第二話 ヴォラス要塞にて
北上を続け、太陽が西の空に沈み始めた頃、地平線の向こうに砦のようなものが見えてきた。あまりにも大きな城壁に囲まれているせいで、それが目的地の街であることになかなか気付けなかったほどだ。
「もうすぐヴォラス市に到着します」
馬車馬を操る従者の少年が目的地について説明してくれる。他の面々が知らないとは思えないので、俺のための解説なのだろう。
「ヴォラス市は王国最北端の城塞都市です。エクスマキナ議会国との戦争時は常に最前線基地として活躍し、城塞が築かれてからただの一度も防戦に敗れたことがない精強さで知られています」
「しばらく滞在した経験から言うとだな」
少年の説明に、アキレアスが実体験を踏まえた補足を加える。
「外部に対する守りに力を注ぎ過ぎたせいで、住み心地はあまり良くないな。街が要塞として機能しているんじゃなくて、要塞の中に街のような機能が備わっている場所だ」
「それ、どう違うんですか?」
アキレアスに問いかけたのは俺ではなく、キリルだ。軍事には興味がなさそうな奴なので、アキレアスの説明ではピンとこなかったようだ。
「街が先にあって、その後に城壁を建てて要塞化したわけじゃないってことだ。最初にあったのは純然たる軍事施設だったんだが、どうにも戦が長引き過ぎた。兵士に必要な物を少しずつ用意していったら、いつの間にやら城塞都市なんてものになっていたわけだ」
キリルはまだ首を傾げているが、アキレアスは至って当たり前のことしか言っていない。
要塞といえど働いているのは普通の人間だ。ストレスだって溜まるわけだから、日常からかけ離れた環境で過ごすのは限界がある。
理屈としてはガラスの遺跡の鉱山町と同じだ。仕事場から離れられない人々のために、衣と食を充実させ、住環境を整え、娯楽を提供する。兵士の家族も住むようになるかもしれない。家が増え、施設が増え、人が増えれば、それはもう街と呼ぶしかないだろう。
一般市民にとっても悪い話ではないかもしれない。要塞で働く兵士は遠くへ行けないわけだから、兵士を対象にした商売は安定した顧客を手に入れられる。
そして難攻不落の要塞の周りで最も安全な所は、他でもない要塞の中だ。要塞の外は敵が攻めてくれば戦場になってしまうかもしれないが、要塞の内側は要塞が陥落しない限り敵の脅威に晒されることがない。
結果、兵士のための施設や店舗は要塞内に集まることになり、いつの間にか都市に変わってしまったわけだ。
「た、大変です!」
俺のぼんやりとした考え事は、従者の少年の切羽詰まった声で打ち切られた。
「どうした、マリオス」
アキレアスが馬車の窓から身を乗り出す。俺も別の窓から顔を出して外の様子を窺った。
要塞周辺に大勢の人間が並んでいる。その誰もが槍を手に持ち、鎧に身を包んでいるように見える。少数だが馬に乗った者もいて、徒歩の面々とは別の小さな集団を作っていた。
数は目算で二百か三百――ひょっとしたらそれ以上かもしれない。
「ヴォラス要塞の軍が部隊を展開しています!」
「ああ、見えてるよ! レオンティウスの奴め、勝手に開戦するつもりか?」
毒づくアキレアスの肩越しに、俺は先行するもう一台の馬車から誰かが降りたのを目にした。
見間違えるはずがない。あの後ろ姿はフィオナだった。
「馬車を停めて! 俺も降りる!」
「俺も? あっ、お嬢の奴、勝手に降りてやがる!」
急減速する馬車から飛び降りてフィオナの後を追う。アキレアスも少し遅れて追いかけてきて、物凄い俊足であっという間に追いついてきた。
フィオナはたった一人で軍の指揮官らしき男と退治している。
指揮官は馬を降り、フィオナに敬意を払うような態度を取っているが、周りの雰囲気がピリピリしているのがここからでも分かった。
「これはこれは、王弟殿下の御息女様。本日はどのようなご用件で」
「レオンティウス将軍。これは何のつもりですか。休戦中の国境付近でこれほどの部隊を動かすなんて!」
「異なことを仰る。私は国王陛下より与えられた裁量の範疇で軍を動かしているまでですが」
二人の言い争いが始まりかけたタイミングで、俺とアキレアスは二人の間に割って入った。流石は現役の軍人というべきか、俺と違ってアキレアスは殆ど呼吸を乱していない。
レオンティウスと呼ばれた男は、彫りの深い顔を俺達に向けて片眉を吊り上げる仕草をしてから、再びフィオナに向き直った。
「アキレアス准将軍を従えてどちらへ赴かれるつもりか存じませんが、ヴォラス要塞の部隊運用に指図する権限は貴女にはないはずでは?」
「それは……」
「俺も理由を聞かせて頂きたいですな、レオンティウス将軍」
言い淀むフィオナの代わりにアキレアスが強く口を挟む。
「御存知のとおり、北の隣国との停戦は王弟殿下が取りまとめたものです。それを脅かしかねない要因は、王弟殿下に従う准将軍としては見逃せません」
アキレアスは敬語を使ってはいるのだが、相手に対する敬意は殆ど感じられない。むしろ挑発的にすら聞こえる気がする。
レオンティウスはしばらく沈黙し、溜息混じりに口を開いた。
「危険生物――大奇魔の討伐のためです。この程度の人数は当然必要でしょう」




