。いつの間にかすやすやと寝息を立てているこの少女も、そんな世界の中で必死に頑張っているのだ。
けれど、どうしても納得できないことが一つだけある。
「なぁ、ひとつ聞いていいか」
「どうぞ?」
「想像だけど、フィオナがヒューレ村に来た理由って、村の近くを荒らしてるエクシポディアを退治して治安を維持するためなんだろ。ガラス産業の燃料の供給源が危険になったら大打撃だからな」
「ええまぁ、大義名分はそうだと思います。けどフィオナ様はお優しい方ですから、本音としては純粋に村人を助けたいと――」
「だったらどうして『一人だけ』なんだ?」
御者席のオリンピアからの返答はない。俺は構わずに言葉を続けた。
「事後処理をしてくれたのは、万が一に備えて用意してた人員らしいけどさ。そんな余裕があるなら、フィオナが戦うときの支援もさせるのが普通じゃないのか。実際に戦った奴は規格外のバケモノだったみたいだけど、予想してたのはもっと倒しやすい小さな奴だったんだろ?」
連中がフィオナのように強力な魔法を使えなかったとしても、戦いを支援する手段はいくらでもあるはずだ。呼ばれるまで何もせず待機しているなんて不自然過ぎる。
しばらくの沈黙の後、オリンピアは簡潔に言い切った。
「ユーリ殿には言えない事情があるとお考えください」
「そっか……事情があるならそれでいいんだ」
「納得されるのですか?」
オリンピアは肩越しに振り返って目を丸くした。
「当たり前だろ? 人に言えない事情くらいあって当然だ。俺にだってそういう事情はあるし、フィオナにも教えたくない。お互い様ってことで話は終わり。何かおかしなこと言ってるか?」
これは正真正銘の本心だ。
自分の秘密は死守するくせに、他人の事情は根掘り葉掘り知りたがり、隠されたら非難する――そんな輩にだけはなりたくない。
オリンピアは少し驚いた顔をしていたが、すぐにほほ笑みを浮かべ、くすくすと笑い出した。
「ありがとうございます。フィオナ様にとって、貴方のような人に出会えたのは幸運かもしれません。ノルン様のお導きですね」
「はは……そうかもな」
ノルンの導きというのが何の比喩でも冗談でもなさそうなのだが、とりあえず笑って誤魔化すことにした。アイツが何を考えているのか俺には見当もつかない。フィオナと出会えるタイミングで俺を送り込んだのが意図的なものなのか、それともただの偶然なのかもさっぱりだ。
石ころでも踏んだのか、馬車がガタンと揺れる。
その拍子に、眠っているフィオナの身体がこちらに傾いて、俺の肩を枕にして寄り添うような格好になった。
綺麗な銀色の髪が頬に触れる。信じられないほどに艶やかな肌触りに、思わず心が奪われてしまいそうになる。
「ユーリ殿。フィオナ様に手を出したら引きずり下ろして轢き飛ばしますので」
「ん、んなことしねぇよ」
髪に伸ばしかけていた手を引っ込める。
結局、馬車がアスプロ市に着くまでの間、俺はずっとフィオナの枕であり続けた。
おかげ様で、これから先にどんな試練がまっているのかだとか、記憶喪失のフリをいつまで続けられるのかだとか、考えなければならない問題が頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまった。
役得だと思う男の性と自己嫌悪の板挟み。こんなことで本当に生き残ることができるんだろうかと、他人事のように心配になってしまうのだった。