第七話 旅の予感
翌日。俺は例の日記の保管を頼むために、フィオナの住居である領主邸に足を運んだ。
日記の内容は全て読み終えているが、部屋に置きっぱなしにして盗難にでも遭ったら一大事で、かといって博物館に返却するのは早すぎる。読み終わったから返すと言ったら大騒動間違いなしだし、もう諦めたからと言って返すのはいくらなんでも不誠実すぎる。
努力はしたけれど無理だったという体裁を安全に整えるため、しばらくフィオナのもとに預けて俺がそこに通う形を取らせてもらいたいのだ。
「そういえば俺一人で来るのは初めてだな……」
相変わらず敷地の広大さに圧倒されそうになる。
ひとまず守衛に要件を伝え、屋敷に取り次いでもらう。時間があるなら中に入って日記を預け、忙しいようならまた今度だ。守衛に日記だけ預けて持っていってもらうことも考えたが、紛失の可能性はなるべく失くしたかった。
門の近くでぼうっとしながら返事を待っていると、若い召使が息を切らしながら駆け寄ってきた。
「マカベ殿! ユーリ・マカベ殿、すぐに会議室へお越しください!」
「え、会議室?」
事情を聞く暇もなく館に連れて行かれ、大きな部屋に案内される。そこでは何人もの人間が難しい顔でテーブルを囲んでいた。
上座にいるのは領主ゼノビオス。その両隣に銀髪の男が座り、更に髪色が銀色ではない男達が列席している。そこにはフィオナの姿もあった。
「すまないねユーリ君。少しばかり話を聞いていってもらえないかな」
「ええ……構いません」
何の会議をしているのか知らないけれど、ゼノビオスさんの頼みなら断る理由はどこにもない。会議に参加しろと言われたら流石に困るが、傍聴する程度なら何の問題もないだろう。
俺はフィオナの隣の席に座り、日記を入れた金属ケースと試練の書を膝の上に置いた。
参加者達がさり気なくこちらを見ているのが分かる。色々と注目を浴びることをしてきたので当然といえば当然だが。
「では、改めて主旨を説明致します」
会議の議長らしき男が壁に掛けられた地図を示す。
この国を中心に描かれた大きな地図だ。南には海が広がり、西にはシルヴィの故郷である蜥蜴族の国。そして北と東と南東に、この国と同等かそれ以上に大きな国が隣り合っている。
「ここ数ヶ月の間に出現した、四体の大型危険生物――『大奇魔』『六脚地竜』『雲海蜘蛛』『玻璃喰蛇こと灼熱兜』――それらにはある共通点がございました」
四体中三体のことはよく知っているが、最初の一つは初耳だった。俺がこちらに来る前に現れた怪物なのだろうか。
「エクスマキナ議会国製の機械、魔法力強化装置が埋め込まれていた可能性があるということです」
「機械?」
ファンタジーの雰囲気全開なこの世界に似つかわしくない単語が聞こえたせいで、つい声を漏らしてしまう。
「あの時計塔の装置みたいなものよ。北の隣国はそういうのが得意なの」
すかさずフィオナが補足を入れてくれた。
言われてみれば、時計だって立派な機械装置だ。時計塔が存在していた以上、ああいうものを作る技術が世界のどこかにあるのは当然である。
……単なる時計と魔法力強化装置とやらの間には、相当な技術的ギャップがあるような気がするのだが、今は気にしないことにしよう。
「えー、念のため説明させて頂きますと、魔法力強化装置は生物の頭蓋の中に埋め込むことで、より上位の魔力運用を可能とするものであります。掌に余る大きさゆえ、大型生物にしか使用できませんが」
上位の魔力運用――そういえば、俺達と戦った六脚地竜の強さは異常だとフィオナが言っていた。あれもそのせいだったのだろうか。
「そして、先に列挙しました四体の危険生物ですが、それらの主な棲息域は次のようになっております」
議長の男は長い棒で地図の数カ所を順番に指し示した。
「大奇魔――パリエース高山地帯、暗黒洞窟周辺」
