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第六話 六脚地竜エクシポディア

 ニワトリに似たけたたましい鳴き声で目を覚ます。

 村の井戸を借りて、冷たい水で顔を洗い、頭も軽く洗い流しておく。寝ぼけていた意識が脳天からすっきりしていくのが分かった。最後に井戸水を一口飲んで水分補給をして、朝の身支度が終わったことにする。

 寝床がアレだったせいか、目覚めはあまり良くなかった。身体のあちこちが軋んでいる気がする。


「こらー! 待てー!」


 村の子供がニワトリのような動物を追いかけている。

 多分あれは鳥だ。多分。自信はないけれど。

 ニワトリよりも輪郭が全体的にシュッとしていて、羽の位置が背中に寄っている。あと鳴き声が少し怖い。擬音で表現するなら、コケー!ではなく、ゴゲェー!といった感じだ。高らかに鳴いた声はニワトリそっくりなのに地声が怖い。

 じろじろ見られていることに気付いたのか、その男の子は見事捕獲したニワトリ(仮)を持って俺のところに駆け寄ってきた。


「おにーさん、シロトリ見るのはじめて?」

「んー、記憶がないから覚えてないなぁ」


 とりあえずそういうことにしておく。


「森で見た鳥は羽が四枚あったけど、こいつは二枚だけなんだな」

「羽はないけど指はあるよ。ほら!」


 男の子はシロトリの胸回りの羽毛をかき分けて、隠れていた一対の前足を見せてくれた。


「ああ……すっかり退化なさってるのね」


 改めて実感する。やはりここは異世界だ。人間以外の見慣れた生き物はニワトリすらも存在しない。むしろ人間すらも、俺達に似ているのは外見だけなのでは――

 そんなことを考えていると、広場の反対側から村長とメイド服の少女が近付いて来るのが目に映った。


「おはようございます、神官殿。昨夜はよく眠れましたかな」

「いやまぁ、それなりに……」


 村長の後ろに立つメイド服の少女は、昨日ソフィアと一緒にいた子だ。確か名前はオリンピアだったか。どうしてフィオナと一緒ではないのだろう。


「フィオナ様は既に村を発たれました」

「へぇ、そうか……って、ええっ!?」


 俺は慌てて藁置き場の倉庫に戻り、試練の書をひっ掴んで広場に取って返した。


「どっちだ! どっちに行った!」

「フィオナ様は独りで充分だと……」

「あちらの小道から森に入られたはずです。奴の縄張りに一番近い道です故」


 オリンピアが止めようとするのを無視して、村長が指した小道から森に飛び込む。想定が甘かった。俺が思っていた以上にフィオナは行動的で、勢いのある奴だったのだ。

 足手まといになりかねないのは理解している。それでもフィオナを追いかけたのは意地の問題だ。あんな子が命を懸けているのに安全な場所に引っ込んでいるなんて情けなさ過ぎるし、寝過ごして気付いたら終わっていましたなんて無様にも程がある。


 小道に沿って森の中を走っていると、右手の方から落雷じみた音が響いた。大きな木が倒れたり、太い枝が何本もへし折れたような音だ。


 すぐにその場で足を止めて、音のした方へ向き直る。

 様子を窺うべきか、すぐに発生源を確かめに行くべきか。ほんの少しだけ判断に迷った瞬間、茂みの向こうから人間大の何かが飛び出してきた。


「うわっ!」

「きゃあ!」


 ぶつかりそうになったそれを両手で抱き止める。目の前で銀色の髪が揺れた。


「……ユーリ!?」


 偶然にも俺の胸に飛び込んできたフィオナは、顔を上げるなり心底驚いた声を上げた。

 フィオナが無事だったことに安堵したのも束の間、俺はフィオナに力いっぱい腕を引っ張られ、村から離れていく方向に走らされた。


「お、おい……!」

「こんなところにいる理由は後で聞くから! 今は走って!」

「どこに行くんだよ!」

「村から離れるの! アイツが来る!」


 有無を言わさぬ強制全力ダッシュが始まった数秒後、凄まじい轟音と旋風が背後で巻き起こった。

 森を突き破って現れたそれは、六本足の巨大なトカゲなんて生易しいものではなかった。翼の代わりにもう一対の前脚が生えたドラゴン――それも村の家屋ほどの大きさなどではなく、優にその倍以上はある。