北の隣国の西側、険しい山々が描かれた場所の一点。この山脈は北の隣国と蜥蜴族の国を隔てるように広がっていて、棒先で示されたのは蜥蜴族の国の側だ。
「六脚地竜――我が国の北方領域に幅広く」
王国の北側を棒の先でぐるりとなぞる。
「雲海蜘蛛――パリエース高山地帯」
一つ目と同じ山脈地帯。ただし今度は山脈の中でも北の隣国の領地だけを示している。
「灼熱兜――蜥蜴族諸王国連合、鉄脚国領内の砂漠地帯」
棒の先が山脈地帯から左に動き、隣の広い空白を指し示す。
「お分かりいただけましたかな」
「どれも隣国の近くなのか……」
「だから! 議会国の仕業ということだろう!」
俺の呟きと他の参加者の怒声が被る。俺が入ってきたときからずっと不機嫌そうだった強面の男だ。
表現は違うが、俺が考えたことと男が叫んだことはだいたい同じだ。機械を埋め込まれた危険生物の生息地と、機械の製造場所がこんなに近いのだから、関連性を疑わない方が難しい。
しかし、議長は残念そうに首を横に振った。
「エクスマキナ議会国は関与を否定しています。魔法力強化装置は他国に輸出したものであり、当方には責任がないと。残念ながら、我々の機械に対する理解力では議会国の主張を崩すことはできません」
会議室の空気が重くなる。
この国で高度な機械技術にお目にかかったことはない。例外は時計塔の装置くらいのものだが、きっとそれも輸入品だったのだろう。機械に関する知識に乏しいので、装置が輸出モデルなのかどうか判断できないというわけだ。
確かにそれはキツい。疑惑の相手の証言は信じられないというのに、そいつらに尋ねる以外に確認のしようがないのだから。
「ここまでは聞いた! ならばどうすべきなのか考えるべきだろう!」
「無論、そうだとも」
熱くなった強面の男を抑えたのは、しばらく聞き役に徹していたゼノビオスだった。領主の発言とあっては遮ることもできないらしく、男は怒りを顔に刻み込んだまま押し黙った。
「危険生物の異常出現に、エクスマキナ議会国が関わっているか否か……それを確かめる足掛かりは既に用意している」
ゼノビオスは隣に座る若い男を見た。何となくゼノビオスと顔立ちが似ている。血縁者、もしかしたらフィオナの兄弟――表向きにはだが――にあたる人物なのかもしれない。
「これらの生物のうち、一種は我が国と議会国の国境付近、二種は諸王国連合と議会国の国境付近に生息するが、雲海蜘蛛だけはパリエース高山地帯の中でも議会国の領地内だけに生息している」
雲海蜘蛛は霧や雲に紛れて生きる生物。山の西側に砂漠が広がっていることから考えると、そちら側はカラッと乾いて湿度の低い気候をしているはずだ。となると、雲海蜘蛛がそちら側に生息していないのも当然である。
恐らく、東側から吹いてくる湿った風が、山を越える最中に雨雲や霧を生み、乾いた熱い風になって西側に吹き下ろしているのだろう。元の世界ではフェーン現象として知られる現象で、砂漠を産む原因の一つと考えられている。
「エクスマキナ議会国固有の危険生物が我が国を、我が街を襲った。これは紛れもない事実であり、我々には原因を究明する権利がある――議会国側にそう通達し、調査隊の派遣を認めさせることに成功した」
それを聞いた参加者達がにわかに活気づく。反応が薄いのは俺と銀髪の人達くらいだ。何も知らない俺はともかく、フィオナ達が驚かなかった理由は、おおかた事前にこの情報を受け取っていたというところだろう。
「しかしながら停戦中ということもあり、大人数を送り込むことはできない。あくまで調査目的、少数精鋭による作戦行動ということになる。そこでだ」
ゼノビオスが俺に顔を向けた。
何を言われるかすぐに予想が付いてしまった。同時に、わざわざ俺を引き止めて会議に同席させた理由も。
「ユーリ君。君に調査隊への参加を依頼したい」