 六脚地竜(エクシポディア)。俺の想像を遥かに凌駕した怪物だった。


「――――!」


 あまりの事態に悲鳴を上げることすら忘れてしまう。

 六脚のドラゴン、エクシポディアは小道の幅に収まり切らない巨体を猛烈に加速させ、両脇の木々と枝葉を文字通り木っ端微塵に吹き飛ばしながら、俺とフィオナめがけて重戦車のように突っ込んできた。

 翼の名残りらしき皮膜を残した前腕で邪魔な木々を払い除け、小道を踏み砕く勢いで四本の脚を振るう。明らかに生物としてのスペックが違い過ぎる。このままだと数秒と持たずに追いつかれてしまう。


風よ、(サルターテ,)舞い上がれ(ウェンティ)!」


 フィオナの唇から一節の呪文が漏れる。すると強烈な突風がエクシポディアの真下から吹き上がり、その巨体を大きく持ち上げた。後脚で踏ん張られたせいで転ばせるには至らないが、否応なしにその場で立ち止まらせることができた。

 その隙に、俺達は小道を逸れて森の中へ入り、更に奥を目指して走り続けた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 フィオナが酷く息を乱している。俺は森が大きく開けた場所に出たのを見計らって、まだまだ走り続けようとするフィオナを引き止めた。

 直径数十メートルか百メートルくらいの広さの平地だ。橋の方に丸太の残骸らしきものが積み上げられているのを見る限り、木材を得る作業のために設けられた人工的な広場のようだ。


「待った! 少し休もう」

「……何、言ってるの……」

「息くらい整えた方がいい。このままだとろくに走れないだろ」

「そんな暇は……!」


 それでもフィオナは先を急ごうとしたが、突然膝からがくんと崩れ落ち、危うく地面に倒れそうになった。

 咄嗟に腕で受け止めると、鉄のように固い感触が伝わってきた。どうやら服の内側に小さな金属板を何枚も縫い付けてあるようだ。確かこの手の防具はブリガンダインと言うんだったか。


「あんた、こんなの着て走ってたのかよ! 疲れて当然だろ! いいからもう脱げって!」

「ぬ、脱ぐですって!? そんなはしたない!」

「それ普通の服の上から着るヤツだろ! 知ってんだよ! 大体あんなデカブツ相手じゃ意味ねぇって!」

「違うから! 疲れたのは魔法のせいだから!」


 思わず言葉を荒げて、顔を赤くしたフィオナと言い争ってしまう。

 これがブリガンダインだとしたら、いわゆるプレートアーマーよりも格段に軽いとはいえ、その重量は数キロから十キロ程度にもなる。割と優秀な防具だったそうだが、この状況では完全にお荷物だろう。

 俺は不要な装備をパージする程度の気持ちでいたが、フィオナにとっては恥ずかしくはしたない行為に思えるようだ。これもカルチャーギャップという奴だろうか。


「ああもう、分かった!」


 先に折れたのは俺の方だった。今度は俺がフィオナの手をとって駆け出す。


「しっかしバケモノ過ぎるだろあいつ!」

「想定外よあんなの。普通の大きさはあれの半分以下だから」

「それで充分でかいけど……やっぱり異常なんだな」

「ええ。それに、ここまで巨大な個体がこんな小さな森に潜んでいたのもおかしいと思う」


 走りながら、フィオナは整った眉をひそめた。


「この森には大きく育つほどの獲物はいないはずだし、どこかから移動して来たのなら、普通は途中で誰かが見つけて王宮騎士団に通報してるはず……」

「誰にも見つからない手段でここまで来たってことか?」


 心当たりは、ある。ノルンにこちらの世界に送り込まれたとき、俺は気が付いたら山道に寝転がらされていた。同じようにエクシポディアをこの森へ移動させる手段があってもおかしくない。


「分からない……とにかく村から引き離して、討伐隊を要請しないと」


 森まであと少しの距離まで来たところで、進行方向上の樹木が紙切れ同然に吹き飛んだ。

 木が薙ぎ払われてできた空間に、エクシポディアの巨体が姿を現す。別の個体ではなく俺達と追いかけてきた奴だ。外皮に付いた特徴的な傷跡も一致している。


「回り……込まれた?」

「地の利はあちらにあるってわけね」


 だが、エクシポディアはさっきのように力任せに襲いかかってこようとはしなかった。無機質な眼球で値踏みするように俺達を見据えている。


「魔法を使われたから警戒してるんだと思う。竜は知能の高い生き物だから」


 どれくらい睨み合っていただろうか。不意に、エクシポディアが唸るように喉を鳴らした。


「笑ってる、のか」


 ドラゴンの感情なんて分かるはずもなかったが、何となく「あれは嘲笑だ」と理解することができた。予想外の反撃を受けたので慎重になってみたが、よくよく観察してみた結果、やはり取るに足らない小動物だと判断した――そんな感じだ。

 エクシポディアが首を高く掲げると同時に、どこからか風の音がし始めて、辺りの木々がざわざわと揺れだした。


「“息”が来る! 伏せて、ユーリ!」


 風音が止まる。エクシポディアの首が砲身のように水平に倒され、極限まで広げられた顎の奥から不可視の砲弾が吐き出された。


風よ、(フィルマーテ,)壁となれ(ウェンティ)!」


 フィオナの呪文が不可視の壁を作り出し、不可視の砲弾を受け止める。しかし拮抗したのはほんの一瞬。暴風の塊は圧倒的な衝撃で俺達を容易く吹き飛ばした。


「うわああっ!」


 屈み込んでいた俺は、まるで断崖絶壁から落とされたかのように地面を転がり、草地の真ん中辺りでようやく停止した。

 体中が痛い。頭がぐらぐらする。耳鳴りもして吐き気が酷い。

 それでもどうにか立ち上がったとき、俺の真横にエクシポディアの脚が踏み降ろされた。


「――――」


 エクシポディアは俺など眼中にないと言わんばかりに、そのままゆっくりと横を通り過ぎていく。

 奴の行く先には、俺よりもずっと遠く、ずっと酷く吹き飛ばされたフィオナが倒れていて――


「――おい、何する気だ、お前――!」


 足元に落ちていた試練の書を掴む。どうして()()()()そこにあったのかなんて気にする暇はない。ただ、浮かび上がっていた呪文を無心に叫んだ。


輝ける(スプレンデンス・)拘束の鎖(ウィンクルム)ッ!」


 フィオナめがけて振り上げられたエクシポディアの前肢と強靭な頸部を、光のリングが纏めて縛り上げる。

 エクシポディアの絶叫が地面を揺らす。効いている――痛がっている!

 どうにか起き上がったフィオナが、ふらつく足取りでこちらに近付いて来る。俺はすぐに駆け寄って、倒れそうになったフィオナを受け止めた。


「ユー……リ」

「大丈夫か! 怪我は!?」


 エクシポディアが一際大きな咆哮を上げる。拘束された首と前肢で内側から力を掛け、もう一方の前肢で光の拘束帯に外からも力を加え、身の抵抗の末にどうにか拘束を引き千切った。

 無機質な眼球が俺を睨みつける。どうやら俺も『敵』に格上げされたようだ。

 恐怖心が薄れてくるのが自分でも分かる。脳内物質の分泌で過剰に興奮しているのだろうか。あるいは、呪文一つであそこまで苦しめられたことで心に余裕が生まれたのか。

 いや、それ以上に。


「私は平気、だから……逃げて……」


 ぼろぼろになっても気丈に振る舞うこの少女を何としても守りたいという衝動が、俺の心を猛烈にかき立てていた。

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